大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro

「東京人」6月号

もう5月になり、新緑が目に眩しく、気持ちがよい。

昨年の8月に筆を起こした原稿が、ようやく2回目の掲載となった。今回も編集の方にさまざまのご面倒をかけて、どうにか掲載してもらえたものと感じている。

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巻頭のエッセイでかの中島岳志さんが寄稿されている。橋本欣五郎のことを、朝倉文夫との関係で記している。ちょうど、みすず書房の『橋本大佐の手記』を読み終えていたところだったため、背景など、感じながら読めた。

(さん付けで書いておいて、お目に掛かったことは、一度もない。以前知り合いの編集者に、著名な作家のこととを、さん付けで呼ぶのって、面識があってもどうかしら、と言われたことがある)

クーデターを、えいやこらっと勢いをもって企図し、実行しようとする人たちがいた時代を思う。日本近代の青春期の終わりだったのだろうか。

では戦後は、働き盛りの壮年期だったのだろうか。

では今は?
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# by tamaikoakihiro | 2010-05-04 09:45 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)

かつて植民地があった

日本はその昔、台湾と朝鮮を植民地とした。

同じ頃、アジアのほとんどが植民地だった。支配者はヨーロッパ列強である。

大川周明の『復興亜細亜の諸問題』を読むと、時代性というものを痛感する。

日本が膨張したのは、そしてアジアの盟主たらんとしたのは、そうしなければ日本も他の地域に同じく、列強に支配されるという、強烈な恐怖感があったのだろうと、これは多くの人が指摘するところのようだが、私もそのように思う。

「世界はホワイトのものだったんですよ」

大川塾二期生のある方は、私にそう話してくれた。

『復興亜細亜の諸問題』から少し引くと――

「今日のアジアは、ヨーロッパの臣隷である。奴隷に何の問題があり得るか。奴隷に何の理想があり得るか。奴隷は唯だ主人の意志に従い、主人の利益のために動かさるる走屍行肉に過ぎぬ。故に真の意味に於けるアジアの問題は、アジアが自由に得たる時に始まる」

被支配の状況に置かれたアジアを見て、何とか独立を保っている日本の人間として、語るべきことを、大川周明は多く、抱えていたのだろう。

しかし、植民地など、もはや制度としては、存在していない。それを実感として知るには、書物によるしかないところだ。

幸運にも、私は当時を知る人に話を聞けたから、ほんの少し、想像するよすがを得た。

本当に、幸運なことなのである。
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# by tamaikoakihiro | 2010-04-29 21:48 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)

昭和の日

今日は昭和天皇の誕生日である。戦前戦中であれば、天長節というのだろう。

いまは「昭和の日」と名前が変わっている。

昭和は、私自身の生まれた時代であるけれども、生きている時代は、平成の方が長くなった。

元号を一つ、またいだわけである。

よく大正生まれは、兵役で苦労した世代である、といういわれ方をしていた。同世代の多くを戦争で失っている。身近に死を何度も見て、そのたびに辛い思いをしてきた方々である。

そういった方々に私は話を伺う機会を得てきたわけだが、多くの人が、戦中・戦後の苦難を経て、現在ではおおむね安らかな生活をされているように見受けられる。

辛い日々の積み重ねが、晩年に報われているのだ、と言っては、私のような人間の言葉として、僭越であり、無礼であると思うが、しかしそういう気持ちを抱くことを、私は抑えられない。なぜなら私の世代も、一つの報いを受けていると感じるから。

私の世代は就職氷河期世代とか、デフレしか知らないとか、苦労が何かと多いように言われる。そのことに対する違和感を、私は大正生まれの方のお話を伺ううちに、強く抱くようになった。

人によって差はあろうが、戦後生まれは、実感として、子ども時代十分に食事をさせてもらい、少年期もお金のかかるクラブ活動やら遊びやらに専心して、何の文句も言われず、むしろそれを奨励された。死ぬ恐怖を味わったことは、一度もなかった。何とも平和な話ばかりしてきた。

つまり与えられてばかりであった。それが少なくとも私個人の実感である。

そのときもらい過ぎたから、大人になって、得るもの(金銭的に)が少ないのだ、これも因果なのだ、と私は思うようになったのだ。

贅沢を、人は言ってはいけないのだ。与えられたら、どこかで失うのだし、失ったら、どこかで与えられることもあるのではないか。

以上、「昭和の日」の朝、安閑とした暮らしを送りながら、考えたのである。
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# by tamaikoakihiro | 2010-04-29 09:25 | 雑感 | Comments(0)

「ご縁」という言葉

今日は、アポイントもなく、ある方のお勤め先に突然お邪魔し、お目にかかった。

初めて会う方だった。何という無謀なことをしたのだろうと、帰宅してから冷汗三斗の思いでいる。

拙稿の掲載された「東京人」をその方のいらっしゃる編集部宛でお送りしてあって、それに対するお返事を本日頂戴し、「ぜひお礼を」と考えたのだった。

厚かましいことに、そして勝手にも「これもご縁なのだろうから」と、道すがら思いこんでいた。

幸いにも快く会ってくださり、丁寧にご対応を賜った。

ありがたいことであった。

しかし34歳になる大人が、思いこみで行動していいはずがない。「ご縁」などというのは、本当に思いこみでしかないことも、多いのだろうし。

私が取材と称して、面晤を乞う方々もまた、私の「ご縁」という幻想に、ひょっとしたら迷惑されているかもしれないのだと考える。

それでもまた、「この方に会ってみたい」「あの方に話を聞かせてもらえないだろうか」などと懲りずに考えるのだが。
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# by tamaikoakihiro | 2010-04-28 23:05 | 雑感 | Comments(0)

歴史と証言者

先日、東亜経済調査局附属研究所(大川塾)五期生の方を、世田谷のご自宅に訪ねた。

いつお目にかかっても気さくにお話下さる方である。

その方は戦後、貿易商社、大南公司――社長以下、その昔はベトナム独立運動を支援した一面も持つ――勤務、会社経営などを経て、現在は煙草店を営んでいらっしゃる。

その方が話の流れから、不意にこう仰った。

「二期生のあの人ね、この前亡くなったそうですよ」

その二期生の方に私は二度、やはりご自宅にうかがって話を聞かせてもらったのだった。

奥様に先立たれて、お一人で暮らしていた方だった。ご自宅にある大川周明ゆかりのものをいろいろと見せてもらい、当時の写真も撮影させて頂いた。

私は歴史を目で見て、話に聞くことができた。

歴史を体験した人が、亡くなると、それだけ歴史の肌触りが消えていくのだろうと思う。

人が亡くなっても、いや、「史料がある」という考え方をすべきなのだろう。

しかし、話を聞き、そこから史料と呼ばれるものにある何かへと向かってみたい私は、幼稚なせいもあるのだが、なかなか「史料がある」とは思えない。
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# by tamaikoakihiro | 2010-04-27 23:48 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)