大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro

カテゴリ:作家( 52 )

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『編集者冥利の生活』(古山高麗雄・中公文庫)に収録された戦後間もない頃の作品、「裸の群」を改めて読んで気づいた。

まあ、これは思いつきというか、何の確証もないけれど、作者を投影している、サイゴン中央刑務所の同房の日本人の中でフランス語を唯一操れるという「朝田」という主人公。

「ああ『朝』なのだな」と思った。「裸の群」を原型にしてなった「プレオー8の夜明け」(芥川賞)は、サイゴン中央刑務所の「朝」の光景から始まるのだった。

まあ、当然か、「夜明け」と「朝」。

あの作品、すなわち「プレオー8の夜明け」は、朝を待つ作品だったのかなあと思った。それを託して、「朝田」と、原型の作品では名付けたのだろうかなあ。

ちなみに上の写真は2017年に撮影したサイゴン中央刑務所あたりの風景。
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こちらは裁判所の建物の装飾。

「プレオー8の夜明け」では、馬車が近くの通りを行く感じが書かれていたけれど、今はバイクの洪水なのであったな。

裁判の記録も詳しく見て、いかに彼が助かりたかったか、を感じた気がする。芥川賞を受賞してから発表した作品では、割合、淡々と裁判のことを書くものが多かったけれども、カタカナ交じりの日本語で記された裁判記録には、言葉を筋道立てて使い、説得的に話す姿が残っていたなあ。
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上の写真は、自分がベトナムに住んでいた折に乗っていたと思しきバイクを見つけたときのもの。真ん中のヤマハmioがそれだけれども、ナンバーをあとで詳しく見たら、違っていた、ま、当然か。



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by tamaikoakihiro | 2018-09-15 22:28 | 作家 | Comments(0)
今年も八月が終わる。毎日考えるけれども、戦争のことをあれこれ考えた。
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月の半ば、古山高麗雄の『編集者冥利の生活』(中公文庫)をご恵贈頂いた。本当にありがたいことだと思う。

孫にあたる方がアメリカに在住で、そのことで連絡を差し上げると、先頃出産なさっていて、お子さんには祖父にあたる古山の名前からとった名前をつけたと仰っていた。

アメリカとの戦争のために兵隊にとられた古山は、雲南の山奥で、アメリカ式装備の中国軍(米式重慶軍)を相手の作戦に従っている。

歴史とか不思議な縁とか、あれこれ考えると万感、胸に迫るものがあるな。

戦争が終わると、戦犯裁判が始まった。

古山も戦犯だった。戦争が終わって、再び戦わされるとは、本当につらいことだったろうなと思う。

同じフランス裁判を受けた方のご子息とも、先頃お目に掛かった。お父様のことをあれこれ伺った。

敗戦の日を、終戦の日と言い換えたり、八月十五日ばかりを考える心性には、ちょっと疑問を持つ。

歴史は、そんなに単純では、ないものなあ。

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by tamaikoakihiro | 2018-08-31 11:24 | 作家 | Comments(0)
10月発行の「こころ」に小文を書く機会を頂いた。

新卒で入った出版社で働き始めた頃に読み、以後しばらく、共感と畏怖とを抱きながら、単行本が出るごとに買っていた小説家がいたのだけれども、すでに物故している。
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その小説家の妻であった方が書いた作品についての書評を、とお話があって、ためらうところは、いつもながらありはしたものの、書かせてもらった。

途中、原稿について、何人かの人に、有益な指摘をもらった。ありがたいことだった。

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by tamaikoakihiro | 2017-10-05 21:33 | 作家 | Comments(0)
『レイテ戦記』(大岡昇平・中公文庫)をようやく読み終えられそうだ。何度か挫折していたから、嬉しい。

戦史室にあるだろう戦闘詳報の類かと思えるほど、細部に入り込んだ戦闘経過の記述にはついて行けないこともある。

地理感覚に優れた人だったのだろうと思う。フィリピンの山野を実地で知らない私からすると、どこにどの部隊がいるのかわからなくなる。

東京に衛戌地のあった第一師団(通称号「玉」)が、レイテの決戦に敗れてから、セブ島に渡っていたとは知らなかった。

セブ島は、このところ夏休みシーズンを当て込んでか、自動的に表示されるネット広告でよく見かける。美しい海があるらしい。

たかだか七〇年ほど前に、レイテからセブへと渡ろうと、必死の思いで船を操っていた若者たちのことを、想像する。
自分が四十を過ぎても、当時、必死の境地にあった人たちのことは、なぜか相当に年上の人のことのように思える。
(実際には二十歳から三十歳代の人たちが多かったのではないかと推測する)

『レイテ戦記』で面白いのは、西洋の文学に親しんだ著者らしい、怜悧な分析が随所に見られるところだな、と思う。

例えば――

しかしその(当時の日本の:引用者)軍事力の基礎は国民である。
徴集制度は、近代の民族国家の成立の根本的条件であるが、それが政治と独立した統帥権によって行われる
場合、反対給与を伴わない強制労役となる。

なるほど、と思う。イデオロギーによって書かれた言葉というよりも、自らが下級兵士として戦った経験が言わせた論だと思う。



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by tamaikoakihiro | 2017-06-27 22:13 | 作家 | Comments(0)

福島、宮城

昨夏、宮城県の七ヶ宿に行ったけれども、途中、福島を通過した。

2004年、無職だったとき、訪ねた。ベトナムから帰ってからも訪ねた。

福島は短時間しかいたことのない町だけれども、印象深い。古山高麗雄が所属した第二師団は、宮城、福島、新潟の隷下部隊からなる。

BC級戦犯が裁かれたサイゴン裁判の資料を見ていると福島出身の人が多いことがわかる。

また訪れることになるのだろうか。
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by tamaikoakihiro | 2017-01-07 19:33 | 作家 | Comments(0)
陸軍航空士官学校に学んだ方に話を伺う機会を得た。東京陸軍幼年学校を経て予科士官学校、航空士官学校と進まれた方で、敗戦時、満洲で訓練中だったそうである。

航空士官学校は、私の身近にあったものなのだが、ほとんど無知である。「入間基地」として知っていたところに、あったことを、大人になって、それもだいぶしてから知った。それに隣接する稲荷山公園は幼少時、親に連れられて遊びに出かけたはずなのである。

かつて占領軍が使っていたと聞く、洋風の家屋というか小屋のようなものが、いくらか公園の中には残っていた。

米軍ハウスなどといって、近隣に残っている占領軍の建物を住まいとする人もいるらしいが、詳しくは知らない。

私は占領より前の時代のことにもちろん関心が会って、その方に会った。

幼年学校、陸士の教育、昭和天皇のこと、切腹のことなど、あれこれととりとめもなく伺ってしまった。淡々とお話をされる方で、無知無学の私には本当にありがたいことだった。
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by tamaikoakihiro | 2016-11-16 23:59 | 作家 | Comments(0)

落ちこぼれる

飯尾憲士の短編「魂たちへ」を読んだ。特攻にまつわる作品である。

印象的な一節があった。「落ちこぼれるのは、大変むずかしいことです。それに又、溢れ出るもののない人間は、落ちこぼれることなどできません」

飯尾憲士自身、敗戦後に入学した熊本の第五高等学校では落ちこぼれて、ぎりぎりの成績で卒業した旨、別の作品で書いていた。小説だったかもしれないから、こしらえているところがあるのかもしれない。
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でもだいたい事実だろうと思う。

第三高等学校を中退した古山高麗雄もまた、飯尾が書いたような、溢れ出るものがあったのだろうかと思う。

二人に共通するのは、朝鮮半島である。古山は朝鮮新義州の生まれ。飯尾の父は朝鮮半島から日本内地に来たという。飯尾は自らを「混血児」とどこかに書いていた。

むずかしいことを、まったくできなかった自分のことを、思う。

できなかったことをしてきた人には、やはり憧れる。
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by tamaikoakihiro | 2016-10-28 00:08 | 作家 | Comments(0)
NHKのラジオで、古山高麗雄のことが放送されていた。肉声に接すると、「ああ、なぜ生前、自分は知る機会がなかったのだろう」と思う。

朝、パソコンで聞いていると、涙が出そうになった。不審がられるので、泣かなかったけれども。

『カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス「古山高麗雄」』

私が古山(人前で話すときは「先生」と敬称をつけるけれども、ここでは省略する。そもそも面識のなかった人間が先生と呼んで良いものか……)を知ったのは没後だった。

返す返すも残念だ。

去る七月の終わり、ゆかりの地である宮城県七ヶ宿町に行く機会があった。昔は七ヶ宿村といったところで、古山の父のふるさとである。
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町の「水と歴史の館」には「古山高麗雄の世界」と題した展示がある。古山の遺品のうち、自宅にあったものが寄贈されたのである。

講演というか、集まった皆さんの前で、私がいかに古山を敬愛しているか、煎じ詰めるとそういうシンプルなことを、あれこれ本を書くときに参考にした資料を交えてお話しした。一時間と少し。
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生まれてはじめての体験だったので、たどたどしく、何を話しているのか、自分でもよくわからなかった、な。昼過ぎからだったので、もっとたくさんの人を寝かせてしまうと思ったけれども、熱心に聞いてくださっていて、ありがたいことだった。

いちばん反応がよかったのは、古山の第三高等学校時代の成績表をスクリーンに映して話したときかもしれない。

個人情報そのもの、ともとれなくもないけれども、京都大学の資料館で出してもらえたものだった。

「落第」の文字を見直すと、軍国の風潮が濃密に世を覆う頃に、鬱屈し、怠惰に流れ、学校を去ろうとしていた古山の姿が想像された。

私の話が終わったあと、古山のお嬢さんからは「父は(講演は)あなたよりうまかったと思うな(笑)」と、慰めの言葉(?)をもらった。お嬢さんが同道くださったので本当に助かった。
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何より嬉しかったのは、古山と生前関係のあった親族の方々、知人の方々が、古山のお嬢さんと初めて会うことに、大変な喜びを示して下さったことだった。

古山は家庭では、何と言えばいいのか、軽んじられるタイプの夫であり父親だったらしい。芥川賞も「父がとれるとは思わなかった」というのがお嬢さんの弁である。だから古山に対する辛辣な見方をお嬢さんは教えてくださるわけだけれども、伺うエピソードから、家庭人としての一面、また愛妻家らしい優しさもほの見えたりして面白いのだった。

父娘の距離が近い関係よりも古山家のような懸隔のありかたが、私にはむしろ好ましく思える、人間らしさがある意味でにじんでいる、というか。

当日は、古山の親類にあたる方で、取材時にお世話になった方が、たくさんの拙著を持参くださっていた。サインをと言われたときは面食らったけれども、これも嬉しいことだった。

親類筋の方々と記念撮影ができたのも、ありがたいことだった。
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取材時にお世話になった、前館長の方、雪の中いっしょに「伐開路」(これは古山の三部作『フーコン戦記』で印象的に出てくる言葉だ)をつくった元館員の方に再会できて、これも嬉しかった。

元館員の方とは、昨年本をお送りしたときに電話でお話ししていた。「出ましたね!」と喜んでくださったことが、思い出された。

古山はベストセラーを出すような小説家ではなかった。そのため、と言って良いのか、読者と丁寧に手紙でやりとりをして、実際につきあいをしていた。会うこともあったようである。

そういう姿に憧れていたから、自分がそれに近いことができた七ヶ宿訪問は、実にいうことのないくらい充実した機会になった。

また訪れたいな、と思う。今回は初めて緑におおわれた七ヶ宿を見た。美しかった。「水と歴史の館」の玄関に置かれていた夜香木の花は、いま咲いているだろうか? あまくにおっているだろうか?

そうだ、もし古山に生前私が会えていたとして――果たして私はどう思われただろう?

私のような四角四面な人間を、古山はあまり好かなかったのではと思う。いや、独特の包容力で「そういう奴か」と受け止めてもらえたかもしれない。

しかし想像でしかない。

振り返って、会ったことのない人のことを書けたのは、やはり望外のことだったなと思う。ずっと助けて下さった編集者のKさんにも、ここでこっそりお礼の言葉を……
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by tamaikoakihiro | 2016-08-11 00:08 | 作家 | Comments(2)

朝鮮新義州

『満洲難民 三八度線に阻まれた命』(井上卓弥・幻冬舎)という本を読んでいたら、古山高麗雄の初期の長編小説『小さな市街図』を思い出した。

「吉岡久治が朝鮮新義州の市街図作りを始めたのは、昨年の五月だった」で始まる小説である。新義州からの引揚のことも書いている。古山は新義州生まれだけれども、敗戦は仏領印度支那で迎えているから、戦後の朝鮮半島からの引揚は体験していない。

執筆にあたっては、関係者に取材して歩いたようである。

後半で主人公が、娘に新義州の話をしていて、通じない場面が出てくる。トーキーの映画館ができたときのこと、元旦に楽隊が門付けにきたこと……どれも娘には「?」なのである。

これは古山自身が体験したことなのかもしれないな、と想像している。戦後生まれに、植民地のことを話しても通じないのは不思議なことではない。断絶を感じたことだろう。

しかしそれを大仰に言い立てないのが、古山の作品の魅力だと思う、な。
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by tamaikoakihiro | 2016-06-04 04:56 | 作家 | Comments(0)
芥川賞作家、古山高麗雄がサイゴンで受けた裁判の記録がある。傍聴記録もある。

『戦争小説家 古山高麗雄伝』に書き込めなかったことを、「こころ」(平凡社)でエッセイとして書く機会をもらった。
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エッセイというのは、初めて書くものだったから、緊張した、というか難しかった。
野球で言えば、速球くらいしか投げられないのに、緩いカーブを投げる感じ、だろうか?
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緩いカーブを投げよとサインを出してくれた、編集のKさんに感謝するほかない、なあ。
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by tamaikoakihiro | 2016-02-05 03:57 | 作家 | Comments(0)