大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro

カテゴリ:雑感( 94 )

『軍国日本の興亡』(猪木正道・中公新書)を読んでいる。

冒頭がすごく面白かったのだけれども、全体も、もちろん面白い。

新書が面白い、というのはいいことだなあ。というか書いている人が、すごいのだなあ。

以下、まったく知らなかったこと。

――陸軍では「一天、二表、三敬礼、四馬鹿」が昇進に役立つといわれていた。一天は陸軍大学卒を示す天保銭に似た徽章を意味し、表は図表などを器用に作成する能力を指し、三敬礼は厳正な敬礼が上官を喜ばせたことをいい、四馬鹿は上官の感情を害したり誇りを傷つけたりすることをいわず、愚直に徹すれば昇進の機会に恵まれることを指す。――

二番目の「二表」が興味深い。今風にいうと、PowerPointやExcelを使いこなせる能力になるのだろうか、な。

次の一節も。

――思うに、日本の陸軍には日露戦争に勝利した頃から、将軍はほとんどすべて大山元帥気取りとなり、万事を幕僚に任せるという弊風が顕著となった。――

辛辣だけれども、しかし、いわゆる左翼的なステレオタイプに流れて批判するのではない、強さを感じるのだなあ。

[PR]
by tamaikoakihiro | 2018-03-25 19:54 | 雑感 | Comments(0)
『伝わらなかった真実』(上坂冬子・中公文庫)を読んだ。戦争にまつわるノンフィクションの書き手というイメージが強かった。著者自身の生涯を振り返る要素があって、読んでいて飽きなかった。

BG(ビジネスガール)評論家として活躍し、その後、ノンフィクションに転じたという経緯は迂闊にもまったく知らなかった。

印象に残った言葉。「物事を決定する場合には逡巡に重みがあると私は考えていた」――

そうか、そういう言い方が、あったのかと、目を開かれる気がした。

[PR]
by tamaikoakihiro | 2018-01-06 01:46 | 雑感 | Comments(0)
a0153209_21180320.jpg
出かけた先の団地の一隅で、クリスマスツリーのライトアップを見た。

ベトナムのクリスマスを、思い出した。友人が「ノーエン、ノーエン」と言っているので何のことか尋ねた。
Noel、フランス語が少しなまった感じになっているのだろうか、そういうことだった。

ノーエンのとき、借りていた部屋の近所にあった、フランス統治期に建てられたのであろう、教会を覗きに行ったらたいそうな人混みだった。
a0153209_21300704.jpg
(写真は友人の家の近くにある別の教会=ハントンタイ教会)

フランス統治の影響でベトナムにはカトリックが多くいて、立派な教会が多く、そこに集う人たちの姿もよく見かけた。
異邦人による支配の名残というと、聞こえが悪いけれども、そうだ、知り合った老女も南部ファンラン出身、カトリックだった。

彼女は米軍で働いていたと言っていた。そのため、「VCがこっちに来てから私は辛いことばかりだ」と、恨み言を私に言った。
最初、「ヴィーシー」の意味が分からなかったけれども、Viet Cong(越共)のことなのだった。

米軍のために働いていたら、それは戦争後、苦労しただろうと思う。彼女には、ハントンタイ教会で話しかけられた。
以後何度か話を聞かせてもらった。
a0153209_21422390.jpg
(近所にあったタンディン教会。いまは何色に塗られているのだろう)

彼女はしきりと、「アメリカに行きたい」とこぼしていた。親戚の家に住まわせて貰っているような感じだったと思う。
訪ねていくと、その親戚らしき人がでてきて、少しよそよそしげだった。

10年たってしまった。




[PR]
by tamaikoakihiro | 2017-12-21 21:44 | 雑感 | Comments(0)

Bap Xao、いちょう団地

いちょう団地に行って、近くのお店でBap Xao(トウモロコシ炒め)を食べた。ベトナムに住んでいた時分、腐臭のする運河の近くのカフェでコーヒーを飲んで、夜をよく過ごした。同僚のベトナム人の友人がよく誘ってくれた。

「何か食べよう」と言って、注文するのがこの食べ物だったと思う。屋台を引く人に注文して、その場でつくってもらう。トウモロコシは日本のものと違い、甘みがない。辛みのあるソースをかけて食べた。

今回久しぶりに食べて、以前を思い出した。日本に来て、数年というベトナムの青年と話した。ラクジャーという、かつて日本軍の航空隊が、シンガポール沖のイギリス東洋艦隊に向けて発進した基地のあるフーコック島の対岸の省都が故郷だといっていた。
a0153209_04455377.jpg
ラクジャーなら、2005年に行ったことがある。バイクもさほど多くない町で、パフパフーと音を鳴らして廃品回収の自転車が流していた。スターバックスの贋の看板を掲げたカフェがあった。いまは本物が、ひょっとしたらあるかもしれない。


[PR]
by tamaikoakihiro | 2017-11-19 04:51 | 雑感 | Comments(0)
「歴史はある意味で、いつも結果論であるし、思想はつねにイデオロギイとして機能するから」云々とあった。『近代の超克』(冨山房百科文庫)を読んでみて出会った、竹内好の文章。

そうだ、結果論で思うのは、いつも私自身、歴史を眺めていて「結果しか、自分の目の前にはないなあ」と当たり前なのだろうけれども、思う。

何の結果か。

それは大東亜戦争、戦後、太平洋戦争と呼ばれた戦争である。
a0153209_20502561.jpg
(植民地時代のサイゴンの地図)

すべてが、というわけでもないけれども、身の回りのことの多くが、戦争の結果だなあと感じる。

住まいの上空かなり低いところでアメリカの飛行機が飛ぶこと(たぶん横田基地に行くのだろう)、流行の音楽のたいていは横文字まがいだったりすること、隣国との関係が、どうも不安定なこと(隣国と円満な関係を築いている国は、あまり多くはないと思う、それはベトナムとカンボジアの関係とか、いろいろと見ればわかる)……

結果しかない世界で、育ってきたような気が、どうにもする。

80年代半ば以降の浮かれた消費文化の中、10代を過ごしたけれども、内需拡大を押しつけられた結果なのだろうとか。

良い本を、読むことができた、な。


[PR]
by tamaikoakihiro | 2017-09-26 20:52 | 雑感 | Comments(0)

敗戦、終戦、記念日

「終戦記念日」という言い方がある。

八月十五日のことである。敗戦といわず、終戦と言うことに違和感を覚える人は、ある程度、いるようだ。

小説家の古山高麗雄は、違和感をどこかで書いていたと記憶する。近くでは車谷長吉も書いていたなと思う。

そして「記念日」。記念日というと、何かおめでたいことに使われそうである。「結婚記念日」とか。

すると、敗戦は、喜ぶべきことだったのだろうかと思ったりする。(あの戦争にもし勝っていたら、浮かぶ瀬は無かったと、古山が対談で語っていた)

a0153209_03533616.jpg
(写真は十年以上前、ベトナムで撮影したもの)

[PR]
by tamaikoakihiro | 2017-08-14 03:54 | 雑感 | Comments(0)

高座渋谷、いちょう団地


a0153209_21282612.jpg
小田急江ノ島線高座渋谷駅を降りて、東海道新幹線が下を走る道路を渡り、細い道を下った。「昼なお暗い」という表現がよくあてはまりそうな道には、街灯があって、それが点灯していた。左手に神社があった。

安いことで知られるスーパーを見てから団地の敷地内に入ると、よくこの団地を紹介するときに紹介される、数カ国語で記された看板の類を目にする。

バイヨン寺院の写真を看板に使った食料品店に入った。カンボジアのものばかりでなく、ベトナムやタイのものもあった。東南アジアの市場でかぐにおいがあって、懐かしい感じがした。お茶や調味料を買う。

店の人は、80年代に日本に来たということだった。自分がまだ10歳にもなっていない頃から、異邦で生きてきた人がいるのだな、と思う。

ベトナム人向けの食料品店兼喫茶店のようなところにも入ってみる。ベトナム語でコンデンスミルク入りのアイスコーヒーを注文すると、「ああベトナム語が話せるのね」と、店の人に言われる。
a0153209_21345417.jpg
「少しベトナムに住んでいました。でも難しいですね」と返事を、調子に乗ってベトナム語でしてみる。

「ベトナム人の奥さん、いるの?」と、ベトナムを旅行していた折に、しばしば聞かれたことを、ベトナム語で聞かれる。懐かしいなと思い、事実を述べる。

アイスコーヒーを飲んで涼んだ。違うテーブルには、赤子連れのベトナム人女性3人がいた。店の人との会話を聞いていると、ホーチミン市出身らしかった。しかし、どうも旅行者のようでもある。

店の人が「オンセンに行きなさいよ」としきりに勧めていたから、そう思ったのである。

店の人は、30年ほど前、日本に来たらしい。出身は、これまたホーチミン市だと言っていた。鳥がさえずるような、抑揚のなめらかな南部の言葉を、これまた懐かしく思った。

店を出て、駅まで戻った。電車を待っていると、反対のホームに店にいた赤子連れの女性たちがいた。そのうちの一人、おそらく赤子の母である人が手を振ってくれた。片言のベトナム語を話す日本人に、優しいなと思う。

約10年ぶりにベトナムを再訪するわけだけれども、いい練習になった。

[PR]
by tamaikoakihiro | 2017-08-08 21:29 | 雑感 | Comments(0)
『証言その時々』(大岡昇平・講談社学術文庫)を読み直した。「群像」に寄稿した随筆があった。

「戦争を知らない人間は、半分は子供である」と、私は昭和二十六年『野火』の中に書いた。
これは私の書いたものの中で、評判の悪い句である。若い人の批判があり、私信で抗議がよく来る――とあった。

そのあとを読むと、「戦争を知らない同年配の人に向って、アイロニーとしていったつもり」だったことが書かれている。

そうだったのか。私は、てっきり、戦争を知ることなく、「反戦平和」に流れる戦後の風潮を皮肉ったものであり、
徴兵年齢に戦時中、達していなかったであろう若者に向けた言葉だと、思っていた。

しかし、大岡が会社員だったところからフィリピンの戦地に送られたように、普通の人が、ある人は戦地に行き、ある人は
いかずに済んだ現実が、やはりあったのだろう。

そして、大岡自身が戦地で大人になった、という実感があったのではないのだろうか、と想像する。
戦争ぐらいで人間の本質は変わらない、といったことを『証言その時々』の中の随筆に書いていたけれども、
そんなことではないかな、と思う。


[PR]
by tamaikoakihiro | 2017-05-20 06:03 | 雑感 | Comments(0)
天皇陛下がベトナムを訪問している。ベトナムに残留した日本兵の家族に会ったということだ。たぶん、兵の階級だけでなく将校の階級でも家族を持った人がいただろうと思う。

10年前、残留した日本人のことを書かせてもらう機会があった。

もっと前、そうだ、10数年前、ベトナムに残留してその後、帰還した将校の一人にお目にかかって話を伺った。多摩の山の方にお住まいだった。確か、お宅を訪ねて行ったのだった。

a0153209_01062521.jpg

写真は中部クアンガイという町で撮影したもの。クアンガイに、日本人が指導するベトナムの陸軍士官学校がつくられたのだったと記憶する。そのことも伺った。


そのあと、ベトナムに移り住んだ。そして、ベトナム戦争終結後しばらくまで残留していた、元日本兵(といってもその当時は成人男子の義務だったから、兵隊というのは特殊な存在ではないのだが)の一人に話を何度か聞いた。結構な頻度でお宅を訪ねた記憶がある。

a0153209_01051780.jpg
日本でお目にかかった元将校の方は、まさしくベトナム独立同盟(ベトミン)の幹部を育てた人であった。要するに、現在のベトナムの軍隊の根幹に関わったといって差し支えないだろうと思う。

ベトナムでお目にかかった方は、朝鮮新義州にも一時期住んでいたことがあると語っていた。あるいはどこかで古山高麗雄とすれ違っていたかもしれないと、今になって思う。

残留したのは軍人だけではなかった。家族で残留した方にも話を聞く機会があった。その方(女性)の父上が、ベトミンの中枢から信頼されていたという話を伺った。

ベトナムのことに関心をもって10年以上が経ったな、と思う。

a0153209_01084922.jpg


写真は北部バクザン省のボハというところで撮影したもの。老女たちが集まっていたところで、拙いベトナム語でいろいろ訪ねた。その場所にはかつて、新ベトナム人とよばれた、残留日本人が住んでいたのだった。その日本人は、戦時中サイゴンにあった日本の専門学校、南洋学院の卒業生だった。仮にNさんとしておく。Nさんはすでに物故していたが、同級生だった方には何度も話を伺った。

それでボハに行きたくなった。「日本人がいましたよね?」としつこく問うと、「日本人じゃない、新ベトナム人だっ」と老人たちに言われたことが、記憶に強く残っている。あるサイトにそのときのことを詳しく書いたものを載せた。

a0153209_01120930.jpg

写真はボハの水田。泥の道をバイクタクシーのお兄さんに運んで貰った。ときどき橋で、通行料金というのか、お金を払っていたように思うけれども、あれは記憶違いだろうか。

a0153209_01131571.jpg

ボハの寺。ああ、もう二度と、訪ねられない場所を、数時間で去ったことを、今更悔いてしまう、なあ。

a0153209_01140110.jpg






[PR]
by tamaikoakihiro | 2017-03-04 01:14 | 雑感 | Comments(0)
飯尾憲士の作品を読んでいる。本日読了したのは『開聞岳』(集英社)。
a0153209_5143640.jpg

特攻隊員の中にいた朝鮮出身者たちのことを追った作品である。執拗な、といった言葉が、その取材姿勢にはふさわしいようにも思えるけれども、とにかく『自決 森近衛師団長斬殺事件』(光人社)を読んで以来、気になっていた作家だから、読めてよかった。

飯尾憲士自身は、父親が朝鮮半島出身で日本に渡った人で、母親は日本人だったそうである。

そういう自分の血に偏執して、というと言葉が不適切かもしれないが、作品を書き続けた人の生涯を想像する。何に執念を向けることの必要もなく、生活するわが身ゆえのことなのだろうな、と思う。
[PR]
by tamaikoakihiro | 2016-10-07 05:15 | 雑感 | Comments(0)