大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro
「週刊新潮」2月14日梅見月大増刊号の“「神奈川の巨大アジア団地」を歩く”で、コメントをする機会があった。2017年の夏に初めて訪問して、現在に至る。昨日は雪中、出かけてきた。

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インドシナ(ベトナム、カンボジア、ラオス)からのボートピープル一世、その二世、最近、働きに来た人たち、いろいろと知ると、奥の深いことに気づく。

入管法改正は、唐突だったようにも、私のような素人は感じるけれども、しかしこれから変わることがたくさんあるのだろうと思う。




# by tamaikoakihiro | 2019-02-10 11:40 | 難民 | Comments(0)

復員、逮捕、戦犯裁判

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昨年四月、大阪に行ったときの写真を見直す。有益な写真が、あまりなくてがっかりする。

ランソン事件にかかわったがゆえに、いったん内地に復員後、サイゴンへ連れて行かれ、そこで戦犯裁判を受けた人のうちの一人が、大阪出身であるらしい。

そこで出かけていって、出身学校の現在の姿を確認したのだった。

七〇年もたてば、何か当時を感じさせるものがなくて、当たり前である。大阪は空襲に遭っているだろうし、その学校の付近も被害を受けただろうと想像する。

当時、上級の学校に進めたということは、それなりの家庭の人だっただろうし、いわゆる知的階級にあったのだろうと、これまた想像する。
(学校は工業系の専門学校である)

ほんの偶然で、有為の青年が、せっかく生還した郷里から引きはがされ、南溟の地で死刑を宣告される。なんとむごいことなのだろうと思う。


# by tamaikoakihiro | 2019-01-26 00:04 | 戦犯裁判 | Comments(0)
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年が暮れる頃は、寒くてやりきれないけれども、ベトナムに住んでいたときは気楽だった。休みも土日休み程度で、あれは勤めていた会社のせいなのかもしれないけれど、年末感は薄いし、分厚い上着も不要だから、そういうので、気楽に思っていたのだろう。(写真は旧カチナ通り、現在のドンコイ通り。2005年頃撮影)

大戦中、サイゴンにあった南洋学院(高等専門学校)に学んだ人たちに話を聞き、南方暮らしに憧れ、取材も兼ねて渡航した挙げ句、住んでみたのが、10年以上前のこと。彼の地で、大川周明の弟子であった方にも出会い、本を書く機縁を得た。
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(南洋学院校舎。2007年撮影)

サイゴンに住まって、ベトナムのことを日常から学んだ気がする。たいして役に立つことでもなかったのかもしれない。しかし、友人を得ることもできたのは、大川周明が、若い弟子たちに外地に行ったら一人の友人をつくれと諭したことを、実践できたようで、今も嬉しく思っている。

2019年のテトはいつなのか、今度友人にチャットで聞いてみよう。
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写真中央の建物は、大川周明とも親交があった松下光広という実業家が営んだ、大南公司のサイゴンにおける店舗があったと思しき建物(2007年撮影)。大南公司では、大川の弟子たちの多くを南方で受け入れた。






# by tamaikoakihiro | 2018-12-31 06:27 | 南洋学院 | Comments(0)

難民、移民、外国人

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いちょう団地のお祭りに出かけたのがついこの前のようだけれども、とても寒くなった。

あのときは、うまくてお高くとまっていないベトナムやカンボジアの料理をたくさん食べた。いいところだなあと、観光者の気分で歩いたわけだ。

しかしお祭りは、当然だけれども、日常ではないのである。

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(上の写真は、団地に行ったとき、ときどき調味料を買わせて貰っているキムフック商店の屋台、だったと思う)

お祭りの中で、日本人の住民が、外国籍住民のことで、あまりよいように言わないことがあると、聞いた。知人が聞いたところでは、相当に悪く言う人がいたらしい。そういうことも、残念だけれども、やっぱりあるのだろう。

あれ以降、僅かな日数で、外国人労働者の受け入れだの、支援だの、いろいろなことが決まる方向にあるようだ。

しかしこうした団地で何が起こってきたか、いまどんな風になっているのか、どこまで知られているのだろうかな、と思う。



# by tamaikoakihiro | 2018-11-27 00:01 | 難民 | Comments(0)
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昨夏、はじめて訪れて、以来、月に二度、三度、多いときは四度、五度と行っているいちょう団地(横浜市・大和市にまたがってある県営団地)。
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きっかけは、ベトナムが縁で知り合った写真家の方に存在を教えてもらったことだったのだけれども、その後、インドシナ難民の支援を長年している方、当の難民だった方、外国人と日本人の共生に意を砕いている方々の教示を得ることができた。

取材は、序の口というところなので、今回、「こころ」(平凡社)に載せてもらえたのは、だいぶ幸運だなと思う。
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ベトナムから、どうしても離れられないなと感じる。14年前、会社を辞めて本を読んでぐーたらしていた時期にベトナムに出会い(正確に言うと、学生時代に行っているから再会か)、移住して、帰って来てからも、気になり続けているなあ。

学生時代、密かに尊敬していたロシア文学の教授は、エッセイで、「ロシアと向き合うことは、自分にとっての日本を考えることにつながる」みたいなことを言っていたと記憶する。

これにならって言うと、ベトナムとベトナム人、日本と日本に住むベトナム人について考えることは、私には、日本とか日本人とか、あるいは私自身を考えることに、つながるのだと、思いたい。
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さて、明日はいちょう団地のお祭りだ。


# by tamaikoakihiro | 2018-10-05 21:25 | 難民 | Comments(0)