品川区上大崎のこと
2009年 12月 23日
東京都品川区上大崎。
目黒駅から歩いて数分のところである。
今は服飾関係で有名な杉野学園の校舎が並ぶ
通りである。近くには雅叙園がある。
昔このあたりにさる教育機関があった。
その名を満鉄東亜経済調査局附属研究所という。
所長はかの有名な大川周明。
なんだ右翼じゃないか、と思う人がいれば、
まだいい方なのかもしれない。
それって誰? と言われても戦後65年、おかしくはない。
しかしこの長い名称の教育機関を、そのままそう呼ぶ人は
ほとんどいなかった。
実際にそこで学び、戦前・戦中、タイ、ビルマ、フランス領印度支那に
派遣された人たちに聞くとこんな答えが返ってくる。
「寮と呼んでいました」
「研究所、でしたかね」
いま、その人たちでご壮健の方々に会い
いろいろと教えを乞うている。
「東亜」という言葉が、自然と出てくる会話になる。
戦後、アジアは近くなったのかどうか。
かつての青年たちほど、真摯にアジアを考えたことの
ない人の方が、私を含め、多いのではないだろうか。
ふとそんなことを思ったりする。
目黒駅から歩いて数分のところである。
今は服飾関係で有名な杉野学園の校舎が並ぶ
通りである。近くには雅叙園がある。
昔このあたりにさる教育機関があった。
その名を満鉄東亜経済調査局附属研究所という。
所長はかの有名な大川周明。
なんだ右翼じゃないか、と思う人がいれば、
まだいい方なのかもしれない。
それって誰? と言われても戦後65年、おかしくはない。
しかしこの長い名称の教育機関を、そのままそう呼ぶ人は
ほとんどいなかった。
実際にそこで学び、戦前・戦中、タイ、ビルマ、フランス領印度支那に
派遣された人たちに聞くとこんな答えが返ってくる。
「寮と呼んでいました」
「研究所、でしたかね」
いま、その人たちでご壮健の方々に会い
いろいろと教えを乞うている。
「東亜」という言葉が、自然と出てくる会話になる。
戦後、アジアは近くなったのかどうか。
かつての青年たちほど、真摯にアジアを考えたことの
ない人の方が、私を含め、多いのではないだろうか。
ふとそんなことを思ったりする。
by tamaikoakihiro
| 2009-12-23 11:00
| 東亜経済調査局附属研究所
|
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