大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro

玉姫

サイゴン裁判で、俘虜の虐殺事件が扱われて、日本軍将校四名が戦後もだいぶ経ってから処刑されている。これは、当然かもしれないけれどもA級裁判に比べて知られていない。

処刑された一人は、大阪の工業専門学校を出ている。当時ではまず知識階級の人と言って良いだろう。その人の所属部隊は中国の北部(華北)から出発して大陸を転戦南下し、佛領印度支那、タイと歩き通した、精強部隊なのである。

以前、その部隊に所属していた下士官の方々(将校の一歩手前、くらいと言うと語弊があるが、まあそんなところと想像して貰うのがよいと思う)に鹿児島でお目に掛かり、二回ほど話を伺った。八〇歳くらいだったと記憶する。

壮健と言う言葉が、これほど似合う人もいないだろうと思った。その人も、戦犯裁判にかけられなかったら、壮健な老年があったのだろうと想像する。

その人が復員後、指名手配されるや逃亡し、山谷近くで変名を使って暮らしていたことは以前書いてみた。「玉姫」という地名である。

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玉姫に関する資料を先日、閲覧した。貧窮する人々のための職業紹介所、子どもの面倒を見る施設などが集合した一角がそのあたりに戦前につくられたというのである。

その人が、職業紹介の仕事に逃亡中関わっていたというから、やはり戦前と戦後は地続きでしかないなと改めて思った。

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by tamaikoakihiro | 2018-06-22 23:12 | 戦犯裁判 | Comments(0)