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航空士官学校

航空自衛隊入間基地は、昔ジョンソン基地、その前は陸軍航空士官学校(修武台)といったとのことである。
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(写真は古山が復員時に乗船した日本丸船内にあったパネル)

入間基地に隣接した稲荷山公園には、米軍の住まいが残っていたと記憶する。近くに住んでいたことがあるから、ジョンソン基地のことまでは何となく知っていた。要するに、占領下に名前が変わったということだろう。そのあたりまでは大人が教えてくれた。

だが陸軍航空士官学校のことまでは、知らなかった。周囲から聞いた覚えがない。日本の現代史がいかに偏っているか、を示すようにも思う。

古山高麗雄のことを調べ始めて、同じ朝鮮新義州出身の方のお目にかかった。その方は、新義州の中学校を出た後、内地に来て航空士官学校に進んだということであった。

「では、入間基地の――」と思わず聞いてしまった。

敗戦は、しかし訓練のために渡満していて、埼玉・入間の豊岡にはいなかったということである。航空士官学校でいえば、作家・飯尾憲士による直木賞候補作『自決』という、敗戦直後の近衛師団長殺害事件を描いた作品がある。飯尾は航空士官学校で学んでいたそうで、作品でもそのことが触れられていた。

少年の頃うろうろした公園の近くのことを、大人になって知ると、不思議な感慨を持つなあ。しかしたかだが50年だとか、60年前のことを、誰も子供に言って聞かせないというのは、どうもよくわからないなあ。
by tamaikoakihiro | 2014-10-05 09:58 | 作家 | Comments(0)

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