沖縄
2011年 06月 25日
6月23日は、沖縄戦の終結の日だった。それを聞いて、長勇という軍人のことを思い出した。思い出したといっても知人でもないから、表現は正確ではないけれども。
長勇大佐は、沖縄戦で最後、自決した。
長勇大佐(のちに少将)の関係する特務機関にいた大川塾生がいた。その方にはお目にかかったことがある。その方が仏印にあって、慰霊の催しに参加したと、手記に記していた。長は仏印にも縁があるのだった。
そして長勇大佐は、大川周明と懇意なのだった。彼を追悼する文章を、大川はものし、戦後長の郷里で読み上げているくらいなのだ。何しろ若き日、クーデターをともに計画したくらいなのだから、懇意というか、刎頚の友というか、そういった間柄だったのかもしれない。
沖縄の戦闘の苛烈さや犠牲の大きさは、伝えられているだろうけれども、沖縄から大川塾、そして仏印に想像が及んだ。
長勇大佐は、沖縄戦で最後、自決した。
長勇大佐(のちに少将)の関係する特務機関にいた大川塾生がいた。その方にはお目にかかったことがある。その方が仏印にあって、慰霊の催しに参加したと、手記に記していた。長は仏印にも縁があるのだった。
そして長勇大佐は、大川周明と懇意なのだった。彼を追悼する文章を、大川はものし、戦後長の郷里で読み上げているくらいなのだ。何しろ若き日、クーデターをともに計画したくらいなのだから、懇意というか、刎頚の友というか、そういった間柄だったのかもしれない。
沖縄の戦闘の苛烈さや犠牲の大きさは、伝えられているだろうけれども、沖縄から大川塾、そして仏印に想像が及んだ。
by tamaikoakihiro
| 2011-06-25 16:55
| 東亜経済調査局附属研究所
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