再読
2011年 02月 14日
先日、出張の折に寝床で『妻の部屋』という古山高麗雄の遺作短編集を読んだ。数年前に一度、読んだから今回は再読だった。淡々とした筆致の中に、読み返したくなる一節がある。
「来し方ばかり」という一作には、旧友の同棲相手(元娼婦)と語り合い、自分たちには「来し方」つまり過去しかもうない、未来は長くない、と古山がいう箇所がある。
最近は、取材でお世話になった南方関係の方が亡くなっていたことを知る機会が続いていて、来し方を語ってくれたその方たちの姿を思い浮かべる。
ある元外交官の方(東亜経済調査局付属研究所出身)は、外交官時代に集めた各国の民芸品を、話が終わった後、いろいろと見せてくれたのだった。
そうだ、その方は、大川周明の揮毫も見せてくれた。
何と貴重なものを、私は見ることができた。そういった幸運を、忘れてはいけないな。
戦後のどうでもいい時期に生まれ、どうでもいい時期に青春を過ごしたから、余計にそう思う。
「来し方ばかり」という一作には、旧友の同棲相手(元娼婦)と語り合い、自分たちには「来し方」つまり過去しかもうない、未来は長くない、と古山がいう箇所がある。
最近は、取材でお世話になった南方関係の方が亡くなっていたことを知る機会が続いていて、来し方を語ってくれたその方たちの姿を思い浮かべる。
ある元外交官の方(東亜経済調査局付属研究所出身)は、外交官時代に集めた各国の民芸品を、話が終わった後、いろいろと見せてくれたのだった。
そうだ、その方は、大川周明の揮毫も見せてくれた。
何と貴重なものを、私は見ることができた。そういった幸運を、忘れてはいけないな。
戦後のどうでもいい時期に生まれ、どうでもいい時期に青春を過ごしたから、余計にそう思う。
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by tamaikoakihiro
| 2011-02-14 21:57
| 雑感
|
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