至軒寮と穂積五一
2010年 06月 28日
穂積五一という人のことを調べている。この人は戦前・戦中、至軒寮という学生寮を主宰していて、日中和平や反東条英機の運動をしたことでも知られている。
穂積五一のことは、どんな人であるか、まだ私はつまびらかにしない。
上述の他に知ったところでは、、戦後はアジアの留学生を受け入れる事業に注力し、留学生たちが住まうアジア文化会館を建てた。
閑話休題。昨日資料として読んでいた本で気になったのは、武田信近(慶応義塾大学出身)という人の名前が、至軒寮を訪ねていた人物の中に含まれていたことである。
この人は1930年代の後半にアフガニスタンやトルコなどを含めアジアを旅行している。途中旅券を紛失し、帰国時には「身元引受人は小泉信三である」といったとか。
武田は大川周明とも交流を持っており、大川塾の同窓会報にもその文章が掲載されている。
アジア主義、寮……そんな言葉から興味深い人物、存在が浮かんでくる。
至軒寮を教えてくれた方に感謝したい。狭い視野が少しだけ、広げられた気がする。そういうありがたい機会を与えてくれる方は、なかなか得ようと思っても得られないものだから。
穂積五一のことは、どんな人であるか、まだ私はつまびらかにしない。
上述の他に知ったところでは、、戦後はアジアの留学生を受け入れる事業に注力し、留学生たちが住まうアジア文化会館を建てた。
閑話休題。昨日資料として読んでいた本で気になったのは、武田信近(慶応義塾大学出身)という人の名前が、至軒寮を訪ねていた人物の中に含まれていたことである。
この人は1930年代の後半にアフガニスタンやトルコなどを含めアジアを旅行している。途中旅券を紛失し、帰国時には「身元引受人は小泉信三である」といったとか。
武田は大川周明とも交流を持っており、大川塾の同窓会報にもその文章が掲載されている。
アジア主義、寮……そんな言葉から興味深い人物、存在が浮かんでくる。
至軒寮を教えてくれた方に感謝したい。狭い視野が少しだけ、広げられた気がする。そういうありがたい機会を与えてくれる方は、なかなか得ようと思っても得られないものだから。
by tamaikoakihiro
| 2010-06-28 15:56
| 至軒寮
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