日本とタイが戦った
2010年 05月 13日
題名のようなことを書くと、「いつのことか?」と疑問を抱く人もいれば、そんなこともあったのだと頷く人もいるのだろう。
東亜経済調査局附属研究所(大川塾)の卒業生が戦前タイに派遣され、手記を残していることは、以前書いた。
その手記を読んでいると、マレー進撃の作戦の必要上、仏領インドシナを発してタイ領に日本軍が入ったときのことが、詳しく書かれている。
平和進駐と後日記されたが、実際には、タイの了解を取り付けられぬまま進駐なのだった。
だから当然タイ側は応戦する。
タイは「ほほえみの国」の異称を持ち、日本人が思い浮かべる東南アジアの国としては、ポピュラーなところだ。
それでも銃火を交えた歴史があるのだ。
東亜経済調査局附属研究所(大川塾)の卒業生が戦前タイに派遣され、手記を残していることは、以前書いた。
その手記を読んでいると、マレー進撃の作戦の必要上、仏領インドシナを発してタイ領に日本軍が入ったときのことが、詳しく書かれている。
平和進駐と後日記されたが、実際には、タイの了解を取り付けられぬまま進駐なのだった。
だから当然タイ側は応戦する。
タイは「ほほえみの国」の異称を持ち、日本人が思い浮かべる東南アジアの国としては、ポピュラーなところだ。
それでも銃火を交えた歴史があるのだ。
by tamaikoakihiro
| 2010-05-13 05:09
| 東亜経済調査局附属研究所
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