大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro

ベトナムの五目イカ炒め

団地に行って、ベトナム料理を食べた。
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五目イカ炒めとでも書けばいいのだろうか。お店の人に、メニューに書いてあるベトナム語の「イカ」の部分だけを読み上げたら、気さくな方なので、「全部読んで」とばかりに、「イカの~?」とベトナム語で聞いてくれる。

私が怪しい発音で答える。彼は復唱して、厨房に伝えていた。

ベトナムのコーヒーをアイスで飲んだ。暑い季節には、とても気持ちが良い飲み物だと思う。

ボートでベトナムを脱出した人たちのことを、聞くと、母国に希望が得られず、海に出るなんて……としばし想像力の貧しさを感じずにはいられない、な。

沿岸で官憲から銃撃を受けた、海賊に遭遇した、人の死を見た——そういう苦労をして国を出てきた人たちも、日本で子をなし、少しずつ老いているようである。

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# by tamaikoakihiro | 2018-07-15 22:35 | 難民 | Comments(0)

玉姫

サイゴン裁判で、俘虜の虐殺事件が扱われて、日本軍将校四名が戦後もだいぶ経ってから処刑されている。これは、当然かもしれないけれどもA級裁判に比べて知られていない。

処刑された一人は、大阪の工業専門学校を出ている。当時ではまず知識階級の人と言って良いだろう。その人の所属部隊は中国の北部(華北)から出発して大陸を転戦南下し、佛領印度支那、タイと歩き通した、精強部隊なのである。

以前、その部隊に所属していた下士官の方々(将校の一歩手前、くらいと言うと語弊があるが、まあそんなところと想像して貰うのがよいと思う)に鹿児島でお目に掛かり、二回ほど話を伺った。八〇歳くらいだったと記憶する。

壮健と言う言葉が、これほど似合う人もいないだろうと思った。その人も、戦犯裁判にかけられなかったら、壮健な老年があったのだろうと想像する。

その人が復員後、指名手配されるや逃亡し、山谷近くで変名を使って暮らしていたことは以前書いてみた。「玉姫」という地名である。

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玉姫に関する資料を先日、閲覧した。貧窮する人々のための職業紹介所、子どもの面倒を見る施設などが集合した一角がそのあたりに戦前につくられたというのである。

その人が、職業紹介の仕事に逃亡中関わっていたというから、やはり戦前と戦後は地続きでしかないなと改めて思った。

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# by tamaikoakihiro | 2018-06-22 23:12 | 戦犯裁判 | Comments(0)

政治に関わるべからず

五・一五事件の日が、過ぎた。「問答無用、撃て、撃てッ」と言って、首相を殺害した若者たちが、いたのだ、と当日は、思った。

五・一五事件には、大川周明も関わっていたのだけれども、東亜経済調査局附属研究所(大川塾)にもその人脈が、当然及んだのである。

私が何度もお話をうかがったある方は、数年前、亡くなった。その方は、「政治に関わるな」と、大川塾で言われてきたと語っていたな。

それを言ったのは、五・一五事件に関わった人たちであるとも伺った覚えがある。事件関係者の一部は、大川の計らいで、大川塾で少年たちの指導にあたった。

それを肯定的にとらえる人もいたし、やや否定的にとらえる人も、いたと記憶している。

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# by tamaikoakihiro | 2018-05-20 06:09 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)
ニュータウンの駅で降りてタクシーに乗り、丘を下って平地に出ると田圃が開けていた。
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関西に行ってきた。サイゴンで敗戦から6年も経って処刑された人の郷里を訪ねてみた。
(その人の容疑というのは、不運としか言い様のないもので、いや、責任など問われる必要があるのかといいたくなるものだと、思っている)
幸運なことに、その人のお墓のあるお寺を教えてもらえたので、期せずして墓参ができた。

行き帰りの風景は、田園である。「故郷の山河」という言い回しを、外地に戦争で行っていた人たちの手記でよく見たけれども、まさにそのものだなと思った。

サイゴンの獄窓にあって、どれだけここに帰りたいと思っただろうと想像した。

一昨年夏、大分を訪ねたときのことを思い出した。

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# by tamaikoakihiro | 2018-04-01 19:10 | 戦犯裁判 | Comments(0)

ベトナム語の落書き

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先日、いちょう団地に人を訪ねた帰り、車止めの落書きに気づいた。KHANHとある。北部弁だとカイン、南部弁だとカンと書く感じだろうな。

漢字にすると、「慶」だったか。しかし声調記号を理解しない私だから、これは想像でしかない。

これを書いた人は、ベトナム人だろう。「カン」という人に、何か思いがあったのだろうか。

何だろう。

「カンくん」という学生と、ベトナム在住時代、何度か会った。彼は、明るい人だった。飲食をともにしたのだったかな。

一度は、彼の友人で北部出身の、やはり学生と街中の犬肉料理屋に行った。食べたことがない、と言ったら、では行こうと誘われたのだった。

北部を旅行した折には、カゴに数頭の犬を詰め込み、後部座席にそれを積んで走るバイクを何度も見た。市場でそうしたカゴが並んでいるところにも出くわした。

南部の人は、犬を食べる習慣がないと聞いていた。

きついアルコール度数の酒を飲んで、レモングラスをかじって、肉をほんの少しだけ食べた。その学生は食べ方をいろいろ教えてくれた。

彼の名前はもう忘れた。カンくんの友人ということで、記憶に残っている。

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# by tamaikoakihiro | 2018-03-25 22:06 | 難民 | Comments(0)