大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro
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年が暮れる頃は、寒くてやりきれないけれども、ベトナムに住んでいたときは気楽だった。休みも土日休み程度で、あれは勤めていた会社のせいなのかもしれないけれど、年末感は薄いし、分厚い上着も不要だから、そういうので、気楽に思っていたのだろう。(写真は旧カチナ通り、現在のドンコイ通り。2005年頃撮影)

大戦中、サイゴンにあった南洋学院(高等専門学校)に学んだ人たちに話を聞き、南方暮らしに憧れ、取材も兼ねて渡航した挙げ句、住んでみたのが、10年以上前のこと。彼の地で、大川周明の弟子であった方にも出会い、本を書く機縁を得た。
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(南洋学院校舎。2007年撮影)

サイゴンに住まって、ベトナムのことを日常から学んだ気がする。たいして役に立つことでもなかったのかもしれない。しかし、友人を得ることもできたのは、大川周明が、若い弟子たちに外地に行ったら一人の友人をつくれと諭したことを、実践できたようで、今も嬉しく思っている。

2019年のテトはいつなのか、今度友人にチャットで聞いてみよう。
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写真中央の建物は、大川周明とも親交があった松下光広という実業家が営んだ、大南公司のサイゴンにおける店舗があったと思しき建物(2007年撮影)。大南公司では、大川の弟子たちの多くを南方で受け入れた。






# by tamaikoakihiro | 2018-12-31 06:27 | 南洋学院 | Comments(0)

難民、移民、外国人

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いちょう団地のお祭りに出かけたのがついこの前のようだけれども、とても寒くなった。

あのときは、うまくてお高くとまっていないベトナムやカンボジアの料理をたくさん食べた。いいところだなあと、観光者の気分で歩いたわけだ。

しかしお祭りは、当然だけれども、日常ではないのである。

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(上の写真は、団地に行ったとき、ときどき調味料を買わせて貰っているキムフック商店の屋台、だったと思う)

お祭りの中で、日本人の住民が、外国籍住民のことで、あまりよいように言わないことがあると、聞いた。知人が聞いたところでは、相当に悪く言う人がいたらしい。そういうことも、残念だけれども、やっぱりあるのだろう。

あれ以降、僅かな日数で、外国人労働者の受け入れだの、支援だの、いろいろなことが決まる方向にあるようだ。

しかしこうした団地で何が起こってきたか、いまどんな風になっているのか、どこまで知られているのだろうかな、と思う。



# by tamaikoakihiro | 2018-11-27 00:01 | 難民 | Comments(0)
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昨夏、はじめて訪れて、以来、月に二度、三度、多いときは四度、五度と行っているいちょう団地(横浜市・大和市にまたがってある県営団地)。
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きっかけは、ベトナムが縁で知り合った写真家の方に存在を教えてもらったことだったのだけれども、その後、インドシナ難民の支援を長年している方、当の難民だった方、外国人と日本人の共生に意を砕いている方々の教示を得ることができた。

取材は、序の口というところなので、今回、「こころ」(平凡社)に載せてもらえたのは、だいぶ幸運だなと思う。
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ベトナムから、どうしても離れられないなと感じる。14年前、会社を辞めて本を読んでぐーたらしていた時期にベトナムに出会い(正確に言うと、学生時代に行っているから再会か)、移住して、帰って来てからも、気になり続けているなあ。

学生時代、密かに尊敬していたロシア文学の教授は、エッセイで、「ロシアと向き合うことは、自分にとっての日本を考えることにつながる」みたいなことを言っていたと記憶する。

これにならって言うと、ベトナムとベトナム人、日本と日本に住むベトナム人について考えることは、私には、日本とか日本人とか、あるいは私自身を考えることに、つながるのだと、思いたい。
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さて、明日はいちょう団地のお祭りだ。


# by tamaikoakihiro | 2018-10-05 21:25 | 難民 | Comments(0)
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『編集者冥利の生活』(古山高麗雄・中公文庫)に収録された戦後間もない頃の作品、「裸の群」を改めて読んで気づいた。

まあ、これは思いつきというか、何の確証もないけれど、作者を投影している、サイゴン中央刑務所の同房の日本人の中でフランス語を唯一操れるという「朝田」という主人公。

「ああ『朝』なのだな」と思った。「裸の群」を原型にしてなった「プレオー8の夜明け」(芥川賞)は、サイゴン中央刑務所の「朝」の光景から始まるのだった。

まあ、当然か、「夜明け」と「朝」。

あの作品、すなわち「プレオー8の夜明け」は、朝を待つ作品だったのかなあと思った。それを託して、「朝田」と、原型の作品では名付けたのだろうかなあ。

ちなみに上の写真は2017年に撮影したサイゴン中央刑務所あたりの風景。
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こちらは裁判所の建物の装飾。

「プレオー8の夜明け」では、馬車が近くの通りを行く感じが書かれていたけれど、今はバイクの洪水なのであったな。

裁判の記録も詳しく見て、いかに彼が助かりたかったか、を感じた気がする。芥川賞を受賞してから発表した作品では、割合、淡々と裁判のことを書くものが多かったけれども、カタカナ交じりの日本語で記された裁判記録には、言葉を筋道立てて使い、説得的に話す姿が残っていたなあ。
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上の写真は、自分がベトナムに住んでいた折に乗っていたと思しきバイクを見つけたときのもの。真ん中のヤマハmioがそれだけれども、ナンバーをあとで詳しく見たら、違っていた、ま、当然か。



# by tamaikoakihiro | 2018-09-15 22:28 | 作家 | Comments(0)
今年も八月が終わる。毎日考えるけれども、戦争のことをあれこれ考えた。
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月の半ば、古山高麗雄の『編集者冥利の生活』(中公文庫)をご恵贈頂いた。本当にありがたいことだと思う。

孫にあたる方がアメリカに在住で、そのことで連絡を差し上げると、先頃出産なさっていて、お子さんには祖父にあたる古山の名前からとった名前をつけたと仰っていた。

アメリカとの戦争のために兵隊にとられた古山は、雲南の山奥で、アメリカ式装備の中国軍(米式重慶軍)を相手の作戦に従っている。

歴史とか不思議な縁とか、あれこれ考えると万感、胸に迫るものがあるな。

戦争が終わると、戦犯裁判が始まった。

古山も戦犯だった。戦争が終わって、再び戦わされるとは、本当につらいことだったろうなと思う。

同じフランス裁判を受けた方のご子息とも、先頃お目に掛かった。お父様のことをあれこれ伺った。

敗戦の日を、終戦の日と言い換えたり、八月十五日ばかりを考える心性には、ちょっと疑問を持つ。

歴史は、そんなに単純では、ないものなあ。

# by tamaikoakihiro | 2018-08-31 11:24 | 作家 | Comments(0)