大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro
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『編集者冥利の生活』(古山高麗雄・中公文庫)に収録された戦後間もない頃の作品、「裸の群」を改めて読んで気づいた。

まあ、これは思いつきというか、何の確証もないけれど、作者を投影している、サイゴン中央刑務所の同房の日本人の中でフランス語を唯一操れるという「朝田」という主人公。

「ああ『朝』なのだな」と思った。「裸の群」を原型にしてなった「プレオー8の夜明け」(芥川賞)は、サイゴン中央刑務所の「朝」の光景から始まるのだった。

まあ、当然か、「夜明け」と「朝」。

あの作品、すなわち「プレオー8の夜明け」は、朝を待つ作品だったのかなあと思った。それを託して、「朝田」と、原型の作品では名付けたのだろうかなあ。

ちなみに上の写真は2017年に撮影したサイゴン中央刑務所あたりの風景。
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こちらは裁判所の建物の装飾。

「プレオー8の夜明け」では、馬車が近くの通りを行く感じが書かれていたけれど、今はバイクの洪水なのであったな。

裁判の記録も詳しく見て、いかに彼が助かりたかったか、を感じた気がする。芥川賞を受賞してから発表した作品では、割合、淡々と裁判のことを書くものが多かったけれども、カタカナ交じりの日本語で記された裁判記録には、言葉を筋道立てて使い、説得的に話す姿が残っていたなあ。
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上の写真は、自分がベトナムに住んでいた折に乗っていたと思しきバイクを見つけたときのもの。真ん中のヤマハmioがそれだけれども、ナンバーをあとで詳しく見たら、違っていた、ま、当然か。



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# by tamaikoakihiro | 2018-09-15 22:28 | 作家 | Comments(0)
今年も八月が終わる。毎日考えるけれども、戦争のことをあれこれ考えた。
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月の半ば、古山高麗雄の『編集者冥利の生活』(中公文庫)をご恵贈頂いた。本当にありがたいことだと思う。

孫にあたる方がアメリカに在住で、そのことで連絡を差し上げると、先頃出産なさっていて、お子さんには祖父にあたる古山の名前からとった名前をつけたと仰っていた。

アメリカとの戦争のために兵隊にとられた古山は、雲南の山奥で、アメリカ式装備の中国軍(米式重慶軍)を相手の作戦に従っている。

歴史とか不思議な縁とか、あれこれ考えると万感、胸に迫るものがあるな。

戦争が終わると、戦犯裁判が始まった。

古山も戦犯だった。戦争が終わって、再び戦わされるとは、本当につらいことだったろうなと思う。

同じフランス裁判を受けた方のご子息とも、先頃お目に掛かった。お父様のことをあれこれ伺った。

敗戦の日を、終戦の日と言い換えたり、八月十五日ばかりを考える心性には、ちょっと疑問を持つ。

歴史は、そんなに単純では、ないものなあ。

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# by tamaikoakihiro | 2018-08-31 11:24 | 作家 | Comments(0)

ベトナムの五目イカ炒め

団地に行って、ベトナム料理を食べた。
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五目イカ炒めとでも書けばいいのだろうか。お店の人に、メニューに書いてあるベトナム語の「イカ」の部分だけを読み上げたら、気さくな方なので、「全部読んで」とばかりに、「イカの~?」とベトナム語で聞いてくれる。

私が怪しい発音で答える。彼は復唱して、厨房に伝えていた。

ベトナムのコーヒーをアイスで飲んだ。暑い季節には、とても気持ちが良い飲み物だと思う。

ボートでベトナムを脱出した人たちのことを、聞くと、母国に希望が得られず、海に出るなんて……としばし想像力の貧しさを感じずにはいられない、な。

沿岸で官憲から銃撃を受けた、海賊に遭遇した、人の死を見た——そういう苦労をして国を出てきた人たちも、日本で子をなし、少しずつ老いているようである。

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# by tamaikoakihiro | 2018-07-15 22:35 | 難民 | Comments(0)

玉姫

サイゴン裁判で、俘虜の虐殺事件が扱われて、日本軍将校四名が戦後もだいぶ経ってから処刑されている。これは、当然かもしれないけれどもA級裁判に比べて知られていない。

処刑された一人は、大阪の工業専門学校を出ている。当時ではまず知識階級の人と言って良いだろう。その人の所属部隊は中国の北部(華北)から出発して大陸を転戦南下し、佛領印度支那、タイと歩き通した、精強部隊なのである。

以前、その部隊に所属していた下士官の方々(将校の一歩手前、くらいと言うと語弊があるが、まあそんなところと想像して貰うのがよいと思う)に鹿児島でお目に掛かり、二回ほど話を伺った。八〇歳くらいだったと記憶する。

壮健と言う言葉が、これほど似合う人もいないだろうと思った。その人も、戦犯裁判にかけられなかったら、壮健な老年があったのだろうと想像する。

その人が復員後、指名手配されるや逃亡し、山谷近くで変名を使って暮らしていたことは以前書いてみた。「玉姫」という地名である。

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玉姫に関する資料を先日、閲覧した。貧窮する人々のための職業紹介所、子どもの面倒を見る施設などが集合した一角がそのあたりに戦前につくられたというのである。

その人が、職業紹介の仕事に逃亡中関わっていたというから、やはり戦前と戦後は地続きでしかないなと改めて思った。

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# by tamaikoakihiro | 2018-06-22 23:12 | 戦犯裁判 | Comments(0)

政治に関わるべからず

五・一五事件の日が、過ぎた。「問答無用、撃て、撃てッ」と言って、首相を殺害した若者たちが、いたのだ、と当日は、思った。

五・一五事件には、大川周明も関わっていたのだけれども、東亜経済調査局附属研究所(大川塾)にもその人脈が、当然及んだのである。

私が何度もお話をうかがったある方は、数年前、亡くなった。その方は、「政治に関わるな」と、大川塾で言われてきたと語っていたな。

それを言ったのは、五・一五事件に関わった人たちであるとも伺った覚えがある。事件関係者の一部は、大川の計らいで、大川塾で少年たちの指導にあたった。

それを肯定的にとらえる人もいたし、やや否定的にとらえる人も、いたと記憶している。

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# by tamaikoakihiro | 2018-05-20 06:09 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)