大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro

大先輩から頂戴した言葉

新卒で入社した会社で書籍の編集をしていた頃、さる医療・科学ジャーナリストの方と知り合う機会を、偶然にも得た。

その方は、文藝春秋で長くお勤めになっていた。名のある雑誌「週刊文春」の編集長を務めていらしたこともある、私などからすると、雲の上の人という印象だった。

私は、自分が担当した書籍を、書評で取り上げて貰いたいと思い、その方に連絡を差し上げたのだった。

どうやって調べたのかは忘れた。ただ、自分の担当書籍を売りたい一心で、当時、朝日新聞で書評を担当されていたその方に、手紙でコンタクトをとった。

一度、会社の近くの喫茶店でお目にかかった。

昭和初期のお生まれだから、私のような新米の編集者など相手にしてくれないだろうと思っていた。ところがそんなことはなかった。

手紙のやりとりをさせてもらい、またお目にかかって話すと、本当に人と接することに真摯であることが感じられた。

当然ながら、名門出版社の出身であるからといって、そのことで人を威圧するようなことはなかった。たくさんの人に会い、おそらくすべての人に対し、人としての礼節を尽くしてきたのだろうと思われた。

その後、何度か便りを差し上げ、その都度丁寧なお返事を頂戴していた。

今回、拙稿の掲載された東京人に手紙を添えてお送りしたところ、便せん数枚に及ぶお返事があった。

ありがたいことに、励ましの言葉を頂いた。感激し、便せんを持つ手が小さくふるえるのが分かった。

7年前に、一度会っただけの年少の人間に、親しく言葉をかけて下さることに、ある種の畏怖を感じた。

その方は、文藝春秋に入社した頃、存命だった大川周明に会ったことがあるという。原稿の依頼にいったのだそうだ。農夫然たる姿を記憶にとどめているとのことだ。

私にとって歴史に属することを、肌身の経験として知る人から教わることは、本当に多い。

私はある歴史的人物や出来事について、何も見聞きしなかったが、私が生まれるより前に、多くのことを経験し、記憶する人に会うことで、何かが感じられるようになる。

「ノンフィクションは、人が描かれていないといけません」――。そんなことを、お目にかかったとき、うかがった。

私はいつも、その言葉を、文章に向かうとき、思い出している。
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# by tamaikoakihiro | 2010-04-18 14:54 | 雑感 | Comments(0)
ありがたいことに、理解ある編集の方のお力添えがあった。

長年愛読している「東京人」(都市出版)で大川塾(東亜経済調査局附属研究所)をテーマとした拙稿が掲載された。

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全4回に分けてくださった。

自分のような人間の原稿が載っていいのだろうかと、いまだに不安が消えないものの、一方で一つ、形にできたことへの安堵がある。

ただいろいろと課題は多い。早くこれをもっと掘り下げてまとまったものとしたいという思いで、いまは焦っている。

なお雑誌販売のFujisanから購入可能。
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# by tamaikoakihiro | 2010-04-17 17:19 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)

「アジア」という言葉

誰かが、「その言葉を使うとき、日本人はそこに自分たちを含めて考えていないことが多い」と言っていた。

「アジア」という言葉についてである。


そうなのだろうと思うことが、多い。

「アジアに旅行に行ってきてね」と学生時代、バックパック旅行から帰ってきた友人が言っていた記憶がある。

もちろんそこに日本は含まれないし、どうだろうか、中国、韓国、台湾も不安なものだ。

そういった場合、昔、南方といったタイやベトナム、マレーシアなどを想定されるのではないだろうか。

地域として、まとめて見られているのだろうか。

そういえば、昔、南方といった地域は、仏領インドシナが、戦争中、注目されていた。仏領インドシナは無論、フランスの植民地である。そういうおおざっぱな区分けがかつて、世界ではまかり通っていたわけである。

「帝国主義の時代だった」と言ってしまえばそれまでなのだろうけれども。

そのころから、日本人の自国以外のアジア地域に向ける目は、まだあまり変わっていないのかもしれない。
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# by tamaikoakihiro | 2010-04-01 23:33 | 雑感 | Comments(0)
また日付のことである。

唐突だが、「12月8日」と聞いて、いま別に12月でもないのだけれども、日本人は何を思い浮かべるのだろうと考えた。

「ジョン・レノンが撃たれた日」だろうか。

大東亜戦争の開戦日であることに言及する向きは、そんなに多くないのだろうか。

私は戦後生まれで、しかもその人口が半数を上回ったという年の生まれだけれども、開戦日のことを考える。

そしてその日、南方はタイ・バンコクの港で、在留邦人が避難した船にて警戒任務に就いていたという青年のことを想像してみる。

そのときのことを語ってくれた人も、いまは80歳代の後半である。

戦争の記憶というのは、消える一方なのだなと思う。

そして、そのうち「ジョン・レノンが撃たれた日」も記憶から消えるのだろうか。

しかしもし平和を「imagine」で歌った彼のことを持ち上げるなら、もっと重い意味を持つ開戦日のことを、日本人は思うべきのような気もする。
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# by tamaikoakihiro | 2010-03-28 14:31 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)
3月に入ると、毎年思い出すことがある。

「明号作戦」である。正確には私自身が経験したわけではないから、「想像する」といった方がいいのだろう。

1945年3月9日、仏領インドシナにあった日本軍は、フランスの植民地政府を解体した。これにより現在のベトナム、カンボジア、ラオスの3国が、形式上のことかもしれないが、独立した。

この一連の軍事行動を「明号作戦」という。これは日本軍が使った秘匿号である。

当時の現地軍司令官の回想では、準備段階では「マ号作戦」などと呼ばれていたようだ。

話が脇道に逸れた。なぜ私がこの作戦を想像するのか。

それは一兵士として、ベトナム人の協働を促す特殊工作隊のメンバーとして、または一学生として、現地にいた人の話をじかに聞いたり、読んだりしているからだろう。

「それまで安南人(ベトナム人の植民地時代の旧称)はフランスに支配されていた。それを一晩の作戦で覆してしまった。安南人はわーっとなりましたよね」

戦後はベトナムに残留し、数奇な運命を刻んだ、ある老人は、かつて私にそう話してくれた。

「親日勢力をもとに傀儡の独立国をつくっただけではないか」

先述のように、そんな見方はもちろんある。それは否定できないものだろう。

しかし既存の支配体制を明白に破壊した点で、一つの歴史の転換点だったのだろうとも思う。

そして夜半、息を潜めてフランス植民地軍の兵営近くにあったという、ある人の回顧談を思い出す。

生きるか死ぬか、青春のただなかで経験したことを、その人は、じつにわかりやすく、戦後生まれの私に話してくれた。それがありがたかった。

私は経験していないのだから。

そういえば芥川賞作家の古山高麗雄は「今夜、死ぬ」という短編で、カンボジア・プノンペンで明号作戦に参加した折のことを書いている。やはり若くして死に直面するときの気持ちを、テンポの良い語りで表現している。

奇しくも日本軍が軍事行動を起こしたのと同じ頃(3月10日未明)、東京は下町を中心に米軍の大規模無差別爆撃にさらされた。

そんなこともまた、思う。
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# by tamaikoakihiro | 2010-03-26 22:26 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)