大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro

「ご縁」という言葉

今日は、アポイントもなく、ある方のお勤め先に突然お邪魔し、お目にかかった。

初めて会う方だった。何という無謀なことをしたのだろうと、帰宅してから冷汗三斗の思いでいる。

拙稿の掲載された「東京人」をその方のいらっしゃる編集部宛でお送りしてあって、それに対するお返事を本日頂戴し、「ぜひお礼を」と考えたのだった。

厚かましいことに、そして勝手にも「これもご縁なのだろうから」と、道すがら思いこんでいた。

幸いにも快く会ってくださり、丁寧にご対応を賜った。

ありがたいことであった。

しかし34歳になる大人が、思いこみで行動していいはずがない。「ご縁」などというのは、本当に思いこみでしかないことも、多いのだろうし。

私が取材と称して、面晤を乞う方々もまた、私の「ご縁」という幻想に、ひょっとしたら迷惑されているかもしれないのだと考える。

それでもまた、「この方に会ってみたい」「あの方に話を聞かせてもらえないだろうか」などと懲りずに考えるのだが。
[PR]
# by tamaikoakihiro | 2010-04-28 23:05 | 雑感 | Comments(0)

歴史と証言者

先日、東亜経済調査局附属研究所(大川塾)五期生の方を、世田谷のご自宅に訪ねた。

いつお目にかかっても気さくにお話下さる方である。

その方は戦後、貿易商社、大南公司――社長以下、その昔はベトナム独立運動を支援した一面も持つ――勤務、会社経営などを経て、現在は煙草店を営んでいらっしゃる。

その方が話の流れから、不意にこう仰った。

「二期生のあの人ね、この前亡くなったそうですよ」

その二期生の方に私は二度、やはりご自宅にうかがって話を聞かせてもらったのだった。

奥様に先立たれて、お一人で暮らしていた方だった。ご自宅にある大川周明ゆかりのものをいろいろと見せてもらい、当時の写真も撮影させて頂いた。

私は歴史を目で見て、話に聞くことができた。

歴史を体験した人が、亡くなると、それだけ歴史の肌触りが消えていくのだろうと思う。

人が亡くなっても、いや、「史料がある」という考え方をすべきなのだろう。

しかし、話を聞き、そこから史料と呼ばれるものにある何かへと向かってみたい私は、幼稚なせいもあるのだが、なかなか「史料がある」とは思えない。
[PR]
# by tamaikoakihiro | 2010-04-27 23:48 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)
東亜経済調査局附属研究所を卒業し、タイに派遣された方の手記を読み進めている。

1941(昭和16)年の開戦前、バンコク大使館の武官室から呼び出され、「土木技師」を仮称する陸軍少佐とタイ南部を旅行した折のことが記されている。

開戦意図やマレー作戦のことは、もちろん秘匿されていただろうが、やがて日本軍が上陸する地点を視察している点は興味深い。

私は会ってお話を聞けなかった方の手記である。残されているから私でも読める、知ることができる。

文字とは貴いものだと思うし、それに託して何かを残そうとしてきた人の強い意志は、もっと貴い。
[PR]
# by tamaikoakihiro | 2010-04-22 22:09 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)

北一輝のこと

書籍編集をしていた頃、お世話になった装幀家の方に、拙稿の掲載された「東京人」を送った。

日を置かず、メールで連絡を頂戴した。その方は、以前から存じ上げていたが、大学の卒業論文を、「北一輝」で書いている。

大川周明と北一輝は一時期行動をともにしたが、その後、袂を分かった経緯がある。

そのことをもちろんご存じだから、拙稿についても、おそらく鋭い目で読んでくださったに違いない。

「右翼」と戦後されてきた人たちのことは今後、見直されないといけない――そんな主旨のことを仰っていた。

多くの人がそうなのだろうが、私は自分に大がかりなことができるとは、なかなか思えない。それでも、少しずつ積み上げた作業の末に、時代が縛ってきた歴史を、違った形で見るための一つの足がかりのようなものを、つくれたらと思っている。

何かこの上の文章は、気負っているように思われ……
[PR]
# by tamaikoakihiro | 2010-04-21 20:33 | 雑感 | Comments(0)

大先輩から頂戴した言葉

新卒で入社した会社で書籍の編集をしていた頃、さる医療・科学ジャーナリストの方と知り合う機会を、偶然にも得た。

その方は、文藝春秋で長くお勤めになっていた。名のある雑誌「週刊文春」の編集長を務めていらしたこともある、私などからすると、雲の上の人という印象だった。

私は、自分が担当した書籍を、書評で取り上げて貰いたいと思い、その方に連絡を差し上げたのだった。

どうやって調べたのかは忘れた。ただ、自分の担当書籍を売りたい一心で、当時、朝日新聞で書評を担当されていたその方に、手紙でコンタクトをとった。

一度、会社の近くの喫茶店でお目にかかった。

昭和初期のお生まれだから、私のような新米の編集者など相手にしてくれないだろうと思っていた。ところがそんなことはなかった。

手紙のやりとりをさせてもらい、またお目にかかって話すと、本当に人と接することに真摯であることが感じられた。

当然ながら、名門出版社の出身であるからといって、そのことで人を威圧するようなことはなかった。たくさんの人に会い、おそらくすべての人に対し、人としての礼節を尽くしてきたのだろうと思われた。

その後、何度か便りを差し上げ、その都度丁寧なお返事を頂戴していた。

今回、拙稿の掲載された東京人に手紙を添えてお送りしたところ、便せん数枚に及ぶお返事があった。

ありがたいことに、励ましの言葉を頂いた。感激し、便せんを持つ手が小さくふるえるのが分かった。

7年前に、一度会っただけの年少の人間に、親しく言葉をかけて下さることに、ある種の畏怖を感じた。

その方は、文藝春秋に入社した頃、存命だった大川周明に会ったことがあるという。原稿の依頼にいったのだそうだ。農夫然たる姿を記憶にとどめているとのことだ。

私にとって歴史に属することを、肌身の経験として知る人から教わることは、本当に多い。

私はある歴史的人物や出来事について、何も見聞きしなかったが、私が生まれるより前に、多くのことを経験し、記憶する人に会うことで、何かが感じられるようになる。

「ノンフィクションは、人が描かれていないといけません」――。そんなことを、お目にかかったとき、うかがった。

私はいつも、その言葉を、文章に向かうとき、思い出している。
[PR]
# by tamaikoakihiro | 2010-04-18 14:54 | 雑感 | Comments(0)