大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro
大田区に行ってきた。乗り換えを何度かして、目的地に着いた。駅は久が原で、初めて降りた駅だった。小さな駅で、人の数も少ない。
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東急電鉄の小さな(?)路線で見かける壁に張り付いた、あるいは壁から生えだしたようなベンチを見て、「ああ、東急だな」と思う。

池上本門寺での催事に出かけた時期があって、その折に、見て覚えたように思う。

踏切のあたりで、インド料理屋の人が、チラシを配っていた。踏切が時々鳴った。

スーパーに近い喫茶店で一息をついた。もうもうと煙草の煙が立っていて、年配の客が多く、年金や財産の話題が多かった。

久が原まで行く途中、病院が近くにそびえる駅で乗り換えた。その病院には、身内を見舞ったことがある。10年くらい前である。雨が降っていて、寒かった。
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その後、そうだ、勤めの関係で二度ほど訪れたけれども、いずれも雨が降っていた。一度は、カメラマンのWさんがいっしょだった。Wさんは、覚えているだろうか。

ともあれ旗の台は雨の記憶しかない。今日乗り換えで使って、ようやく晴天の記憶ができるわけだ。

しかし、記憶はいつか混濁するものだろうから、晴れもそのうち雨天になるかもしれない。

晴れのイメージから、突然に、プロコンドル島を思い浮かべる。

ベトナムにいたときに、そのプロコンドル島に行かなかったことを、今になって悔いる。コンダオという名前になっていたその島は、ベトナム戦争当時には、政治犯が収容されていた。

大東亜戦争が終わったあとには、日本軍憲兵を主とする戦犯既決囚が収容されていた。さらにその前は、フランス植民地政府が、安南人(ベトナム人という呼び方は、独立運動に直結するもので、使われていなかった)の政治犯が収容されていた。

プロコンドル島で服役していた人の手記や絵を見たことがある。実際にいた人の話も聞いたわけだけれども、イメージは晴天を伴う。


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# by tamaikoakihiro | 2016-05-01 19:15 | 戦犯裁判 | Comments(0)

復讐の話

『731―石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く―』(青木冨貴子・新潮文庫)を読むと、細菌戦の研究成果の提供と戦犯として訴追しないことが、一つの取引としてあったことが、わかる。

なるほど、良い材料を持っていると、敗者も勝者と対等に近い取引ができる、ということなのだろうか。

サイゴン裁判の資料を眺めていたら、個人の手記もあった。取引の材料などなく、勝者からの訴追を受けた人々のことである。

興味深いことが書かれていた。

戦犯容疑者として取り調べを受けた人々は、フランス側から相当厳しい拷問にかけられたようである。

以下、引用。

「留置所に入ると同時に下剤を服用させられてそのまま十日間絶食させられた者(S少佐)、探偵局で赤チンに壁土を混ぜて呑まされた者(S大尉尉)、同じく探偵局で殴打水攻めの拷問を受け約一ヶ月間歩行困難となった者(O軍曹、後日処刑)、廊下のコンクリートの壁に向って立たされ監視の下士官から後から力一ぱいに後頭部をつきとばされて額を壁にぶつけられた者(M大尉、K中尉、H曹長)等大多数の者が拷問を受けた」

そうすると、あるとき拷問を受けた者の中には脱走する者がいたようである。

「S少佐H大尉は作業場より逃亡してヴェトミン軍に入り戦犯局デュテー法務少佐、取調官ノゲー及佛印高等弁務官に対し『この日本人の恨みはきっと晴してみせる』との果し状を送った」

ヴェトミン(ヴェトナム独立同盟)は、かのホー・チ・ミン(漢字では胡志明。志の明らかな外国人という意味になるらしい)が、率いた独立闘争のための組織で、日本人多数が参加したことは、近年だいぶ知られるようになったことだと思う。

フランスは、日本に武装解除された恨みがあっただろうから、自分たちや自分たちの仲間を取り締まった日本人は憎かったのだろうなと思う。

勝者になると、今度は日本人に厳しくあたったわけだろう。

そこから脱出した日本人が、独立闘争の側に入って、フランス人に復讐してやると脅す――

まるでドラマのようだなとも感じる、が、当事者にとっては命がけであったのだから、軽薄な感想は慎まないといけないのかもしれない。
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# by tamaikoakihiro | 2016-04-04 05:35 | 戦犯裁判 | Comments(0)

日付を見ると

もう4月になるのかと、あくせく坂道をこぎ登りながら思った。

ベトナムにいたとき、「春だな、桜だな」と思うことは、もちろんなかったわけだ。
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(写真は九段会館)

ちょうど、ランソンに行ったのは、3月の半ばを過ぎた頃だったと思う。
堡塁のあとと思われるところに登って、市内を見下ろした。
中国はあっちかなと、思ったのだったか。

ランソン事件の資料を見ると、判決の確定した日は1950年12月8日とある。
これはやはり何か暗示するものがあるのだろうか。
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# by tamaikoakihiro | 2016-03-31 21:58 | 戦犯裁判 | Comments(0)

一冊の本、2016年3月号

年末に調べたり、人に教えを乞うたりしていたことで、小さな原稿を書くことができた。「何かを」と言って下さったMさんには感謝の気持ちを強く持つ。
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70年前に本格化したフランスによるサイゴンでの戦犯裁判は、古山高麗雄が法廷に立たされたこともあって、だいぶ前から関心だけはあった。

国立公文書館の文書には、古山の法廷での発言も詳しくわかるし、日本軍がフランスの将兵を殺害した数が300人とも500人ともいわれる「ランソン事件」のこと、そして2人の日本人弁護人のことも、わかることが多い。

弁護人の一人は、中村武。南洋庁高等法院長という官職にあったが、軍と対立した末に辞して弁護士開業した人物である。

もう一人の弁護人、杉松富士雄は謎の多い人で、複数の著書があるにもかかわらず生年はわからない。「市井無冠の大王」と自称していたらしく、風変わりな人であったことは、周囲の人が残した証言で、何となくわかる。

二人が、残酷な拷問の末、次々と日本人戦犯が極刑にされるサイゴンの法廷でどんな弁護活動をしたのか、わかったところを、書いてみた。

書いてみて、わからないこともたくさん出てくる。
もう少し、調べてみたいと思っている。

幸いにも、サイゴンではないが、シンガポールで杉松弁護士の弁護を受けた方がお元気で、ご記憶を伺うことも、この前できた。
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# by tamaikoakihiro | 2016-02-29 04:58 | 戦犯裁判 | Comments(0)
「葬儀には、みんなが姿を見せた」――この一文で始まる大部のノンフィクション『輝ける嘘』(菊谷匡祐訳・集英社)を読んだのは10年以上前だけれども、もう参ってしまった記憶がある。

上下2冊を飽かず読み通した。ベトナム戦争のノンフィクションといえば、何となくハルバースタムのことを思い浮かべるけれども、いや、違うなあ、『輝ける嘘』だな、と思う。少なくとも自分にとっては大きな感銘を受けた作品であるな。
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# by tamaikoakihiro | 2016-02-15 22:29 | 雑感 | Comments(0)