大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro
『逃亡「油山事件」戦犯告白録』(小林弘忠・中公文庫)を読んだ。川にまつわる語りで始まり川の描写で終わっていた。

戦犯がテーマだけれども、導入と終わりの書き方に感銘を受けた。書き方がうまいというか、なるほどと思わされるというか、巻を措く能わざる(この言い方でいいのだっけ?)感じだった。

70年前、戦犯としての訴追をおそれて逃亡生活を送る日本人がいたのだ。そういう人たちを、捕らえようと必死になったのも日本人なのである。

「万歳」の声で出征の場を飾り、戦犯になれば、彼らを貶めて追い詰める人たちが、いたというわけだ。

たかだか70年前のことを、しかしもうほとんどの人が知らないのである。江戸時代のことは時代劇でさんざんやるが、戦争のことは、あんまり取り上げないのである。夏の風物詩として消費するくらいなのである。

神保町の古書店で、ふと振り返って見た文庫の棚にあった本である。運のよいことだった。
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# by tamaikoakihiro | 2016-08-23 18:49 | 戦犯裁判 | Comments(0)
NHKのラジオで、古山高麗雄のことが放送されていた。肉声に接すると、「ああ、なぜ生前、自分は知る機会がなかったのだろう」と思う。

朝、パソコンで聞いていると、涙が出そうになった。不審がられるので、泣かなかったけれども。

『カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス「古山高麗雄」』

私が古山(人前で話すときは「先生」と敬称をつけるけれども、ここでは省略する。そもそも面識のなかった人間が先生と呼んで良いものか……)を知ったのは没後だった。

返す返すも残念だ。

去る七月の終わり、ゆかりの地である宮城県七ヶ宿町に行く機会があった。昔は七ヶ宿村といったところで、古山の父のふるさとである。
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町の「水と歴史の館」には「古山高麗雄の世界」と題した展示がある。古山の遺品のうち、自宅にあったものが寄贈されたのである。

講演というか、集まった皆さんの前で、私がいかに古山を敬愛しているか、煎じ詰めるとそういうシンプルなことを、あれこれ本を書くときに参考にした資料を交えてお話しした。一時間と少し。
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生まれてはじめての体験だったので、たどたどしく、何を話しているのか、自分でもよくわからなかった、な。昼過ぎからだったので、もっとたくさんの人を寝かせてしまうと思ったけれども、熱心に聞いてくださっていて、ありがたいことだった。

いちばん反応がよかったのは、古山の第三高等学校時代の成績表をスクリーンに映して話したときかもしれない。

個人情報そのもの、ともとれなくもないけれども、京都大学の資料館で出してもらえたものだった。

「落第」の文字を見直すと、軍国の風潮が濃密に世を覆う頃に、鬱屈し、怠惰に流れ、学校を去ろうとしていた古山の姿が想像された。

私の話が終わったあと、古山のお嬢さんからは「父は(講演は)あなたよりうまかったと思うな(笑)」と、慰めの言葉(?)をもらった。お嬢さんが同道くださったので本当に助かった。
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何より嬉しかったのは、古山と生前関係のあった親族の方々、知人の方々が、古山のお嬢さんと初めて会うことに、大変な喜びを示して下さったことだった。

古山は家庭では、何と言えばいいのか、軽んじられるタイプの夫であり父親だったらしい。芥川賞も「父がとれるとは思わなかった」というのがお嬢さんの弁である。だから古山に対する辛辣な見方をお嬢さんは教えてくださるわけだけれども、伺うエピソードから、家庭人としての一面、また愛妻家らしい優しさもほの見えたりして面白いのだった。

父娘の距離が近い関係よりも古山家のような懸隔のありかたが、私にはむしろ好ましく思える、人間らしさがある意味でにじんでいる、というか。

当日は、古山の親類にあたる方で、取材時にお世話になった方が、たくさんの拙著を持参くださっていた。サインをと言われたときは面食らったけれども、これも嬉しいことだった。

親類筋の方々と記念撮影ができたのも、ありがたいことだった。
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取材時にお世話になった、前館長の方、雪の中いっしょに「伐開路」(これは古山の三部作『フーコン戦記』で印象的に出てくる言葉だ)をつくった元館員の方に再会できて、これも嬉しかった。

元館員の方とは、昨年本をお送りしたときに電話でお話ししていた。「出ましたね!」と喜んでくださったことが、思い出された。

古山はベストセラーを出すような小説家ではなかった。そのため、と言って良いのか、読者と丁寧に手紙でやりとりをして、実際につきあいをしていた。会うこともあったようである。

そういう姿に憧れていたから、自分がそれに近いことができた七ヶ宿訪問は、実にいうことのないくらい充実した機会になった。

また訪れたいな、と思う。今回は初めて緑におおわれた七ヶ宿を見た。美しかった。「水と歴史の館」の玄関に置かれていた夜香木の花は、いま咲いているだろうか? あまくにおっているだろうか?

そうだ、もし古山に生前私が会えていたとして――果たして私はどう思われただろう?

私のような四角四面な人間を、古山はあまり好かなかったのではと思う。いや、独特の包容力で「そういう奴か」と受け止めてもらえたかもしれない。

しかし想像でしかない。

振り返って、会ったことのない人のことを書けたのは、やはり望外のことだったなと思う。ずっと助けて下さった編集者のKさんにも、ここでこっそりお礼の言葉を……
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# by tamaikoakihiro | 2016-08-11 00:08 | 作家 | Comments(2)

JRの駅、西日本

用事があって、西日本に行ってきた。新幹線のある駅で在来線に乗り換えた。ホームの掲示を見ていると面白いものがあった。
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しばらく眺めていたら列車が来た。到着した駅の待合室の天井付近ではツバメが巣をつくっていた。
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海の近い街でしばらく過ごして、遠目に砂浜を見て、帰った。暑い一日で、車窓から見た在来線もつかれた感じだった。
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# by tamaikoakihiro | 2016-07-11 23:15 | 雑感 | Comments(0)

駅前、岐阜、長良川

この前、岐阜に初めて行ってきた。曇天だったけれども、岐阜駅は三階建てで見晴らしが良いように感じた。

長良川からそう遠くない、静かな古い町並みの残るところで、昔話を聞かせてもらうことができた。
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帰る前に、長良川の近くまで出た。泥色の水が多く、鵜飼いは今日は出来ないだろう、ということであった。

岐阜駅の周辺は、何となく賑やかな感じがして、いつかゆっくり歩いてみたいと思った。
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# by tamaikoakihiro | 2016-06-28 21:33 | 満鉄 | Comments(0)

朝鮮新義州

『満洲難民 三八度線に阻まれた命』(井上卓弥・幻冬舎)という本を読んでいたら、古山高麗雄の初期の長編小説『小さな市街図』を思い出した。

「吉岡久治が朝鮮新義州の市街図作りを始めたのは、昨年の五月だった」で始まる小説である。新義州からの引揚のことも書いている。古山は新義州生まれだけれども、敗戦は仏領印度支那で迎えているから、戦後の朝鮮半島からの引揚は体験していない。

執筆にあたっては、関係者に取材して歩いたようである。

後半で主人公が、娘に新義州の話をしていて、通じない場面が出てくる。トーキーの映画館ができたときのこと、元旦に楽隊が門付けにきたこと……どれも娘には「?」なのである。

これは古山自身が体験したことなのかもしれないな、と想像している。戦後生まれに、植民地のことを話しても通じないのは不思議なことではない。断絶を感じたことだろう。

しかしそれを大仰に言い立てないのが、古山の作品の魅力だと思う、な。
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# by tamaikoakihiro | 2016-06-04 04:56 | 作家 | Comments(0)