大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro

大分、国東半島

この前、大分県に行ってきた。初日は雨だったけれども、午後から晴れて、美しい風景を見られた。

BC級戦犯のことで教えて下さる方々いらっしゃるので、ご厚意に甘えて訪ねたのだった。
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20年ほど前、まだ学生だったとき、九州を自転車で野宿しながらほぼ一周した。大分県では、国東半島の石仏を見た。浜辺で野宿しようとしたとき、近所の若いお兄さんが話しかけてくれて、パンやアイスをくれた。

いい思い出しかない。旅行者だから当然だろうけれども。

このあたり、来ただろうな、と思う場所も通った。案内して下さった方の車の助手席から緑の風景を見て、懐かしかった。
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あの頃は、やることがないから無暗に自転車に乗っていたのだと思う。友人も一人か二人しかおらず、親しもうとする努力もたいしてしていなかった。
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20年たって、無暗なところはあまり変わらないけれども、自分を助けてくれる人の存在を得られるようになったことは、大きな違いだと思っている。

時間はかかるけれども、そういうものなのだろうなあ。
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# by tamaikoakihiro | 2016-09-19 04:01 | 戦犯裁判 | Comments(0)

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月刊「文藝春秋」16年10月号の広告が、先週、とっている「日本経済新聞」の朝刊に載っていた。
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おお、拙稿のタイトルも出ている、と喜び、撮影した。

その後、お世話になった方々にお礼状を急ぎ書いて投函する。読んで下さっていると嬉しいのだけれども。

満洲の企画はもちろん、今回の号では、「マラソン円谷 悲劇の謎が解けた」(松下茂典)を面白く読んだ。
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# by tamaikoakihiro | 2016-09-12 22:53 | 満鉄 | Comments(0)
今日、月刊「文藝春秋」16年10月号が手許に届いた。明日が発売日だ。春以来、取り組んでいたことが、形になった。
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正確にいうと、2012年秋以降だけれども、具体的にまとめようと、必死になったのは、声をかけて下さったMさんのおかげである。

今回、取材にも同行くださったMさんと初めてお目にかかったのは、『大川周明 アジア独立の夢』(平凡社新書)が出た2012年だから、もう4年前か。

「週刊文春」で著者インタビューをしてもらって、担当してくださったFさん(今は別の会社で、別の雑誌でご活躍中だと思う)とMさんと、後日会食したのだったなあ。あれはちょうど今頃だったかもしれない。

Mさんはときどき連絡を下さって、その都度、「こんなことをやっています」と、目下の取材の話をお伝えしていた。

それが今回、こういう形でまともな文章として世の中に出ることになって、嬉しい。満鉄のことは、大川周明がはじめて給与をもらった会社(満鉄の東亜経済調査局)であるし、大川の若き弟子たちが学んだ東亜経済調査局附属研究所に満鉄も出資していたから、ずっと気になっていた。

大陸に若くしてわたった人たちの、心のありようを、知りたかった。それもまた、私自身が真似しようとして生活感をもって実行できなかった「海外雄飛」を実践された人たちへの憧れがおおもとにあると、思って居る。

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デスクとして原稿をみてくださったもう一人のMさんは、住まいが近いことが、お目にかかった折にわかって、これもまた嬉しいことだった。ひなびたベッドタウンと思われる地域の外れに私にとって、そのベッドタウンの中心地に住むMさんがうらやましい。

ともあれ取材に応じて下さった元社員の方々、社員二世の方々、そしてその家族の皆様に御礼を申し上げねばと思う。取材から時間がたって、鬼籍に入られた方も何人かいらっしゃった。
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# by tamaikoakihiro | 2016-09-08 23:08 | 満鉄 | Comments(0)
カラーでみる太平洋戦争」(NHKスペシャル)のDVDを買って見ている。

当然だけれども、モノクロで見てきた戦争の映像や写真が、カラーで流れる。そうか、そんな色だったのかと、驚いたり、少年の頃に読んだ雑誌や本に載っていた図版の彩色を思い出したりする。

私が少年の頃は、たぶん、戦争経験者がまだ世に多く、考証もしやすかったのかもしれない。
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(写真は七ヶ宿で撮影したもの)

上記の番組は敗戦から70年目という節目にあわせてつくられたようだから、そうした人手による考証でない方法で、色をつけたのかなと想像する。

マレー作戦の映像に色を付けると、兵隊が首から戦友の骨を入れた箱を吊っているのが際立ってきたとのナレーションがあった。

なるほど、モノクロでは、白い布で包んださまが、目立たないのかもしれない。

カラーというのは、すごいなと思う。いまは何でもカラーだけれども、モノクロの時代が、やはりあったわけだ。

私は戦争の時代を、どうしてもモノクロのイメージに引きずられて見てしまうし、感じてしまう。

でも当時を知る人には、当然だけれども、カラーの記憶が残っているわけである。

私が話を伺った方々も、カラーの記憶を保持しているわけだ。戦時中のサイゴンの美しさを語ってくれた方、敗勢のビルマで学友との別れを語ってくれた方、戦犯裁判のこと、獄中のことを語ってくれた方。

話を聞くというのは、モノクロからカラーへ、そして動画へと、導いてもらうことでもあるのかな、と思った。

会津若松編成の歩兵第二九聯隊のことも、ガダルカナル島のことで取り上げられていた。同聯隊にいらした方に、十年ほど前、話を伺った。その方は、ガ島は経験していらっしゃらなかったようだけれども、ビルマから仏領印度支那に転じた頃のことを話して下さった。

仏印はツドモという街での経験を興味深く伺った。ツドモはいま、ホーチミン市の郊外として発展しているようだし、日本の不動産会社が何か開発をしていると、ニュースで読んだ記憶がある。

その街にあった飛行場から、日本軍の航空隊が飛び立ち、マレー沖海戦でイギリスの新鋭戦艦を沈めたという。

細部を知ると、カラーはもっと微細になっていくのだろうなと思った。
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# by tamaikoakihiro | 2016-09-06 23:01 | 雑感 | Comments(0)
自分と意見の異なる人の話を聞き、丁寧にまとめていく作業というのは、途方もない労力を要するのだろうと想像する。

『日本会議の正体』(青木理・平凡社新書)を読んだ。

読んだけれども、読むと知らないことが多すぎて、自分が現在進行形のものに、苦手意識があるか、感じた、というのが正直なところなのである。

しかし現在進行形の事柄にも、必ず源流があることを、教えて貰った気がする(当然のことなのだろうけれども、本を読んで学ぶことはそういう当たり前のことの方が多いのかも知れない)

本の大きな筋とはあまり関係ないのだろうけれども、次のような表現に目がとまった。

「全国の大学のキャンパスは左派学生に席巻されており、右派学生の蠢動がはじまったとはいっても、それはごくほそぼそとしたものにすぎなかった」(p65)

これは「早稲田大学学生連盟」結成に関する記述の一部である。これは1966年のことであるようだ。

自分の母親は1946年生まれで、東京で大学生をやっていたので、昔、極左運動に興味があったころだったか、「学生運動の類いに関わったのか、それともノンポリだったのか」と尋ねたことがある。

ノンポリだったそうである。てっきり全学生がいわゆる左翼的な活動に邁進していたと思っていたから、拍子抜けした。

大学に、親が活動に熱心だったという友人がいた、どういうわけか私は恥ずかしい思いで「うちの親はノンポリだった」といったら、「あの時代、ノンポリでいたことの方が、意味があるでねえの」との返事だった。

なるほど。

その後、右派の学生がいたことも知った。反戦平和といえば、錦の御旗に近いと思うけれども、それを掲げる人たちと、違う立場で活動していた人たちもいたのだな、と思った。

さて、上記の一文に戻る。「蠢動」とあった。

手許の辞書をひくと、「(1)虫などのうごめくこと。」「(2)(取るに足らないものが)こそこそとうごめくこと。」とある。

うーん、かなりネガティブなイメージだなと思った。

とはいえ、著者が、自分とは異なる見解を持つ人々に取材し、その結果をまとめた本であるから、〝異物視〟する言葉が出てきても不思議はないな、と思うし、それでもいいのかなと思う。

以下、私の調べたりして、の経験から。

北部仏領印度支那を解体したあとの日本軍の記録(戦後)には、「ベトミンが蠢動」といった記述があったような記憶がある。ホー・チ・ミンが1945年頃から仕掛けていたゲリラ戦をとるに足らないと思っていたのだろう。

しかしながら、一方で手痛い目にも遭わされたようだ。そして今やベトナムの政権は、ホー・チ・ミンがつくったベトナム共産党によって担われている。

また話は戻って……

「蠢動」していただけだった人たち(右派学生)がやがて、「日本会議」という影響力を持つ組織へとつながっていく……そんな構図があるのだろう。

蠢動というのは、なにやら少し蔑視も感じる言葉だけれども、蠢動する方にしてみれば、そうするだけの理由があって、そうしているにちがいない、と思う。何を書いているのか、自分でよくわからなくなってきた……

ごく小さな動きの時期から関わっていた人たちのことを、もう少し知ってみたいな、と思った。あの時代に、少数派でい続けることは、戦前・戦中に反戦運動をやるよりは容易だったかもしれないけれど、大変なこともあったに違いないと思うからである。
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# by tamaikoakihiro | 2016-08-26 11:50 | 雑感 | Comments(0)