大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro
大東亜戦争開戦の日が、今年も過ぎた。七六年前、国運を賭して、としばしばいわれる戦争が、始まった。

毎年思うことは、南方に渡っていた大川周明の弟子の人たちのことである。

何人かに往時のことを教えてもらった。バンコクにいた人、サイゴンにいた人……

貴重な写真を見せてもらった。すべて忘れえぬことだと思う。会津出身のある方は、話を決して誇大にすることなく、淡々とサイゴンで迎えた戦争のことを話してくださったのだ。

私は、いま私がこのように安逸に暮らす所以のひとつであるに違いない大戦争のことを、体験せずして、体験したわけだ。

バンコクから、オンサン将軍(アウンサンスーチーの父)らが参加したビルマ独立義勇軍に加わった人もいた。大尉にいきなり任ぜられて、将校は帯剣が必要だからということか、慌てて街中で刀を買い求めたと回顧した方がいた。
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(写真は、サイゴン中心から少し離れた華僑の町。2005年撮影)

謀略企業のように語られることの多い、昭和通商に入ってシンガポールを目指した方がいた。

寒い寒い日に、暑い南方の若者のことを、思った。他人を想像する、とは古山高麗雄がしばしば語ったことだけれども、そういうことは、口にするのは簡単で、だが容易ではない。

思っても、書かなければ意味がないからである。
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(写真は古山高麗雄の父の郷里、七ヶ宿町)

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# by tamaikoakihiro | 2017-12-09 20:14 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)

Bap Xao、いちょう団地

いちょう団地に行って、近くのお店でBap Xao(トウモロコシ炒め)を食べた。ベトナムに住んでいた時分、腐臭のする運河の近くのカフェでコーヒーを飲んで、夜をよく過ごした。同僚のベトナム人の友人がよく誘ってくれた。

「何か食べよう」と言って、注文するのがこの食べ物だったと思う。屋台を引く人に注文して、その場でつくってもらう。トウモロコシは日本のものと違い、甘みがない。辛みのあるソースをかけて食べた。

今回久しぶりに食べて、以前を思い出した。日本に来て、数年というベトナムの青年と話した。ラクジャーという、かつて日本軍の航空隊が、シンガポール沖のイギリス東洋艦隊に向けて発進した基地のあるフーコック島の対岸の省都が故郷だといっていた。
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ラクジャーなら、2005年に行ったことがある。バイクもさほど多くない町で、パフパフーと音を鳴らして廃品回収の自転車が流していた。スターバックスの贋の看板を掲げたカフェがあった。いまは本物が、ひょっとしたらあるかもしれない。


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# by tamaikoakihiro | 2017-11-19 04:51 | 雑感 | Comments(0)

70年前の名簿

1948年にサイゴンで起こされた書類を見ていたら、墨塗り(マスキング)されて名前はわからないが、この人だろうとわかる人の横に「精神病」と書かれていた。

一方的にも思える裁判で次々と極刑を科される同胞を見続けていたら、次は俺もかと、気持ちは沈んだだろう。沈むだけでなく、もうこの世の人として、居続けることを拒む気持ちも起こっただろう。

「精神病」と書かれたその人の、その後は、『世紀の遺書』などで確認できる。サイゴンで、亡くなった。じつに痛ましいことだと思う。下級の将兵に、どこまで責任を負わせたのかといぶかる気持ちがわく。

現在、ホーチミン市と名前を変え、殷賑をきわめる街を、この夏、10年ぶりにうろうろしたけれども、たえず、70年前の日本人の面持ちを探る思いがあった。

しかしそうしたものも日に日に失われる。
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写真はベトナム人の政治犯の房を再現したもの。日本人の戦犯も往時、足枷をはめられていたというから、同じようなものだろう。


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# by tamaikoakihiro | 2017-11-03 02:11 | 戦犯裁判 | Comments(0)
10月発行の「こころ」に小文を書く機会を頂いた。

新卒で入った出版社で働き始めた頃に読み、以後しばらく、共感と畏怖とを抱きながら、単行本が出るごとに買っていた小説家がいたのだけれども、すでに物故している。
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その小説家の妻であった方が書いた作品についての書評を、とお話があって、ためらうところは、いつもながらありはしたものの、書かせてもらった。

途中、原稿について、何人かの人に、有益な指摘をもらった。ありがたいことだった。

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# by tamaikoakihiro | 2017-10-05 21:33 | 作家 | Comments(0)

その日その日が生涯

「僕にとってはその日その日が生涯なのだ」

これはラバウルで行われたBC級戦犯裁判で刑死したある陸軍中尉の言葉である。

『ラバウル戦犯弁護人』(光人社NF文庫・松浦義教)を読んでいて見つけた。
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著者は二・二六事件に連座した疑いで代々木の陸軍刑務所(東京陸軍刑務所)に入っていたことがあるという。

敗戦後、ラバウルで戦犯弁護にあたったのである。文藻豊かな人だなと、ところどころの表現に接して思う。

死を確実なものとして意識した人たちの言葉は、老成していて、これが20代、30代そこそこの人たちのそれとは思えないものがある。

これはBC級サイゴン裁判でもそうだし、どこでも同じである。

若い人たちだけに、しかし、悲痛である。幼い子どもがいる人のものなども、なかなかに辛い。

BC級戦犯裁判は、このように覚醒した人々を生み、そしてその人々の多くを殺したわけである。




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# by tamaikoakihiro | 2017-09-29 00:37 | 戦犯裁判 | Comments(0)