大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro

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Bap Xao、いちょう団地

いちょう団地に行って、近くのお店でBap Xao(トウモロコシ炒め)を食べた。ベトナムに住んでいた時分、腐臭のする運河の近くのカフェでコーヒーを飲んで、夜をよく過ごした。同僚のベトナム人の友人がよく誘ってくれた。

「何か食べよう」と言って、注文するのがこの食べ物だったと思う。屋台を引く人に注文して、その場でつくってもらう。トウモロコシは日本のものと違い、甘みがない。辛みのあるソースをかけて食べた。

今回久しぶりに食べて、以前を思い出した。日本に来て、数年というベトナムの青年と話した。ラクジャーという、かつて日本軍の航空隊が、シンガポール沖のイギリス東洋艦隊に向けて発進した基地のあるフーコック島の対岸の省都が故郷だといっていた。
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ラクジャーなら、2005年に行ったことがある。バイクもさほど多くない町で、パフパフーと音を鳴らして廃品回収の自転車が流していた。スターバックスの贋の看板を掲げたカフェがあった。いまは本物が、ひょっとしたらあるかもしれない。


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by tamaikoakihiro | 2017-11-19 04:51 | 雑感 | Comments(0)

70年前の名簿

1948年にサイゴンで起こされた書類を見ていたら、墨塗り(マスキング)されて名前はわからないが、この人だろうとわかる人の横に「精神病」と書かれていた。

一方的にも思える裁判で次々と極刑を科される同胞を見続けていたら、次は俺もかと、気持ちは沈んだだろう。沈むだけでなく、もうこの世の人として、居続けることを拒む気持ちも起こっただろう。

「精神病」と書かれたその人の、その後は、『世紀の遺書』などで確認できる。サイゴンで、亡くなった。じつに痛ましいことだと思う。下級の将兵に、どこまで責任を負わせたのかといぶかる気持ちがわく。

現在、ホーチミン市と名前を変え、殷賑をきわめる街を、この夏、10年ぶりにうろうろしたけれども、たえず、70年前の日本人の面持ちを探る思いがあった。

しかしそうしたものも日に日に失われる。
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写真はベトナム人の政治犯の房を再現したもの。日本人の戦犯も往時、足枷をはめられていたというから、同じようなものだろう。


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by tamaikoakihiro | 2017-11-03 02:11 | 戦犯裁判 | Comments(0)