大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro

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靖国神社に行ってきた。正確には中にある偕行文庫である。いま、この神社の名前を出すと、ウルトラ右翼みたいに、思われてしまうのかもしれないけれども、偕行文庫でしか見られないと思われる資料も、あるのだな。
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いつも(たぶん)カウンターに司書役の人が2人いるのだが、今日は1人が神職の装いだった。2、3冊の資料を見た。

平成の世も30年近くになるけれども、まだ戦地の記憶を持つ人たちが、わずかな数であっても、存命であることがわかった。

閲覧室には、自分の父親のことを調べに来ていると思しき老年の男性数名がいた。父親が戦地で亡くなった方も、今やけっこうな老境にあるわけだ。

外に出ると、桜が咲いているからだろう、たくさんの人がいた。日本人だけでなく中国人も多かった(ひょっとしたら台湾人だろうか)。
九州編成、通称号「冬」=第三七師団の戦友会が今から50年ほど前に植えたらしい桜の木があった。
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同師団の下士官だった方に、10年以上前、お目にかかったことがある。

北支から南下して仏領インドシナに至り、歩き通して最後はタイ、マレー半島で敗戦を迎えた部隊である。精強を誇ったと聞く。一号作戦(大陸打通作戦)といい、戦争末期にそのような大変な作戦を大陸で行っていたのである。迎え入れる側の仏印からは一号策応作戦というのを行った。一号策応作戦に参加した下級将校の方にも会ったことが、あるな。

冬兵団は、歩き通しで、糧食は現地調達を重ねたが、衣服はぼろになるに任せ、フランス領インドシナに入ったときは、あまりの身なりの汚さに、土地の人々が驚いたそうだ。この冬兵団で下士官だった方を鹿児島のお住まいに訪問した折、「何か覚えている安南語はありますか?」と尋ねた。

「ジョータイレン! ですね」
「意味は何でしょうか?」
「手を上げろ! ということです」

1945年3月9日の仏印武力処理の際「ジョータイレン!」と、敵方(フランス植民地軍)に向かって言ったらしい。戦闘意欲の低い安南人はさっさと手を上げて出てきたらしい。安南人は、フランス植民地の防衛のために血を流す意味なんて、それほど感じなかっただろう。

その戦いから約60年後の2005年。私はベトナム・ホーチミン市に移住していた。小さな会社で働いていた。ある日、路上の珈琲屋で、ベトナム人の友人に「ジョータイレン!」と言ってみた。通じた。げらげら笑われた。手を上げるポーズをとってくれた。

手を上げた友人――2人いた――のうち1人は、いま会社経営者である。もう1人は、正月の大学駅伝のスポンサーで知られるビール会社のベトナム法人に勤めていて、要職にある。

私たちは小さな会社で同僚同士だったが、全員そこを離れて、2人はスバラシイ経歴をつくっているわけだ。2人に共通するのは、ろくにベトナム語の出来ない私を気にかけてくれ、親しくしてくれたことである。忘れ得ないできごとが、たくさんある。

自分が異邦から来た友人にあそこまで親切にできるとはとうてい思えない。

大川周明は、アジアに派遣される自分の弟子たちに「正直と親切」の大切さを説いた。そして「1人でいいから現地で友人をつくりなさい」と話したという。「ほかに何もできなくていいから」と前置きして――

私は2人、得ることができた。僥倖だったな、と思う。ベトナムを離れて10年。今年こそ再訪できるだろうか。再会したいな、と思う。
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インパール作戦に参加した弓兵団関係者による献木もあった。祭兵団、安兵団、そして弓兵団。インパール作戦が語られるとき、必ずでる部隊である。



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by tamaikoakihiro | 2017-04-03 23:38 | 戦犯裁判 | Comments(0)