大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro

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「青年は人間性の本当の恐しさを知らない。そもそも市民の自覚というのは、人間性への恐怖から始まるんだ」(三島由紀夫「東大を動物園にしろ」)

なるほど、人間は、確かに恐ろしい部分をたくさん持っていると思う。動物を愛護する一面があっても、他国の人を排撃したり、とか。

「東大を動物園にしろ」はこう続く。

「自分の中の人間性への恐怖、他人の中にもあるだろう人間性への恐怖、それが市民の自覚を形成してゆく。互いに互いの人間性の恐しさを悟り、法律やらゴチャゴチャした手続で互いの手を縛り合うんだね」

発表は,1969年(昭和44)。それから7年後に私は生まれたのだな。1976年というのは、戦後生まれが人口の過半を占めた年だということを、どこかで読んだ。改めてその数字を確認していないけれども、そうなのだろう。

生まれる少し前までは、70年安保の闘争というので、世情が騒然としていたらしいことは、新左翼関連の本を読みあさっていた頃に知った。

無職だった時期に、一度、その関連の事件(東アジア反日武装戦線が起こしたものだったような気がする)の裁判を傍聴したことがあった。たった一度の傍聴では何もわかるはずがない、な。

「東大を動物園にしろ」は、もちろん学生運動を念頭に置いて書かれたのだろう。書かれたものには、常に時代が背景として立っているのだろう。もう少し、昭和後期について知らないと、いけないなと思う。何しろ自分が生きてきた時代であるのだから。

今日は五・一五事件の日。大川周明が関与し、逮捕された。この事件のことを含め、政治について語ることを、大川が後に開いた私塾、東亜経済調査局附属研究所(大川塾)では、禁じられていたという。
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by tamaikoakihiro | 2016-05-15 08:57 | 昭和後期 | Comments(0)
大田区に行ってきた。乗り換えを何度かして、目的地に着いた。駅は久が原で、初めて降りた駅だった。小さな駅で、人の数も少ない。
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東急電鉄の小さな(?)路線で見かける壁に張り付いた、あるいは壁から生えだしたようなベンチを見て、「ああ、東急だな」と思う。

池上本門寺での催事に出かけた時期があって、その折に、見て覚えたように思う。

踏切のあたりで、インド料理屋の人が、チラシを配っていた。踏切が時々鳴った。

スーパーに近い喫茶店で一息をついた。もうもうと煙草の煙が立っていて、年配の客が多く、年金や財産の話題が多かった。

久が原まで行く途中、病院が近くにそびえる駅で乗り換えた。その病院には、身内を見舞ったことがある。10年くらい前である。雨が降っていて、寒かった。
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その後、そうだ、勤めの関係で二度ほど訪れたけれども、いずれも雨が降っていた。一度は、カメラマンのWさんがいっしょだった。Wさんは、覚えているだろうか。

ともあれ旗の台は雨の記憶しかない。今日乗り換えで使って、ようやく晴天の記憶ができるわけだ。

しかし、記憶はいつか混濁するものだろうから、晴れもそのうち雨天になるかもしれない。

晴れのイメージから、突然に、プロコンドル島を思い浮かべる。

ベトナムにいたときに、そのプロコンドル島に行かなかったことを、今になって悔いる。コンダオという名前になっていたその島は、ベトナム戦争当時には、政治犯が収容されていた。

大東亜戦争が終わったあとには、日本軍憲兵を主とする戦犯既決囚が収容されていた。さらにその前は、フランス植民地政府が、安南人(ベトナム人という呼び方は、独立運動に直結するもので、使われていなかった)の政治犯が収容されていた。

プロコンドル島で服役していた人の手記や絵を見たことがある。実際にいた人の話も聞いたわけだけれども、イメージは晴天を伴う。


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by tamaikoakihiro | 2016-05-01 19:15 | 戦犯裁判 | Comments(0)