大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro

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「行雲流水」という言葉を、いつからか覚えて、気に入っていた。大辞林によると「空行く雲や流れる水のように、一事に執着せず、自然にまかせて行動すること」だそう。

なるほど、英語にすると、let it beかなあ。いや違うか。

元は中国の言葉らしい。

欲を言えば切りがないし、我を張れば、いくらでも張れそうだけれども、ま、我の正体とは、小物の自分に他ならないだろうから、張っても無駄だろうなあと思ったり。

しかし「行雲流水」なる言葉をつくった人は(いるとすれば)、やはり一事に執着してしまう人だったのではないかな。

昔、Eaglesの「Take it easy」を聞いていたら、「そんなこと歌うEaglesってのは、Take it easyができなかったに違いないね」と言った友人がいた。「いや、そりゃ、いい意味でね」と。

なるほど、と思った。できないことを、言葉にして、せめて慰めを得る、ということか。

歌ってのはそういうものなんだろうなあ。
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by tamaikoakihiro | 2015-01-12 07:47 | 雑感 | Comments(0)

友人からの電話

正月に、久し振りに友人のSくんから電話があった。

Sくんは万事に辛辣というか、敏感な関西人である。
予備校時代に鉛筆を忘れたとかで話しかけられて以来、
友人づきあいをさせてもらっている。

近況を報告しあううちに正月に見たテレビ番組の話になった。
(こちらはもっぱら聞く側であったが)。

「日本の芸能人が、マレーシアかどこかで日本製品を物々交換して
旅行するような企画があったね」とSくん。

私はテレビに興味が薄いので、「そうなの」と答えた。

「どう思うよ、そういうの。日本人のある種の思考様式が
よく出ていると思ったんだけれどね」

Sくんは関西人だが、東京が長く、微妙な東京弁(?)を話す。
だからここでも関西弁では書かない。

「思考様式って?」と私。

「日本のつくっているものは誰にでも受け入れられるよいもの、
であるとか、だから受け入れられて当然とか、なんつーのか、
そういう考え方がよ、独善的じゃねえ?」

「なるほどね」と私。

「いや、テレビの企画だから芸能人がモノを出せば、マレーシアの人は
『いいよ』と言ってくれるわけだ」とSくん。

さらに言う。「ディレクターとかが、現地の日本人コーディネーターに指示を出して、
相手の人に了解を事前に取り付けているんだろうし」

Sくんはほんの数十秒見ただけで、チャンネルを変えたそうである。

「でもな、もし日本に来たアメリカ人とかイギリス人とか、日本にとって
戦勝国の国籍の人間が、同じことをやる番組をつくっていたら、
どう受け止めるんだよ、日本のマスコミ関係者は」と続けるSくん。

「彼らは傲慢だとか、日本も舐められたもんだとか、少しは憤るんじゃねえ?
その逆をやっているんじゃないかと、思ったんだけれど、どう思うよ?」

Sくんは割合、愛国的なのかもしれない。そしてこうも言った。

「要するに、優越意識があるから、『アジアで日本製品を使って物々交換』
なんて発想ができるんじゃないか、と言えるんじぇねえの?」

辛辣だが、最後は強く断言しないのがSくんである。結論らしきものを、投げかけてくるのである。

そのあと、話はまた別の方向に向かった。だから結局、彼の真意はわからない。

しかしSくんの提示する話題は毎回、面白い、というか興味深い、というか。

日本のアジア関与というと堅苦しいけれども、かつての南方、
現在の東南アジアと日本の関係には、私もいつも関心がある。

いま、アジアは一つの市場であり、日本ならびに日本企業はそこでチャンス
を開拓すべきだという論調に、世間は異を唱えない感じだろうなあ。
今年はアセアンの経済統合があるんだったか。

テレビは一般に多くの人の心に沿うものだという考えに間違いがない
とすれば、テレビ番組がアジアを取り上げるとき、
それが日本人の多くの人のアジアに対する心情を映しているのだろうか。

もしSくんの言う優越意識が日本人にあるとしたら、
それは他国の人にどう受け止められているのだろうか、
と少し、気になった。
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by tamaikoakihiro | 2015-01-04 16:38 | 雑感 | Comments(0)
『懐かしき文士たち 戦後篇』(巌谷大四・文春文庫)を読み直した。

雑誌「人間」が昭和22年1月号で「昭和二十二年に望むこと」という
アンケートを掲載したそうだ。
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答えるのは作家である。

石川達三の答え。
「昭和二十二年に望むことは、愛国心を喚起すべきことです――以下略」

なるほど、敗戦で戦時中の愛国一辺倒の反動があった時期らしいのだろう、と想像する。

河盛好蔵の答え。
「一日も早く戦争裁判が終結し、媾和会議が開かれ、賠償額が決定し、
海外との交通が開かれることを切望します――以下略」

対日講和条約が結ばれるのは昭和26年だから、まだまだ時間が必要
だったのだ。

そして太宰治の答え。

「何を望んだって、何も出来やしねえ」

この太宰の答えだけを、どこかで読んで知っていた。

なるほど、「一年の計は」式の話ばかりがある新年に、うんざりしてもおかしくない。

あるいは新日本とか、変わることばかりを強調された時代であろうから、
それもまたうんざりしたのかもしれないなあ。
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by tamaikoakihiro | 2015-01-03 07:10 | 作家 | Comments(0)