大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro

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戦犯、小説家、芥川賞

ベトナムに住んでいた頃、フランス領時代の建物を飽かず撮影していた。

サイゴン郊外のチーホア刑務所を発見したときは嬉しかった。

チーホアという地名は地図に載っていて、チーホア市場という
のもあったのだから、うろうろ探せばすぐに見つかった。

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ここに収監されていた日本人のことは、あまり知られていないようだ。
巣鴨プリズンのことは、まあたいていの人が知っていると思うけれども。

チーホアにいた日本人は、だいたいが戦犯容疑者であったようだ。

南方から内地に復員後、捕らえられてここに入れられた人の手記を読んだ
記憶がある。九州の冬兵団の方だったと思う。北部仏印ランソンでの
フランス軍との戦闘の際に起こった問題で罪に問われた日本人が多かった。

チーホアのことを初めて知ったのは、芥川賞作家・古山高麗雄の作品から。

古山はチーホアのことを、草原にぽつんと建つ刑務所として描いていた。

私が見つけたときは、住宅地や小さな工場の類が周囲に密集する
都会のなかの監獄になっていた。

古山は戦犯容疑でここにいて、その後、サイゴン中心部、現在の
裁判所の向かい、ベンタン市場(旧称中央市場)にも近い場所に
あったサイゴン中央刑務所に移され、裁判を受けた。
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判決を受けたのは、1947年だった。そこから作家になるまで
20年と少し。いろいろと曲折があったのだろう、と想像する。
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by tamaikoakihiro | 2014-12-26 05:26 | 作家 | Comments(0)

「偉大な師」

本厚木からバスに乗って旧大川周明邸を訪ねたのはもう3年前のことになる。暑い盛りで、バス通りから路地を入って行くと、川の音が気持ちよく聞こえた。

他に訪問者はいなかった。

そこは大川周明が没した地でもある。そして昨日、12月24日は大川周明の命日なのであった。

大川周明の弟子たち(大川塾生)は青山斎場での葬儀ののち、冊子を編んでいる。関係者の名前と連絡先が記載されている。高級軍人、外交関係者など、名前を見るだけで、交際の広さがわかるものだった。閲覧させてもらったときは、体が熱くなる感じがあった。

葬儀後の、集合写真とともに「これは●●さんでしょ――」と大将級の人物の名前を聞いた。そういう人々を近くに、教えを受けた大川塾生の識見というのは、いまの大学生以上のものでなかったかと想像している。

「偉大な師」と大川のことを呼んだ大川塾生もいた。

朔風とは北風のことだけれども、この時期にも一度、訪れてみたいと思う。
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by tamaikoakihiro | 2014-12-25 07:25 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)
先日、喪中欠礼の葉書をある方から頂いた。大川塾生のご子息からだった。その方の御尊父、つまり大川塾生の方には何度も自宅に伺い、お話を聞き、何度か昼食もご一緒したから悲しい思いを持った。

初めてお目にかかったのは2007年の8月。ベトナムから一時帰国した折だった。初めての私に気さくに話して下さった。構えることなく、電話をかけることができ、また手紙を差し上げると必ずすぐ、お返事を下さるのであった。
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(大川塾があった場所の現在の写真)

もうお目にかかれないと思うと、7年の時間が恨めしくなる。

そうだ、2007年から本格的に大川塾の卒業生の方々に話を伺うようになって、1941年12月8日、マレー作戦が始まる直前の南方の様子を知るようになった。

20歳そこそこの若者の行動と、国運を賭した大戦争の始まりが絡まりあっていることに、驚嘆した。

いま、20歳の若者が、国運と自分の行動が重なることに、実感を持つ機会があるだろうか。

多分、戦争というのは、多くの人の運命を否応なしに変える。それは老若を問わないのだろうなあ、と思う。
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by tamaikoakihiro | 2014-12-08 21:50 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)