大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro

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散華

『日本海軍 400時間の証言』(NHKスペシャル取材班・新潮文庫)を読んでいる。戦後に行われた「反省会」の存在は初めて知った。

「軍令部」というのが、名前の通り海軍の軍令を司る部署だったことは知っていたけれども、関連書はほとんど読んだことがなかった。陸軍の参謀本部に対置されるのだな。

反省会でのやりとりや、かつて尉官クラスだった人が将官クラスを批判する記述などを見ると、生々しさを感じる。

途中、特攻に関する記述が多かった気がする。

特攻で思い出す本は『戦艦大和ノ最期』(吉田満)である。戦艦大和の沖縄行きは「洋上特攻」なのである。吉田は自分たちのことを「散華の世代」といっていたのだったか……

吉田と親交のあった古山高麗雄の文章を読むと、古山の方では、学徒出陣で応召した吉田のような帝大生は、将校になっているから、わりあい特権階級(軍隊の中では)ということになるらしい。

うろ覚えだけれども、吉田が特攻で出撃した将校たちの死の「意味」を考えようとしていることについて、古山は、自分は死の意味など考えない、と明言していたことが印象に残っている。

応召して学窓を離れ、死の意味を考え続けた学徒将校の死も、農村から召集を拒むこともなく出征した兵隊の死も、同じであると考えたい、といった意味だったと思う。戦死に関し、「散華」と言ったり「犬死に」と言ったりして、色合いを付けるようなこともしたくない、と書いていたと記憶する。実感から言葉なのだろうと思った。

古山は北ビルマ・雲南の作戦で、近くで呆気ない感じで死んだ戦友を見た。敗戦後、サイゴンの監獄では、銃殺刑が決まった「戦犯」たちが、装った朗らかさで過ごす姿を見た。死を直接に見た人らしい、実感が、あったに違いないと思うのだなあ。それがどんなものかは、うまく書けないのだけれども。

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(古山の父の出身地、宮城県七ヶ宿町の雪風景)

さて海軍。10年ほど前、南方作戦について国会図書館で調べていたことがある。仕事をしていない時分だったから平日も朝から出かけた。閲覧室でいつも同じ位置に座る老齢の男性がいた。体つきはがっしりしていて、顔の血色はよかった。

いつ見ても、手元には海軍関係の本があった。年齢は80歳代に見えた。応召して海軍に入り、末端で敗戦を迎えたのだろうと想像した。自分がいた場所が、戦史から見ればどんなところだったのか、確認しているのだろうかと思いながら、いつか話を聞いてみたいと思いながら、そうしなかった。
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by tamaikoakihiro | 2014-09-28 07:20 | 作家 | Comments(0)

ハノイ、北部仏印進駐

ハノイに日本軍進駐の頃のゆかりの場所を訪ねたことがある。そのときで、進駐から65年以上が経過していたと思う。そうか、進駐は1940年9月だったか。大川周明の弟子の一人も、北部仏印進駐の隊列の中にいた。

フランス側との調整にあたる「澄田機関」のあった建物も「これかな」とものを、古地図を使って見つけた。

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澄田機関の長は澄田睞四郎。息子の一人、智はのちに日銀総裁になっている。自分が最初にニュースで聞いて覚えた日銀総裁の名前、なのだなあ。だから澄田機関の建物を見た時は、仏印進駐のことに加え、あああの総裁の……と思ったなあ。

ハノイには、日本人の商店もたくさんあった。日本人の名前が残っていて、往時の日本人の定着ぶりが窺えた。

「SHIMOMURA」とあるが、これは「下村洋行」という日本人経営の店だったところ。
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by tamaikoakihiro | 2014-09-21 07:26 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)

酒田、最上川、日本海

大川周明関連の資料がある光丘文庫には、2011年と2012年に行った。小高い丘の上にあって、眺めがよい。日和山公園の方に行くと最上川と日本海が見渡せた記憶がある。

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2012年に酒田に行ったときは、初日は雨が少し降っていて、翌日はよく晴れて寒かった。酒田の街中を通って、帰路、駅に向かうときは寂しかった。タクシーに同乗して下さった大川塾二期生の方のお話を、まだまだ伺いたかった。

今年は酒田で何を見られるのか、少し、想像してみる。
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by tamaikoakihiro | 2014-09-15 08:45 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)
『龍陵会戦』(古山高麗雄・文春文庫)に、1945年の仏印武力処理(明号作戦)のあと、日本軍がつくった俘虜収容所のことが書かれている。ここは確か本所、要するに本部みたいなところであり、ラオスの山中に分所があったことは古山が繰り返し書いている。

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「植物園の近くに在った。マルタンと呼ばれていたところだった」ともある。マルタンとはフランス植民地軍の兵営があったところで、古い地図では「マルタン兵営」と書かれていたりする。今で言うと、レユアン通りとグエンティミンカイ通りに挟まれて、大学があるところであろうと、思う。

ベトナムに住んでいた時分、近くに最初に部屋を借りたから、マルタン兵営だなあと思いながらうろうろした。植物園にも度々足を運んだ。サルの類に石を投げたりする客がいて、檻の中で怒り狂ったサルを見たような記憶がある。。

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古山のサイゴンに関する記述は、このマルタン兵営、植物園と、中央停車場、カチナ通り、郊外のチーホア刑務所、中央刑務所、探偵局、あとはショロン、カンホイ……そんなところだろうか。道端で湯を沸かしてコーヒーを供する店のことも書いていたかな。

サイゴンの古い写真を集めた本を、在住時代に購入したけれども、久し振りに、見てみたいと思う。自分の見たことのないものは、人の残してくれたものから、想像するしかないのだなあ。そういう残されたものというのは、ありがたい。

しかしこの映像は、本当に1945年なのだろうか。1分33秒のあたり、中央市場(ベンタン市場)周辺だと思うけれど、これは大南公司の市場前の店に近いのではないだろうか。

2分14秒のあたり、今はなき中央停車場(サイゴン駅)まである……4分25秒のあたり、バナナをたくさん天秤棒にかけて歩き出す女。「ひょくひょく」とその揺れる様を古山は書いたけれども、確かに在住時代、それを見て「ひょくひょく」が適切だと思ったのであったなあ。

7分35秒からは植物園である。しかしこの映像は、誰がどんな目的で撮影したのだろうか。


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by tamaikoakihiro | 2014-09-13 18:49 | 作家 | Comments(0)

経験

経験したからといって、ものがはっきり見えるとは限らない――「私と戦争」(大岡昇平)。『証言 その時々』(講談社学術文庫)は面白かった。未読のものばかりだった気がする。

大岡と長く付き合いのあった作家の方から、大岡の人となりを伺ったことがあるけれども、大磯や成城の住まいにその方が行った折のことなど含めて面白かった。

それで、経験について、大岡自身は上記のように書いていた。「ロバが旅したからといって馬になるわけではない」という西洋の箴言を、誰か作家が書いていた。

経験は人を賢くするときもあるだろうけれど、まったくそうならないこともあるのだろう。

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(写真は大南公司創業者・松下光廣が最初に定住したハノイ南方ナムディンの町。松下のもとで多くの大川塾生が戦前・戦中・戦後と働いた)

学生時分、ベトナムを旅行していた。インドネシアから来たある人が、「インドネシア人、バカなんですよ」と、私なんかでもそりゃあ言い過ぎだし、もし「バカ」と感じるある一人に遭遇したからといって、「インドネシア人」に敷衍するのはなあ、と感じることを、口にしていた。

旅行は貴重な経験だけれども、自らみた範囲だけで、「真実」と思えるような思い上がりも許すわけなのであろう。経験とはそういうものなのであろうな。

それはベトナム在住時、日本では考えにくいもろもろのことにいらだっていた自分にも通じる感覚である。それで大岡の言葉に接すると、そうなんだよなあと思う。

来月、酒田に行けることになった。酒田に行って、大東亜戦争中、当時の若者としては特異な教育を受け、特異な経験をされた方々のお目にかかれる。今から待ち遠しい。
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by tamaikoakihiro | 2014-09-07 10:36 | 作家 | Comments(0)

南方の病

以前、戦中に仏領インドシナに行っていた方から、彼の地でマラリアになり、戦後もときどきその症状が出た、といった話を伺った(もしかしたらその方の手記で読んだのかも)記憶がある。

今、デング熱が話題になっていて、ある新聞を見たら、コラム欄で「太平洋戦争のとき、ガダルカナルや東部ニューギニアで日本軍将兵をさいなんだのは飢餓とともにマラリアであった」とあった。

ガダルカナルや東部ニューギニアに限らず、多分ビルマもそうであったろうと思う。手記や戦記の類を見ていると、「悪疫瘴癘の地」の病として、マラリアはだいたい出て来る。

これはただの感想だけれども、従軍を経験した世代が圧倒的に多かった20年~30年前なら、ガダルカナルや東部ニューギニアだけと受け取れるような書き方はできなかったのじゃないかな。

戦争を知る世代が減ると、ものの書かれ方も、たぶん変わるのだろうな、とぼんやり思った。
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by tamaikoakihiro | 2014-09-03 05:33 | 雑感 | Comments(0)