大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro

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七ヶ宿町往還

この前の雪が激しい折、宮城県・七ヶ宿町に行ってきた。出発の朝、東京は吹雪いていた。白石蔵王の駅に到着すると曇天も降雪はなかった。昨年も乗った町営バスが国道113号線を上がって行くと、雪をかぶった山々を望見し、また七ヶ宿のダムの冷え冷えとした水面に「また来たな」と思った。

一年ぶりに会う方々が、また親切にもいろいろとご教示くださった。気になっていたのは、七ヶ宿から白石に行くときのいい方である。

「下る」というのだと教わった。表現はいろいろあるだろうけれども、土地での言い習わし方を教わってありがたく思った。

到着した日の夕方から雪がひどく降り始めた。翌朝はけっこうな積もりようなのだった。それでも行きたいところへでかけた。

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すると帰途は建物から出て駐車場に行くまでにも一苦労になった。腰の辺りまで積もった雪をお世話になった方と交替でかきわけた。100メートルも行くのに30分くらいかかったのではないか。

除雪車がだいぶ遠くから雪をどしどし推しよけながら進むのを、心待ちにした。目の前まで来て、埋もれていた道を露わにしてくれたときには、救われた思いをした。

ついでに除雪車に乗せて貰ってその場を脱出した。途中からは道路パトロールカーに乗り換えさせてもらった。さらに降りて、暗くなった空の下、国道を歩いた。一人だったら心細くてダメだっただろう。

「もっと苦労せよ」

最下級の兵隊として苦労した作家が、そう言っている気がした。

その日、バスは運休した。翌午前中も運休した。バス停を見に行くと、待合室は雪にこれも埋もれていた。

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こういう経験をできるのも縁であり、運であるな、と思った。
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by tamaikoakihiro | 2014-02-24 23:36 | 作家 | Comments(0)

死の谷

ビルマ北部にフーコンという土地がある。行ったことはない。そこに取材に行った作家に同行した方から話を聞かせてもらったことはある。

フーコンとはカチン語で「死」を意味するらしい。そう『菊と龍』(相良良輔・光人社)には書いてある。

作家とは故人で芥川賞を受賞している古山高麗雄で、古山のことを調べると、止まらない。フーコン取材の折のことを書いた寄稿「私のフーコン旅行記」には、特務機関「西機関」の人とのつながりについて触れている。

取材の過程で知り合ったのだろうか。

西機関のことはよく知らない。宣撫工作のようなことをしていたのだろうか、と今は想像している。

そうだ、大川塾卒業生の中には、印緬国境で特殊工作に就いた人もいる。その種のことをした人に、直接お目に掛かる機会は得られなかったけれども、手記などで活動を想像した。

フーコンに話を戻す。悪疫瘴癘のこの地を貫いて輸送路をつくろうと、連合軍はしたそうだ。インド・アッサム州のレドを起点に、北ビルマのミートキーナを経てバーモへ、そそいて雲南省・昆明に通じる「レド公路」がそれだという。

レドからミートキーナまで500キロは軍用道路に、併行して油送管も敷設しようとしたということだ。

後方を重視するアメリカ式のやりかたであったらしい。

対して日本軍。インド・インパールを目指す作戦では、敵中に糧を求めよとし、「ジンギスカン作戦」とか言ったようだ。

物量の違いか、そもそも発想の違いか。

フーコンのことを読みながら、いろいろ考えてみる。

それにしても今日は雪だ。こういう多難な時期に受験をやるのも、何か日本人の心性に関係があるのだろうか。真夏のぶったおれそうな時期に甲子園をやるような?

いろいろわからないことが、多い。
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by tamaikoakihiro | 2014-02-08 14:24 | 作家 | Comments(0)
「己のなすことを愛せ」とかいうセリフを、何だったか、イタリアの青春映画の中で聞いて、いたく感動した覚えがある。それを言ったのは老人だったなあ。

タイトルは、思い出した、『ニューシネマパラダイス』だった。

己のなすこと、なんて大仰な感じがしてしまうものの、そうだ、サイゴンの旧正月は美しかったし、それを感じて歩くのは、確かに楽しかった(愛していたかどうかはわからない)。

花々が公園や市場に溢れ、日本の早春の光に似た空の明るさがこの時期から感じられるようになるのだった。三カ月もすれば曇天がちな雨季に入るのだ。

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代表的な花の名前は、「ホアマイ」だったなあ。

その頃、親しくしてくれていたベトナムの友人は、新年を郷里で迎えたらしい。南部の小さな街である。近くにはベトナム戦争の激戦地の一つ、ビンジアという場所がある。確か米軍部隊が解放戦線に結構な打撃を与えられた場所と記憶する(違うかもしれない)。

友人はあの年、そのビンジアが近い実家に招いてくれて、二泊、させてもらった。大晦日の日にサイゴンを発ったような気がする。友人の実家の裏にはコショウ畑があった。生で齧るとうまかった。

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サイゴンを出た日は薄ら寒かったけれども、次第に暑くなって、正月の日にはサトウキビジュースをたくさん飲みたくなるくらい、暑かった。友人宅でスイカもご馳走になった。

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旧正月(テト)、おめでとうございます。

チャットで話しかけると、当時と変わらない調子で、いくらかふざけて「よう、お前!!」とベトナム語で応じてくれる友人に、よい年が始まることを、ちょっと祈る。
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そうして本を読み出すと、カバー裏から、あのとき友人の導きで買った、宝くじが出てきた。当たっていたかどうかは確認しなかった。

でもまあ、八年後に、いい思いをさせてくれるのだから、当たりとしておこう。
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by tamaikoakihiro | 2014-02-01 05:36 | 雑感 | Comments(0)