大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro

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禅で云う

「禅で云う見性ほど、命を懸けての一大事なのだ」(「長編小説 芥川龍之介」小島政二郎)。小島政二郎は初めて読む作家。この言葉の前に、こうある。

「モノになるならぬは、自信を持つか持たぬかだ。持つか持たないかだと云うが、これが実に大きいのだ。幾ら持とうと思っても、持てないのだ。持てる時が来なければ、どうにもならない一生の大事なのだ」

これは中野重治のことを、芥川が室生犀星(おお、金沢)宛の手紙で賞賛したことに触れての一文。

人から間接的に褒められると自信になる、というのは、よくあるマネジメント本でありそうな話だけれども、小島もそんな主旨のことを言っている。

で、なぜ小島の本を読もうと思ったのか、忘れてしまっている。まあ「見性」という言葉を辞書で調べる機会を得られただけでもありがたいと思う。

仏教用語なのだな。

〘仏〙 修行によって表面的な心のあり方を克服し,自分に本来備わっている仏の真理を見きわめること。「―悟道」

と『大辞林』にはあった。なるほど、よくわからないけれども、そういうことなのだろう。
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by tamaikoakihiro | 2013-12-31 05:39 | 作家 | Comments(0)

開戦と南方

72年前、大東亜戦争が始まった。開戦前夜のことは、当時バンコクにいた大川周明の弟子(大川塾生)の方々に聞かせてもらった。

「開戦=真珠湾攻撃」といったイメージが強いようだ。とはいえ南方での作戦も重大なのであった。

バンコクの大川塾生は日本大使館の催した盛大なスキヤキパーティに招かれたそうだ。

あるノンフィクション作家の著作を読むと似たような催しをやはり外国の記者を招いて日本側で行っていたらしい。

いわゆる「偽装」だったのだろうか。その夜のことを想像しては何となく興奮を覚えた。だから毎年、この日を迎えると、思い出して想像を新たにする。毎年毎年、これは変わらない。

バンコクにいたある方は、それからビルマ独立義勇軍(BIA)に参加してラングーンまで向かった。

このBIAのビルマ人側にアウンサンスーチーの父、オンサン(当時を知る人たちはみなこう書いている)がいたことはよく知られた事実である。

そうだ、仏領インドシナにいた方にも開戦の頃のことを伺ったように思う。その方は二度お目に掛かり、いろいろ当時の記録類も見せて下さった。その後、亡くなられた。できあがった本をお渡しすることはできなかった。

ただ御息女から手紙を頂くことができた。望外の喜びを感じた。

「人はそれぞれ立場がある」ということを、その仏印にいらした方から教わった。ありきたりな話かもしれないけれども、これを意識して暮らすことは意外と難しいと思う。

日本人が戦争を戦ったのも、たぶん止むにやまれぬと、当時、信じるに値するものがあったのではないかと、想像する。想像するだけで、とても実感までは持てないのだけれども。

72年前。そうか、開戦の頃から振り返るとすれば、明治維新の頃のことなのか。

実感をもって語れる人は、もはや寥々たる数なのだろう。

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by tamaikoakihiro | 2013-12-08 02:20 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)