大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro

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フィクサー

「学部生の卒論なんてのは、自分がいかにそのテーマを愛しているかってことを、書きゃあいいんですから」と、あの教授は言ったのだった。学部随一の「フィクサー」とかどこかに書かれていたけれども、フィクサーたる所以は知らなかった。いまも知らない。

自分の愛好しているものを、人に理解して貰うのは難しいし、その魅力を綴って読み進めて貰うのはまた難しいだろうなあ。だからあの教授が言ったのは、別に学部生の卒論だけのことでもないのだろう、と思う。

「愛する事もなく利用することばかりを知っている『研究』がなんであらうか」(武田泰淳)という文章に今日、接した。

「愛する」とは重厚な響きだけれども、とまれことの出発点であり、終着点なのだろうなあ。
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by tamaikoakihiro | 2013-11-10 21:06 | 雑感 | Comments(0)

気がする

意志のないものに絶望などあろうはずがないじゃありませんか――「いのちの初夜」(北條民雄)に見える言葉。北條はハンセン病(癩病)により24歳で亡くなった作家。作品は『火花――北條民雄の生涯』(高山文彦)で知った。

知らない作家のことを、よい作品を通じて知ることができるというのは、ありがたいことだなと感じる。自分が知れることの範囲はごく狭いけれども、少し運がよければ、そういう風にして、新しいところに立てる、かもしれないのだなあ。

意志も絶望も、明確には持たないものの、よい言葉に出会うとそれはそれで幸せに近づいた気がする。あくまで気がする、程度なのだけれども。
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by tamaikoakihiro | 2013-11-07 04:19 | 雑感 | Comments(0)

アルプス

信州・伊那の方面に出かける機会があった。戦後、詩の世界で存在感を持ったある「派」(と言ってよいのかどうか、詩に暗い私には自信があまりない)の中でも、代表的な方のお目にかかるためだった。詩についてでなく、その方が交際したある作家のことを聞かせてもらう――それが目的だった。

中央道をバスで行くと、木々が赤くなっていた。到着した街は小さく、人影も少なかった。以前訪ねた近くの街に似て、JRの駅の周囲に商店街が連なっていた。小さなロータリーにはバスとタクシーが佇んでいた。

タクシーに乗ると、山の方に向かって下った。谷が大きく広がっていた。天竜川が時間をかけて削ったのだろう、と思う。

その方は、大学を卒業してすぐに入った出版社と縁があるのであった。だから作家のことを伺う合間に、息継ぎのつもりで、その会社の話題を出した。

往時を思い出されたようだった。私は文字によって知り、また年輩の社員から聞いたりした諸先輩方(といっても私はダメ社員だったから、そんな風にいう資格はないのだけれども)の話をしてくれた。

話を聞き終えて外にでると、山肌が夕刻の色になっていた。帰りの車中、アメリカの作家、フォークナーの小説を読んだときのことを思い出した。
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by tamaikoakihiro | 2013-11-06 02:50 | 作家 | Comments(0)