大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro

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慰霊祭

池上本門寺の長い急な階段を上って、シンガポール・チャンギー殉難者慰霊祭に並んだ。末席を汚すという言葉が合うのかどうかわからないけれど、文字通り隅っこの席に座った。まだ当時の実際の体験者がご存命で驚いた。

昨年、チャンギー刑務所で刑死する人たちと向き合った田中師は亡くなったから、違う方が読経など、していた。

慰霊祭後の懇親会で隣り合った方は92歳。鉄道第9聯隊所属で、開戦前に北部仏印派遣、海南島移動後、開戦からまもなく、南タイのシンゴラに上陸し、シンガポールまで行ったという。

シンゴラと聞くと、大川塾生が領事館雇員として開戦前後に活躍した話を思い出した。92歳の方の隣にいらしたのは陸士53期の方。府立四中(現在の戸山高校)から陸士に入ったそうだ。

幼年学校のことが気になっていたので、幼年学校出身者と中学校出身者の違いなど、少し聞いてみた。

いろいろあって、いろいろきっかけが得られそうな一日だった。

でも池上は、遠いなあ。
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by tamaikoakihiro | 2011-10-16 21:15 | 雑感 | Comments(0)

右左

昨日、穂積五一という人が主宰した寮の関係者に会って話を伺った。武田信近という、大川周明にも関係し、大川塾生とも関係した人物のことを知りたいと思い、お願いしたのだった。

直接は面識が深くないとのことだったが、脱線したときの話がはなはだ興味深く、ずいぶん長く時間を割いてもらった。

武田信近は、戦後風にいえば右翼ということになるのだろうけれども、戦後も故郷鹿児島のためにいろいろと尽くしたようだ。

そういえば飯尾憲士の作品に『島に陽が昇る』というものがあって、これは元陸軍参謀が、鹿児島の貧しい町をもり立てたという物語(ノンフィクション)だったな。

右翼だとか左翼だとか、言葉としては必要なのだろうけれども、人のなすことを評価したり、語ったりするときにはさほど重要でないのだろうなあ。
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by tamaikoakihiro | 2011-10-09 16:52 | 至軒寮 | Comments(0)