大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro

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勇戦奮闘

『ビルマ建設戦』という古い本がある。大東亜戦争中に出された本で、「大東亜戦争 陸軍報道班員手記」と副題がある。その中の一章に「ビルマ独立義勇軍」との題で記されたものがある。

ビルマ独立義勇軍、つまりはBIAである。その章から一節を引く。

「皇軍のビルマへ進攻と共に祖国に入った彼等は、各地で同志を糾合し次第にその数を増しながら、皇軍の作戦に積極的な協力振りを示した」

とにかく皇軍が主であり、協力される側であったのだ。

こういう筆致に、そして無論筆者に悪意はなかったのだろうけれども、尊大な印象は、70年後の今、免れない。

先日ある研究所の所内資料のなかでビルマ独立義勇軍幹部の日本人に対するインタビューを読んだが、末尾でビルマ独立に何か貢献したかといったような問いかけを受けて、「とても恥ずかしくてそんなことはいえない」といった主旨の答えを、その元幹部はしていた。

ビルマ独立を日本が阻害した面もまた、あったからだ。

「恥ずかしくて」は、30年ほど前のインタビューで出た言葉で、この人物は、それでも戦後、ビルマの人々と湯人として付き合い、仕事をしてきたことを述べていた。

友人という言葉に、私は大川周明の「一人の友をつくれ」という、大川塾生に贈った言葉を思い出した。
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by tamaikoakihiro | 2011-07-31 20:31 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)

ある考え方

戦争があるのに軍隊をなくすのは、泥棒がまだいるのに警察をなくすようなものである――そんな文言を、以前、東条英機の弁護を行った清瀬一郎の著書で見た。

それは東条英機の遺書に書かれた言葉として紹介されていたよう記憶する。

確かにそうだな、と思う。

しかしそうはならず、日本は軍隊を持たない国家として戦後はいちおうこれまで来たわけだ、自衛隊は軍隊ではないといいながら。

あと一月もすると、また敗戦(終戦)の日だからといって喧しくなるのだろう。
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by tamaikoakihiro | 2011-07-10 17:14 | 雑感 | Comments(0)

責められる

以前、元将校という3人に、食事をしながら半ば叱責されるように話を聞かせてもらったことがある。これまたこれくらいの暑い季節で、2004年のことだった。

北部仏印に展開していた第21師団の方なら誰であれ、話を聞いてみたいというめちゃくちゃな発想で、戦友会報をいくらか読み、ある戦友会の東京支部に連絡をとったのだった。

私は取材意図をうまく伝えられなかったようだ。

あのお三方は、私が、ベトナムで巷間に流布してしまっている「日本軍の駐屯による200万人餓死」説を私が追っており、その責任追及的な取材をしているものと理解されていたようだった。

私は左翼青年に取り違えられていたようだった。

だから誤った認識を糺すのだという意気込みで、私に向かわれたのだろう。

そうではなくて……と質問を切り出そうにも、一方的にいろいろと話をされてしまった。

苦い取材の記憶だなあ。

しかしあれはあれでよい勉強になった。自分の意図が明確に伝えられないようでは、取材になんか、なるわけがないのだろう。

それは最初に出した手紙がいい加減だったのだろう。

手紙は、私にとって、ちょっとした修行のツールのようだな。

そうだ、手紙一本ロクに書けないようでは、まともに書き物なんかできないんだなあと思ったりする。
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by tamaikoakihiro | 2011-07-07 23:00 | 雑感 | Comments(0)

天ぷらそば

2004年に、南洋学院のことを調べ始めたとき、ちょうどこれくらいの季節だったのだが、横浜港の見えるビルの大きな会議室で、卒業生の二人に会って取材した。

取材後、出てきたのは大きなエビ天が二本ついた天ぷらそばであった。私は緊張しつづけで、ろくに味わえずに、でも空きっ腹だったからしっかり頂いた。

お一人は、私の出身高校が旧制中学だったとき、そこを卒業して南洋学院に入り、サイゴンに向かったのだった。

淡々と話し、変な抑揚とは無縁の方だった。その場でその方はぽつりと仰った。

「兄貴は飢えて戦場で死んだ、僕が生き残って申し訳ない」

それが天ぷらそばを食す前だったか後だったかは、もう忘れた。音声を聞き直せばわかるかもしれないけれども。

この申し訳ないという気持ちは、戦争を経験した世代にある程度共通するものだと、自分なりの取材を通じて感じている。

申し訳ないと思ったってどうなるという意見もあるのかもしれないけれども、道理では片付けられないのが感情なのだろう。

最近は天ぷらそばを食べる機会がないが、今日は蒸し暑く快晴だったから、横浜港を臨む会議室と、「申し訳ない」とつぶやいた大先輩のことを、思い出した。
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by tamaikoakihiro | 2011-07-04 21:03 | 南洋学院 | Comments(0)