大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro

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公園と戦争

少し前の発売になるが、「東京人」(都市出版)6月号で、「軍と戦争を記憶する公園」と題した小文を書く機会を頂戴した。

この号の全体は「歴史で歩く東京の公園」ということで、その中で「昭和史、とりわけ敗戦までの間のことを語れる公園について」といったご依頼なのだった。

昨年の東亜経済調査局附属研究所(大川塾)に関する短期連載のときと同じ編集の方に、お世話になった。

半端な文章になってしまったのではないかと、ちょっと今でも冷や汗をかいている(つもり)。

編集の方には、だいぶ前、「革命の都、東京というのはどうでしょうか」とお話ししたことがあって、それは孫文、周恩来、ベトナムのファン・ボイ・チャウ、クォン・デなどなど、革命志向の人たちが曲折を経て、住んでいたことを、何か文章にできたらなあと思ってお伝えしたのだった。

そのあたりのことを、覚えて下さっていたようだ。

知っている公園がほとんどだったが、加賀乙彦の『小暗い森』を再読できたのはよかった。

存命の高名な作家だが、この人の作品を高校時代に(授業中)読んで、いたく感動し、文筆の途を志したのだといっては、大げさなのだけれども、まあそんなことをぼんやり思ったのだった。

いや、また単純な18歳だったものだ。

歩いてみて、資料を読んでみて思ったのは、東京の公園は、「慰霊の場」なのだなあということ。

慰霊のために、と訪れられる場所ではないのだろうが、期せずしてそうなっている――そんな風に感じた。

詳しいことは、読んでもらえればわかるのですが……

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by tamaikoakihiro | 2011-05-30 21:10 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)

史料閲覧室

防衛省防衛研究所内の史料閲覧室に行ってきた。何度目だろうか。大東亜戦争終結までの陸海軍の史料があるところだ。

閲覧している人たちは、何というか、本当にプロ!といった感じの人ばかりで、いつも気後れする。

相談係の方に、陸軍省軍務局兵務課の機密費の使途に関する記録の探し方を尋ねた。

結局目当てのものは見つけられなかったけれども、係の方が、私には見つけられない基礎的な史料を出して下さった。非常に面白い。

収穫は、電信器材の開戦前の状況がわかったこと。大川塾生の働きとの関係も、何となくだが見えた。

いつ行っても緊張するし、かなり楽しいところだ。
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by tamaikoakihiro | 2011-05-28 05:51 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)

藤原岩市とある会社

東亜経済調査局附属研究所(大川塾)の卒業生の方から拝借したある手書き資料の中に、インド工作のF機関を率いた藤原岩一少佐の戦後の動向が記されていた。

それによると、仏印にあった商社、大南公司――ベトナム独立運動で名を馳せた――の絡みで、藤原はある会社に勤務していた。陸上自衛隊に入る前のことである。

陸上自衛隊に入ったのちも、会社の状況を確かめに、制服で有楽町のオフィスまでジープに乗って来ていたという。

戦後と戦前・戦中のつながりを示す興味深い資料だった。
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by tamaikoakihiro | 2011-05-24 08:56 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)

天草

ある証言集を読んでいて、金子昇という人物――中野学校卒業生、インド工作、仏印での特殊工作などに関わった――が、天草の出身と知る。

仏印のフエで独立運動家と交流する拠点として設けた医院の名前は、同郷の友人の名前に因んでいた。園田直である。園田は戦後、外務大臣を務めた政治家でもある。松谷天光光との結婚でも知られる。

そして園田直は、仏印にも深い縁を持っていたことが、わかっている。

まあ、そのことはまた書いてみよう。

しかし中野学校生と政治家の郷里でのつながりとは……おもしろいな。
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by tamaikoakihiro | 2011-05-22 22:23 | 雑感 | Comments(0)

昭和通商のことなど

昭和通商のことは、『阿片王』などに興味深く書かれているが、自分で「元昭和通商社員」に会うとは、数年前まで考えもしなかった。大川塾(東亜経済調査局附属研究所)二期生の方が、元社員だった。

その方には資料の閲覧などでいろいろとお世話になっていて、たぶん書斎には私がまだ見たことのない貴重な資料がたくさんあるのだろうけれども、昭和通商時代のお話は興味深いものだった。

マレー半島での鉱山開発、旧式の飛行機の売買……いちばん気になったのは、五島徳二郎のことだろうか。昭和通商社員が書いた『阿片と大砲』には彼のことがやや詳しく書かれているが、全貌までまだつかめていない。

戦後、彼と義兄弟の関係になった大川塾生(上記の方とは別の方)によると、事務所にはいわゆるやくざや外国政府の要人が出入りしたそうである。

何とも興味の尽きないところだ。
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by tamaikoakihiro | 2011-05-06 08:15 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)

暗殺

ウサマ・ビンラディンが死んだ。「殺害」という言葉で言われているが、どうなのだろう、あれは「暗殺」ではないのだろうか。

使っている辞書にはこうある。

(主に政治的な理由で要人を)ひそかにねらって殺すこと。

殺害だと、どうも政治的な理由がないように感じられる。

しかし同盟国による暗殺を、暗殺とはそのまま使えないのが、現状なのであろう。
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by tamaikoakihiro | 2011-05-03 17:12 | 雑感 | Comments(0)
4月30日は、北ベトナムが南ベトナムの首都、サイゴンを落とした日である。毎年記念の祭りをやっていた。この日、多くのベトナム人が共産主義の侵攻を怖れ、国外に脱出した。その混乱は、動画投稿サイトで今も見られる。

ベトナムの友人は、兄がサイゴンに上京していて、アイスクリームを売ったりしていたというが、やはりこの日以降、アメリカに脱出したのだった。確か20歳以上離れた兄だった。その人の娘は立派にアメリカナイズされた感じで、写真を見せられたとき、驚いたものだった。

そうだ、あの大統領官邸の鉄門を打ち破った戦車隊。隊長はベトミン(ベトナム独立同盟)に敗戦後参加した日本人将校が指導したベトナム人将校だったという。その話は、当の日本人将校から聞いた。

大東亜戦争とベトナム戦争のつながりは、これだけでなく多々ある。
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by tamaikoakihiro | 2011-05-02 07:23 | 雑感 | Comments(0)