大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro

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カンボジア

東亜経済調査局附属研究所(大川塾)の卒業生の証言を聞き直している。

あるところで、稲嶺一郎がポケットマネーでカンボジア三派連合政府の一翼を担ったソンサン派に支援をしていたことを、卒業生の一人が述べていた。

ソンサンといってももう物故しているし、そうだ、ポルポト派のことも、だいぶ過去になってしまっている。

しかし戦中の縁は戦後と長く深くつながっていたのだと思う。
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by tamaikoakihiro | 2011-04-26 22:37 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)

夏の思い出

今年もそうなのだろうが、8月15日になると、戦争関連の番組や雑誌、書籍の企画が増えるのだろうと思う。自分の記録を見ると09年は、東亜経済調査局附属研究所五期生の方に会いに、その日は世田谷に出かけていた。

その方は、「8月15日」ということに、特段の反応を示されなかったように記憶する。私の方は、それよりも話をうかがって、あと、昼食を近所でおともできたことが嬉しかった。

かしこまって話を聞くのもいいけれども、くだけた感じで好きなように話してくださる方が、ありがたいこともある。

ただ昼食時、その方が「これは誰にもいえない」と、少しだけ触れて、続きを語って下さらなかったことがある。何なのだろう、と想像した。

同窓生のことなのか、師・大川周明のことなのか。後者のように感じられたが、もちろん事実は確かめようもない。
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by tamaikoakihiro | 2011-04-21 07:13 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)

友の手を切り落として

痛切な別れはいろいろあるのだろうが、大川塾生の談話をある本で読み、想像できない痛みの存在を知った。

『資料集 インド国民軍関係者聞き書き』の中にあった、ある卒業生の話である。その方は、英軍の空襲で亡くなった後輩の手首を切り落とす場に、立ち会ったのだった。

切り落とすのは、焼いて遺骨として持ち帰るためである。

読むと、下士官が切ろうとしたとき、思わず後輩の手をつかんでしまったという。数回で切り落とせたというが、その間の感情をうまく表現できないと回顧している。

この方は私が取材を始めたとき、確かすでに物故されていて、お話をうかがうことはなかった。

しかしその後輩と同期生の方には会った。同期生が亡くなったのに、自分は帰ることができたという事実に、痛みを感じていたそうである。
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by tamaikoakihiro | 2011-04-19 14:31 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)

会いたい人の話

今、どうしても会いたい人がいるかと言われると、と勝手に問いをたてて、自ら「古山高麗雄」と答える。これほど国中で「がんばろう」が唱和され、「日本の強さを信じている」と臆面もなく言うCMが日々流れる状況に、彼ならどう感じただろう。

彼は反戦的な考えの持ち主として、ビルマ、仏印を転戦した。その考えを口に出すことはなかったが、寡黙で周囲とは壁を築いて交わらなかった。

戦後、日本は豊かになると、食うや食わずの時には言わなかった「労働は神聖なり」といったフレーズをもてあそぶようになり、そのことに彼は非常に強い違和感を表明していた。

反戦を錦の御旗とする「反戦使い」についてもどうようだった。そうだ、ベ平連が、1973年の和平協定以後、静かになったことを挙げて、本当に戦争反対なら、ラ平連、カ平連をつくればいいと揶揄した(ラはラオス、カはカンボジア)。

うーむ、何を言いたいのかわからなくなってきたが、まあとにかく今は、「進め一億火の玉だ」といった雰囲気を、手触りの感覚として持つにふさわしい時なのだろう。
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by tamaikoakihiro | 2011-04-14 07:44 | 雑感 | Comments(0)

書き方

同じことを調べて書くにしても、人それぞれ技量の差が出る。同じことについて、同じ質問しても、たぶん取材相手との間合いの取り方などによって、答えは変わる。それを書くとなれば、もうそれは大きな差が出るのだろう。

「新 忘れられた日本人」(サンデー毎日に連載中)を書いているのは佐野眞一さん(著名人を、さん付けで呼ぶことには抵抗があるけれども、ほかに「氏」と付けるのもおかしな感じなので、そうしておく)だが、0327号のテーマは「大川塾」だった。

ご自身の著作に関して取材した折のこととして書いている。

同じ方に私もお目に掛かっているが、記事中に書かれている内容の深度――短い文章なのだが――に感じ入ってしまう。

話の運びにまったく無理がないようにも感じる。僭越にもそんな感想を持つ。

うーむ。

センスだろうか。

うーむ。

訓練だろうか。

訓練だと思いたい。

拙稿に一部言及されていいて、名誉なことと思うのだが、早く自分でしっかりまとめたいなと、改めて思う。

一体何年かかってやっているのだ、と情けなくもなった。
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by tamaikoakihiro | 2011-04-08 13:15 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)

戦時中

地震以後、情報の混乱、あるいは不足、その統制めいた話が出ると、「戦時中に戻ったみたい」「大本営発表だ」といった、戦時中をネガ一方で、半ば悪であることを前提として、持ち出す人の発言に接することになる。

違和感を覚える。

そもそもそういう風に発言している人たちが、戦時中の「実感」を持っているのかどうか。それが疑わしいから、違和感を覚える。

戦時中の「実感」を持つ人たちに、またはどれだけ接したことがあるのだろうか。

「実感」も持たずに、言葉だけに反応して何かを判断することは、あまりよくないのではないだろうか。

大川周明のつくった「東亜経済調査局附属研究所」(大川塾)を卒業したある方は、在籍時代に書いた自分たちの文章について、「それはあの時代だから」と前置きして、尽忠報国、神国といった言葉も使ったものだと、語っていた。

それは時代の雰囲気であり、制約だったのだろう。

後代の人たちが、自分より前の時代を、一方的に悪であるかのように形容することは、少なくとも敬意を払った姿勢とは思えない。
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by tamaikoakihiro | 2011-04-07 07:44 | 雑感 | Comments(0)

連絡

さる方から連絡を頂戴して、驚く。名前を言えば誰でも(たぶん)知っているだろうノンフィクション作家の方が、拙稿に関し、某雑誌で言及されていたということだった。現物はまだ確かめていない。引用されていたのだろうか。

その作家の方には、無謀にも掲載誌を昨年、お送りしていたのだった。

そういう「私の力作――と本人が信じている――を読んでくれ」式の話は、高名な方になるほど多いだろうから、目を通して下さらなくても、まあそれも仕方ないだろうと思っていた。

そしてお送りしていたことも、すっかり忘れていた。

そして今日、教えてもらった。

迂闊にも知らなかった。今度、図書館で探してみよう。
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by tamaikoakihiro | 2011-04-05 23:48 | 雑感 | Comments(0)