大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro

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あれこれ考えをまとめようとすると、まとまらない。

まとまらないと何も書けないように思ってしまうが、
まとめようとする前に書く方が、最後にまとめられる可能性があるのだ。

と確信はないものの、そういうものなのだ、と思うようにする。
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by tamaikoakihiro | 2010-12-31 01:42 | 雑感 | Comments(0)

大晦日に戦争の話

ビルマ独立義勇軍(BIA)結成式は1941年12月31日に、バンコク市内の旧中華総商会庁舎で行われた。今から69年前のことだ。

日本は開戦劈頭のマレー作戦の成功から、当初、本格的な軍事作戦を考えていなかったビルマに進撃することになった。

そこで、それまでは国内擾乱のための謀略工作のためにあった南機関(機関長鈴木敬司大佐)を司令官とするビルマ独立義勇軍(BIA)が設立された。

BIAの複雑なところは、鈴木大佐がビルマ独立を至上の目標としつつ、その所属は第十五軍(司令官飯田祥二郎中将)だったことだろう。

独立のための戦争と、日本軍の作戦は目的がまったく違う。

前者のそれはイギリスの勢力を追い払うことにある。

後者のそれは重慶の国民党政権へ物資を送るための援蒋ビルマルートの遮断にある。

こういう本来は相容れないような二者が、ある時期、行動をともにすることが、大東亜戦争の間、いくつかあったようだ。

東亜経済調査局附属研究所(大川塾)の卒業生が参加したインド国民軍(INA)や安機関(ベトナム独立運動と共闘する日本軍の特務機関)などはその例の渦中にあった。
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by tamaikoakihiro | 2010-12-30 22:29 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)
在社期間は重なっていないが、新卒で入った会社の「先輩」から昨日、教えを受けた。「とにかくすべて書くのだ」と。

その方とは、あるとき知り合って、以後折に触れて教えてもらっている。

その方は「教えている」とは思わないだろうけれども、私にとっては学ぶことが多い。

ご興味は私がやっている「昭和史」あたりと重ならないのだが、ノンフィクションというか、書くことについていろいろと教わる機会をもらっているのである。

昨日、年末の近況報告として、いま書いているものが数章まとまったことをメールで伝えると、お返事を頂いた。

お返事を乱暴にまとめてしまうと、数章程度では「作品」として読む人は判断をできない、とにかく最後まで全部書きなさい――というのだった

確かにそうだ、と思う。何でそんなことを今までちゃんと意識しなかったのか、とも思った。

翻訳書をつくっていたとき、困ったのが、目次だけが海外のエージェントから送られてきて、「これで買うのか買わないのか判断してもらいたい」といった話である。

「そんな、目次だけで……本の全体像はわからないし」と感じたのだった。

いま自分で何かを調べて書くようになって、人を困らせるようなことを平気でしてはいけないと、先輩の話から思った。

何だか品行方正を心がける小学生の作文みたいになったが、率直にそんな風に思った。
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by tamaikoakihiro | 2010-12-29 14:38 | 雑感 | Comments(0)
ビルマのことを調べたり、人の発言を読んだりしているとときどき「親日」という言葉が出てくる。しかし「親~」というのは、なかなか判じにくいもののような気がする。

ビルマには開戦直後、ビルマ独立義勇軍(BIA)が入り、独立気運を高め、日本軍の進出を支援する役割を担ったという。

そういったところの記述の前後に「親日」が出てきたりする。しかしBIAに参加していたアウン・サン(アウン・サン・スーチーの父)は戦争中、日本に反旗を翻すわけである。

一方で戦後も日本に親しみを持ち続けたBIA関係者もいるし、戦後賠償の局面で日本政府関係者と彼らの間に立って活躍した大川塾生がいるのも事実である。
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by tamaikoakihiro | 2010-12-09 07:50 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)

69年目の開戦

今日は大東亜戦争開戦の日。未明までかかってある方に読んでもらうための草稿2章を仕上げていた。終わる頃、ちょうど自分の書いている事柄の時間帯とほぼ重なっていることに気づく。マレー半島に殺到する部隊の先遣隊にいた大川塾生がいる。上陸を迎え入れる町にいた者もいる。

南方作戦開始の朝、マレー半島東岸は、前夜の雨風が収まり、月に明るく照らされていたという。波の音に自らの足音を忍ばせようとしていた若者の姿を思い浮かべる。あるいはにわかに殺気立つ現地公館の慌ただしさを。

大川塾とは東亜経済調査局附属研究所のことである。大川周明が率いた。その教え子たちは、「10年は命令のままに働くもの」という師の意図にたがわず、国の大きな転換点で働いた。

その活動は必ずしも年表の上で目立つものではないが、彼らの働きなくしてマレー作戦の成功はおぼつかなかったと思う。

そんな想像などを、未明にしていた。

この日に草稿2章が仕上がったのも、何かの巡り合わせなのだと感じる。古山高麗雄流にいえば「運」というやつだろうか……
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by tamaikoakihiro | 2010-12-08 08:15 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)

情景

R.E.M.のPerfect Circleという曲の詞の中に「Shoulders high in the room」という一節がある。

このグループのことはよく知らないし、英語も不得手だから憶測なのだが、ベッドにいる誰かが、自分から離れていく恋人をぼんやりと眺めている様子なのだろうか、と思う。

低い位置にあるベッドから見ると、字句通りでいえば「肩が部屋の中で高くなっている」のだろうか。

この歌詞の正確な邦訳に別に興味はなく、ただ何度か聞いただけの私に、そういう情景まで想像させる詩人の巧みさに感じ入ったということを言いたいだけのことなのである。

翻って自分の文章のことを思うと、情景はおろか、事実関係すらあやふやで、もっとなんとかせねばと焦るのだった。
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by tamaikoakihiro | 2010-12-03 09:10 | 雑感 | Comments(0)