大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro

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初代寮長の回想

東亜経済調査局附属研究所、通称大川塾の初代寮長は、かの有名な五・一五事件参加者だった。山岸宏という人である。

この人が戦後、大川塾のOB会報に次のように書いている。

「私が寮長をしていた頃の研究所は、前に述べたように満鉄・外務省・陸軍省の三者分担による月額合計十五万円の経費で運営されていたが、その当時の金で十五万円といえば、今から考えると相当ぜいたくな資金額で、研究所は実に恵まれた環境にあったと思う」

彼は金を受け取りに陸軍省軍務課長だった岩畔豪雄中佐のもとに出向くなどしている。

岩畔豪雄といえば、開戦前の対米交渉や中野学校創設いったところで知られるが、彼と大川塾の接点もまた興味深い。
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by tamaikoakihiro | 2010-09-29 00:00 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)
『マレー作戦 陸戦史集』(原書房)を読んでいる。

大東亜戦争開戦前夜のことから書き記されている。

「大本営がマレーを含めた南方作戦計画を決定し、マレー作戦参加各部隊に将来の作戦地がマレー半島であることを示したのは、昭和一六年一〇月末で開戦僅か一カ月余り前だった」

まさに開戦直前のことである。

事前の調査は行き届いたものとはいえなかったようだ。

だが大川塾生の記録を読んでいくと、もう少し早い段階から調査が始まっていたことを伺わせる記述に出くわす。

興味深いところだ。
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by tamaikoakihiro | 2010-09-21 21:51 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)

江戸城旧本丸と大川周明

「社会教育研究所」という学校(といってしまっては不正確かも知れないが)が、江戸城旧本丸にかつてあった。現在の皇居東御苑のあたりだろうか。

場所は詳しくわからないが、この「社会教育研究所」で学ぶ若者と起居を共にしたのが、大川周明だったことを知ると、興味は尽きない。

大正年間のことである。

東亜経済調査局附属研究所、通称大川塾への流れを知りたいと思う。
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by tamaikoakihiro | 2010-09-18 22:39 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)

大川塾を訪れたひとびと

東亜経済調査局付属研究所、通称大川塾の卒業生の記録を読み返している。大戦前の頃、高位顕官のひとびとがここを訪れ、やがてアジアに放たれる若者たちに講演した。

その当時のことを、ある卒業生はこんな風に回顧している。

「支那事変はますます拡大し、日米間も急を告げるようになって、来客の数も殆ど毎日のようになり、これらの方から貴重なお話しをきくことができた。多くは軍人で、それも軍司令官級の高級将校で、我々は直立不動のコチコチになって自己申告をした。松井大将、土肥原中将、松岡洋右氏、それから外にも大勢の方々、みんな新聞で見るより、ずっと立派で、しかもやさしそうな方たちであった」

大川周明はこれらのひとびとと大川塾生を「点検」と称して引き合わせた。教え子たちの取り組みを誇りに思っていたことだろう――そんな風に、記録から想像している。a0153209_13293788.jpg
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by tamaikoakihiro | 2010-09-15 18:10 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)
大川塾のことを調べていると「最後の殿様」にして、徳川林政史研究所創設者の徳川義親侯爵のことを知ることになる。

彼は福井藩・松平春嶽(最近の大河ドラマに出ているそうだ)の子として生まれた。尾張徳川家の養子となり、19代当主となった彼だが、昭和の国家改造運動に侯爵という特権階級ながら、その階級打倒を訴える勢力と共闘し、資金を提供した何とも奇特な人物である。

その彼が、『革命は藝術なり』という中野雅夫の書物の中で、このような言葉を残している。

「社会主義も右翼民族主義も、腐敗した国家、困窮せる国民の現状を憂えて、改革にのり出す。道は違うが改革の頂上をめざす点では同じである。どちらも志士仁人である。普通の人間に出来ることではない。その人たちが虐待され、困窮しているときに、いささかでも援助するのは人間の道ではないのか。国家改革について、右とか左とかの区別はぼくの眼中にない」(徳川義親)

戦後は左右の別で歴史的事件、事項が取り扱われた。国家改造運動などは、右のこととされたようだ。

しかし当人たちに、そんな意識は希薄だったのだろう。

同書には大川周明の言葉も引かれている。

「世間ではぼくのことを右翼という。だが共産主義を左翼とすれば、右翼は資本主義であり、これを擁護せんとするものも右翼である。だがぼくはその資本主義者と支持者を打倒し、金銭が人間を支配する社会悪を一掃せんとしている。ただいわゆる共産主義や社会主義者とちがうのは、あくまでわが民族に立脚していて、マルクスやレーニンの奴隷にならないことである」

右左の問題など、実は問題ではなかったのだ。
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by tamaikoakihiro | 2010-09-08 12:35 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)