大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro

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教誨師

田中日淳師が先日亡くなった。チャンギー刑務所で処刑されるBC級戦犯につく教誨師を務めた方である。

一昨年、池上本門寺で毎年開催されるチャンギー刑務所における犠牲者を弔う催しに参加した際、車イスで参加される姿に接した。すでに言葉を発せられない状態だったと記憶する。

それでも、と参加されたのだろう。

「教誨」を広辞苑で引くと次のようにある。

「刑務所で受刑者に対して行う徳性の育成を目的とする教育活動」

今もそういう人たちは刑務所にいるのだろう。

しかし戦犯に対する教誨師というのは、大東亜戦争終結後にしか生まれなかったわけだろう。

BC級戦犯で、一度は死刑判決を受けた在日朝鮮人の方に話を聞いたことがある。田中師のこともお話しになっていた。

歴史の証人はその数を減らしつつあるのだろう。

敗戦から65年である。
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by tamaikoakihiro | 2010-07-27 12:52 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)

記念の品として

「(「東京人」を)孫に記念として上げたい」と仰った東亜経済調査局附属研究所、通称大川塾二期生の方のお便りのことを、改めて印象深く思った。

そして別のことを思い出した。

南洋学院三期生の方が一昨年亡くなった折、私は葬儀に参列せず、またそのこと自体知らなかったが、あとで同期生の方から「あなたがあの雑誌に書いた南洋学院の記事を、彼の棺に入れておいたんだ」と伺った。

後日お宅を訪問して奥様のお目に掛かり、そのことを思い出して、切なくなった。

私の「南方関与」は、そうだ、南洋学院から始まったのだった。三期生の弁護士の方に手紙を送り、そのお返事を頂戴してから、すべて、何かに引きずられるように来た。

どんな形であれ、後学の身を助けてくれる人ほどありがたい存在はないと思う。
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by tamaikoakihiro | 2010-07-26 05:30 | 南洋学院 | Comments(0)

一枚の瓦

東亜経済調査局附属研究所、通称大川塾の卒業生の方から、お便りを頂戴した。「東京人」での連載が終わったことについて、労いの言葉をかけて下さっていた。

「米寿を迎えました」と書かれている方がいた。

「子供に記念に上げたい」と仰る方がいた。

フランス領インドシナで独立運動家を支援された方は、復員直後に研究所跡で得た屋根瓦を撮した写真を同封してくれた。

貴重な資料だと思う。歴史を証言するものと思う。

そういうものを、面倒にもかかわらず、送って下さった方々に、何とお礼を申し上げればいいか、わからない。
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by tamaikoakihiro | 2010-07-23 05:55 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)

靖国神社

毎年、8月15日には靖国神社を訪れている。ベトナムに住んでいた時を除けば、2000年頃からだろうか。

そろそろその時期が近いから、いろいろと思うことがある。最近は、戦中世代が減り、遺族だけの参拝も多いようだ。戦争に行った方に靖国神社のことを聞いたことは、思い出す限り、あまりない。

そもそも8月15日のことを、感慨深く思う人は、少なかったように感じている。

ある方は、「あの日が近くなると、テレビで特集番組をやるでしょう? あれがいやでね、見たいと思ったことがない」と話してくれた。

自分たちの経験に拘わる映像が、ある特定のイデオロギーや思想のもとに編集されたり再構成されたりしていることに、違和感を覚えているようであった。

その方には2004年に初めて会い、08年に再び会った。

大陸での思い出すのも嫌な経験を、「家族にも話したことはなかったんです」と静かに語られたのが印象的だった。

自分の経験でないことを、語ることは、本当に難しいことなのだと思う。
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by tamaikoakihiro | 2010-07-20 05:46 | 雑感 | Comments(0)

人の縁

一昨日来、身近にいろいろとあった。いやなことがひとつと、嬉しいことがひとつ。

昨日はさる出版社の編集の方にお目にかかった。

自分が書いているものについて、さまざまの教示、示唆を頂戴した。

得ようと思っても得られない機会が、誰かと知り合うことで、得られることもあるのだろう。
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by tamaikoakihiro | 2010-07-16 06:57 | 雑感 | Comments(0)

BC級戦犯の日記から

『巣鴨プリズン』(小林弘忠・中公文庫)から――

BC級戦犯平手嘉一の処刑四日前の昭和二十一年八月十九日付日記

「教義の解明、人事を尽くして天命を待つ。牢獄に人生の目的を見出す。歌を作るべし、文を書くべし。無為を戒めよ。」

とある。

無為を戒めることは、多くの人にできないことなのだろう。私は毎日、無為であることを怖れ、そして何もしていない。怖れるだけで何もしていないということは、死を目前にするかのような姿勢で生きていないからだろう。
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by tamaikoakihiro | 2010-07-11 08:31 | 雑感 | Comments(0)

「革新」という言葉

戦後は、「革新」というと左翼陣営の人たちを指すのが一般的のようだが、昭和史全体で見ると、戦後首相を務めた岸信介に代表される「革新官僚」という使い方が目に付く。

覚束ない学習によれば、これは統制経済による発展を目指す官僚たちを指す言葉で、統制経済そのものは、戦時体制の確立に大きく貢献したとされる。

とまれ何か新しいことをやる、守旧でない、となると「革新」となるのだろう。

それが戦後は左翼陣営の専有物のようになっただけのことなのだろう。

しかし戦後の言い方で右翼となる人たちも革新と呼ばれた時代があったのだ。

何がいいたいのかよくわからなくなってきたが、要するに右翼も左翼も、そういう呼び方自体が、根拠について考えれば、非常に曖昧なものだという風なことを、感じるのである。
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by tamaikoakihiro | 2010-07-07 06:26 | 雑感 | Comments(0)

最終回

東亜経済調査局附属研究所、通称大川塾に関する連載が、無事終了した。

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発表の場が得られて本当に良かった。

去年の夏、「このままではいけない」と焦燥に駆られて書き始めたのだった。大川塾のあった場所を、真夏の暑い日、訪れて写真を撮った。

それから原稿を書き終えて相談すると、長くして連載に、と提案をもらえたのだった。

さて、次のことをやらなければと思っている。
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by tamaikoakihiro | 2010-07-06 06:18 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)

「人間の生き方」

20世紀はイデオロギーの時代だった、といった表現にどこかで触れた記憶がある。

共産主義、社会主義、資本主義、自由主義……そんな主義同士がぶつかりあったということを言っていた気がする。

しかし誰もがイデオロギーをふりかざした時代にも、それ以前の話をしっかりと考えた人もいる。

大川周明と関係を持ち、穂積五一の至軒寮にも近かった武田信近のことは、この前書いた。

この人物に対し、中江兆民の子である中江丑吉は、「イデオロギー以前に人間の生き方が大事である」と教えたそうである(『アジア文化会館と穂積五一』より)。

大川周明も、自身の大川塾(東亜経済調査局附属研究所)で、イデオロギーがむき出しになるような政治のはせず、専ら人間としてのあり方を説いた。

「政治に関わってはならない」ともいっていたという。

その姿勢の究極が彼が若者たちに説いた「正直と親切」の重要性なのであった。

戦前・戦中のことを知り始めると、イデオロギーの対立よりも、右といわれたり左といわれたりする人物同士で共通する「問題意識」の存在に気づかされる。

「人間の生き方」もその一つのような気がしている。
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by tamaikoakihiro | 2010-07-06 06:03 | 至軒寮 | Comments(0)

可遇不可求

穂積五一のことを勉強していて「可遇不可求」という言葉に出会った。

台湾からの留学生で、穂積の薫陶を受けた人の文章の中にあった。

「世の中には強いて求めると達せられず、むしろ出遭いの方が上善の場合がすくなくない」

そういった意味だという。

雑誌「東京人」(都市出版)での東亜経済調査局附属研究所(大川塾)に関する連載が、今月発売される号で終了する。

最初に企画を受け取ってくださった副編集長のTさんにはただ御礼を申し上げるほかない。

ではこのありがたい場は求めて得られたのか。考えてみれば、求めて達せられた話ではなかったような気がする。

「可遇不可求」のようなのである。

企画は、もとはといえば、ベトナム在住時に同じアパートに住んでいたカメラマンOさんがTさんと知り合いだったことに始まる。

そしてOさんと知り合ったのは、私の最も身近な人間が紹介してくれたからなのであった。

そのころから大川塾のことは気になっていて、書いてみたい、発表する場を得たいと思ったが、実現の方途は持ち合わせていなかった。

それが「出遭い」から幸運にもある形で達成された。

上善につながったということだろうか。

「東京とあまり関係ないからなあ」とためらいながら企画書と草稿をお送りすると、受け取ってもらえたのだった。

私は前掲の言葉を誤って理解しているかもしれない。しかし私なりに、その言葉の深さを感じずにはいられない。
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by tamaikoakihiro | 2010-07-01 18:38 | 至軒寮 | Comments(0)