大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro

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五・一五事件のこと

今日は五月十五日。しかも休日。1932年の今日も同様だった(その日は日曜日)。

海軍青年将校、陸軍士官候補生、いわゆる民間右翼が参加したクーデター事件、五・一五事件が発生した。

大川周明は参加者に拳銃と資金を提供した廉でのちに逮捕される。先日来読んでいる中野雅夫の『五・一五事件 消された真実』(講談社)では、そのあたりのことが詳しく書かれている。

大川周明のことを、同書は好意的に書いているように感じられる。読むと、大川周明という人が、正直で、人間的な面白みや深みがあるように感じられてくる。

その大川周明は、裁判を受けて下獄した。出所後は、東亜経済調査局に戻り、そして附属研究所で後進の育成事業に着手する。

今日は私の関心の範囲において、非常に思いが深まる日である。
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by tamaikoakihiro | 2010-05-15 08:15 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)

アジア主義について

引き続き、中野雅夫の本を読んでいる。現在は、『五・一五事件 消された真実』(講談社)である。

その中で、「犬養毅と辛亥革命」という章から一節を引く。

「孫文には犬養や頭山のほか、宮崎寅蔵、竜介親子、萱野長知ら実に多数の、今日では右翼とよばれる、当時では浪人と称した人たちがその生涯と資財を傾けて支援した。それは、孫文の大アジア主義に共鳴したこともあろうが、日本と中国は“友好”というようななまやさしいものではなく、がっちりと腕を組まなければ、アジアの将来も民族の未来もありえないことを看破していたからでもあろう」

アジア主義というと、日本が覇権をアジアに確立するための一方便のように受け取られることが多いのだろう。

しかし中野雅夫の書き方は違うのである。日本が欧米列強の隷属しかねない時代、それを拒むためには、日本単独ではなく、アジアの諸民族が、いわば大同団結する必要があるとの認識が存在したのだろう。

そんなことを、アジアに独立国が普通にある時代の私はぼんやり考える。

おそらく大川周明も、中野雅夫が言うような認識を、東亜経済調査局附属研究所(大川塾)で、若者たちに伝えようとしたのだろう。
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by tamaikoakihiro | 2010-05-13 22:04 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)

日本とタイが戦った

題名のようなことを書くと、「いつのことか?」と疑問を抱く人もいれば、そんなこともあったのだと頷く人もいるのだろう。

東亜経済調査局附属研究所(大川塾)の卒業生が戦前タイに派遣され、手記を残していることは、以前書いた。

その手記を読んでいると、マレー進撃の作戦の必要上、仏領インドシナを発してタイ領に日本軍が入ったときのことが、詳しく書かれている。

平和進駐と後日記されたが、実際には、タイの了解を取り付けられぬまま進駐なのだった。

だから当然タイ側は応戦する。

タイは「ほほえみの国」の異称を持ち、日本人が思い浮かべる東南アジアの国としては、ポピュラーなところだ。

それでも銃火を交えた歴史があるのだ。
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by tamaikoakihiro | 2010-05-13 05:09 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)

新たに知ること

中野雅夫という既に物故したノンフィクション作家の本を読んでいる。『昭和史の原点』という4冊揃いで、ジャンル分けをすれば、「昭和史もの」とでもなるのだろうか。

現在、陸軍幕僚が関与したクーデター未遂事件、「10月事件」と満洲事変の連関を描いた巻を読んでいる。「巻を措く能わざる」という表現が、私にとってしっくりくる一書である。

大川周明周辺のことを調べていると出てくる人物が、さながら惑星の配置を図版で眺めるように、見えてくる。

新たに知ることは、本当に多い。誰でもいうことだが、知れば知るほど、自分の無知を知る。

その過程に、知り合う人がいて、読みうる本がある。非常に幸せなことだと感じる。
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by tamaikoakihiro | 2010-05-12 21:32 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)

「類似」について

オリジナルということは、世の中はどれだけあるのだろうか。

歴史に属することに興味を持つようになって、多くの何かが、それ以前の何かの類似物(もしくはそれに近いもの)であることを感じるようになった。

例えば「東亜経済調査局附属研究所」は、大川周明がそれ以前に関わっていた「大学寮」という教育機関との類似に最近気づいた。これは宮城内にあったもので、若者と起居を共にして教育を施した。

この「大学寮」は短期間で終わるのだが、その後、大川周明は似たような教育機関をつくっているわけである。

ここでは、類似という言葉は不適切かもしれない。初志、素志という言葉と関係があるのだろうか。

とにかく大川周明は自分の後に続く若者を欲していたのだ。

一度やろうと思ったことは、人は、何度でもやろうと思うのだろうか……

そう考えると、私自身が今やっていることは、何か昔やっていたことにルーツを持つのかもしれない。

ともあれオリジナル云々の疑問に、もちろん答えはない。
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by tamaikoakihiro | 2010-05-10 21:45 | 雑感 | Comments(0)

「材を取る」ということ

「取材」を広辞苑で引くと、次のようにある。

ある物事や事件から作品・記事などの材料を取ること。
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]

人に話を聞かせてもらうことも、もちろんその一つだろう。
相手から了解を得ること。これが最初の関門になる。

先日東亜経済調査局附属研究所の卒業生の方に、手紙で
取材を申し込んだ。その方の手記は、同窓会報で読んでいた。
手記を一冊の本に私家版としてまとめたことも知っていた。

私家版だから、私はある方のところで見ただけで
入手はしていない。

結果は「手記に書いたこと以外は何もないので」とお断りを頂戴した。
むずかしい、と思った。

私の書いた短い記事を読み、もしかすると、その方向性や書き方に
不満を抱いていらしたのかもしれない。

そんなことを思うと、人と会うこと、そしてその結果を文章にまとめることの
難しさに至り、考えが尽きなくなる。
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by tamaikoakihiro | 2010-05-09 07:17 | 雑感 | Comments(0)

「東京人」6月号

もう5月になり、新緑が目に眩しく、気持ちがよい。

昨年の8月に筆を起こした原稿が、ようやく2回目の掲載となった。今回も編集の方にさまざまのご面倒をかけて、どうにか掲載してもらえたものと感じている。

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巻頭のエッセイでかの中島岳志さんが寄稿されている。橋本欣五郎のことを、朝倉文夫との関係で記している。ちょうど、みすず書房の『橋本大佐の手記』を読み終えていたところだったため、背景など、感じながら読めた。

(さん付けで書いておいて、お目に掛かったことは、一度もない。以前知り合いの編集者に、著名な作家のこととを、さん付けで呼ぶのって、面識があってもどうかしら、と言われたことがある)

クーデターを、えいやこらっと勢いをもって企図し、実行しようとする人たちがいた時代を思う。日本近代の青春期の終わりだったのだろうか。

では戦後は、働き盛りの壮年期だったのだろうか。

では今は?
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by tamaikoakihiro | 2010-05-04 09:45 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)