大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro

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かつて植民地があった

日本はその昔、台湾と朝鮮を植民地とした。

同じ頃、アジアのほとんどが植民地だった。支配者はヨーロッパ列強である。

大川周明の『復興亜細亜の諸問題』を読むと、時代性というものを痛感する。

日本が膨張したのは、そしてアジアの盟主たらんとしたのは、そうしなければ日本も他の地域に同じく、列強に支配されるという、強烈な恐怖感があったのだろうと、これは多くの人が指摘するところのようだが、私もそのように思う。

「世界はホワイトのものだったんですよ」

大川塾二期生のある方は、私にそう話してくれた。

『復興亜細亜の諸問題』から少し引くと――

「今日のアジアは、ヨーロッパの臣隷である。奴隷に何の問題があり得るか。奴隷に何の理想があり得るか。奴隷は唯だ主人の意志に従い、主人の利益のために動かさるる走屍行肉に過ぎぬ。故に真の意味に於けるアジアの問題は、アジアが自由に得たる時に始まる」

被支配の状況に置かれたアジアを見て、何とか独立を保っている日本の人間として、語るべきことを、大川周明は多く、抱えていたのだろう。

しかし、植民地など、もはや制度としては、存在していない。それを実感として知るには、書物によるしかないところだ。

幸運にも、私は当時を知る人に話を聞けたから、ほんの少し、想像するよすがを得た。

本当に、幸運なことなのである。
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by tamaikoakihiro | 2010-04-29 21:48 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)

昭和の日

今日は昭和天皇の誕生日である。戦前戦中であれば、天長節というのだろう。

いまは「昭和の日」と名前が変わっている。

昭和は、私自身の生まれた時代であるけれども、生きている時代は、平成の方が長くなった。

元号を一つ、またいだわけである。

よく大正生まれは、兵役で苦労した世代である、といういわれ方をしていた。同世代の多くを戦争で失っている。身近に死を何度も見て、そのたびに辛い思いをしてきた方々である。

そういった方々に私は話を伺う機会を得てきたわけだが、多くの人が、戦中・戦後の苦難を経て、現在ではおおむね安らかな生活をされているように見受けられる。

辛い日々の積み重ねが、晩年に報われているのだ、と言っては、私のような人間の言葉として、僭越であり、無礼であると思うが、しかしそういう気持ちを抱くことを、私は抑えられない。なぜなら私の世代も、一つの報いを受けていると感じるから。

私の世代は就職氷河期世代とか、デフレしか知らないとか、苦労が何かと多いように言われる。そのことに対する違和感を、私は大正生まれの方のお話を伺ううちに、強く抱くようになった。

人によって差はあろうが、戦後生まれは、実感として、子ども時代十分に食事をさせてもらい、少年期もお金のかかるクラブ活動やら遊びやらに専心して、何の文句も言われず、むしろそれを奨励された。死ぬ恐怖を味わったことは、一度もなかった。何とも平和な話ばかりしてきた。

つまり与えられてばかりであった。それが少なくとも私個人の実感である。

そのときもらい過ぎたから、大人になって、得るもの(金銭的に)が少ないのだ、これも因果なのだ、と私は思うようになったのだ。

贅沢を、人は言ってはいけないのだ。与えられたら、どこかで失うのだし、失ったら、どこかで与えられることもあるのではないか。

以上、「昭和の日」の朝、安閑とした暮らしを送りながら、考えたのである。
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by tamaikoakihiro | 2010-04-29 09:25 | 雑感 | Comments(0)

「ご縁」という言葉

今日は、アポイントもなく、ある方のお勤め先に突然お邪魔し、お目にかかった。

初めて会う方だった。何という無謀なことをしたのだろうと、帰宅してから冷汗三斗の思いでいる。

拙稿の掲載された「東京人」をその方のいらっしゃる編集部宛でお送りしてあって、それに対するお返事を本日頂戴し、「ぜひお礼を」と考えたのだった。

厚かましいことに、そして勝手にも「これもご縁なのだろうから」と、道すがら思いこんでいた。

幸いにも快く会ってくださり、丁寧にご対応を賜った。

ありがたいことであった。

しかし34歳になる大人が、思いこみで行動していいはずがない。「ご縁」などというのは、本当に思いこみでしかないことも、多いのだろうし。

私が取材と称して、面晤を乞う方々もまた、私の「ご縁」という幻想に、ひょっとしたら迷惑されているかもしれないのだと考える。

それでもまた、「この方に会ってみたい」「あの方に話を聞かせてもらえないだろうか」などと懲りずに考えるのだが。
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by tamaikoakihiro | 2010-04-28 23:05 | 雑感 | Comments(0)

歴史と証言者

先日、東亜経済調査局附属研究所(大川塾)五期生の方を、世田谷のご自宅に訪ねた。

いつお目にかかっても気さくにお話下さる方である。

その方は戦後、貿易商社、大南公司――社長以下、その昔はベトナム独立運動を支援した一面も持つ――勤務、会社経営などを経て、現在は煙草店を営んでいらっしゃる。

その方が話の流れから、不意にこう仰った。

「二期生のあの人ね、この前亡くなったそうですよ」

その二期生の方に私は二度、やはりご自宅にうかがって話を聞かせてもらったのだった。

奥様に先立たれて、お一人で暮らしていた方だった。ご自宅にある大川周明ゆかりのものをいろいろと見せてもらい、当時の写真も撮影させて頂いた。

私は歴史を目で見て、話に聞くことができた。

歴史を体験した人が、亡くなると、それだけ歴史の肌触りが消えていくのだろうと思う。

人が亡くなっても、いや、「史料がある」という考え方をすべきなのだろう。

しかし、話を聞き、そこから史料と呼ばれるものにある何かへと向かってみたい私は、幼稚なせいもあるのだが、なかなか「史料がある」とは思えない。
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by tamaikoakihiro | 2010-04-27 23:48 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)
東亜経済調査局附属研究所を卒業し、タイに派遣された方の手記を読み進めている。

1941(昭和16)年の開戦前、バンコク大使館の武官室から呼び出され、「土木技師」を仮称する陸軍少佐とタイ南部を旅行した折のことが記されている。

開戦意図やマレー作戦のことは、もちろん秘匿されていただろうが、やがて日本軍が上陸する地点を視察している点は興味深い。

私は会ってお話を聞けなかった方の手記である。残されているから私でも読める、知ることができる。

文字とは貴いものだと思うし、それに託して何かを残そうとしてきた人の強い意志は、もっと貴い。
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by tamaikoakihiro | 2010-04-22 22:09 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)

北一輝のこと

書籍編集をしていた頃、お世話になった装幀家の方に、拙稿の掲載された「東京人」を送った。

日を置かず、メールで連絡を頂戴した。その方は、以前から存じ上げていたが、大学の卒業論文を、「北一輝」で書いている。

大川周明と北一輝は一時期行動をともにしたが、その後、袂を分かった経緯がある。

そのことをもちろんご存じだから、拙稿についても、おそらく鋭い目で読んでくださったに違いない。

「右翼」と戦後されてきた人たちのことは今後、見直されないといけない――そんな主旨のことを仰っていた。

多くの人がそうなのだろうが、私は自分に大がかりなことができるとは、なかなか思えない。それでも、少しずつ積み上げた作業の末に、時代が縛ってきた歴史を、違った形で見るための一つの足がかりのようなものを、つくれたらと思っている。

何かこの上の文章は、気負っているように思われ……
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by tamaikoakihiro | 2010-04-21 20:33 | 雑感 | Comments(0)

大先輩から頂戴した言葉

新卒で入社した会社で書籍の編集をしていた頃、さる医療・科学ジャーナリストの方と知り合う機会を、偶然にも得た。

その方は、文藝春秋で長くお勤めになっていた。名のある雑誌「週刊文春」の編集長を務めていらしたこともある、私などからすると、雲の上の人という印象だった。

私は、自分が担当した書籍を、書評で取り上げて貰いたいと思い、その方に連絡を差し上げたのだった。

どうやって調べたのかは忘れた。ただ、自分の担当書籍を売りたい一心で、当時、朝日新聞で書評を担当されていたその方に、手紙でコンタクトをとった。

一度、会社の近くの喫茶店でお目にかかった。

昭和初期のお生まれだから、私のような新米の編集者など相手にしてくれないだろうと思っていた。ところがそんなことはなかった。

手紙のやりとりをさせてもらい、またお目にかかって話すと、本当に人と接することに真摯であることが感じられた。

当然ながら、名門出版社の出身であるからといって、そのことで人を威圧するようなことはなかった。たくさんの人に会い、おそらくすべての人に対し、人としての礼節を尽くしてきたのだろうと思われた。

その後、何度か便りを差し上げ、その都度丁寧なお返事を頂戴していた。

今回、拙稿の掲載された東京人に手紙を添えてお送りしたところ、便せん数枚に及ぶお返事があった。

ありがたいことに、励ましの言葉を頂いた。感激し、便せんを持つ手が小さくふるえるのが分かった。

7年前に、一度会っただけの年少の人間に、親しく言葉をかけて下さることに、ある種の畏怖を感じた。

その方は、文藝春秋に入社した頃、存命だった大川周明に会ったことがあるという。原稿の依頼にいったのだそうだ。農夫然たる姿を記憶にとどめているとのことだ。

私にとって歴史に属することを、肌身の経験として知る人から教わることは、本当に多い。

私はある歴史的人物や出来事について、何も見聞きしなかったが、私が生まれるより前に、多くのことを経験し、記憶する人に会うことで、何かが感じられるようになる。

「ノンフィクションは、人が描かれていないといけません」――。そんなことを、お目にかかったとき、うかがった。

私はいつも、その言葉を、文章に向かうとき、思い出している。
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by tamaikoakihiro | 2010-04-18 14:54 | 雑感 | Comments(0)
ありがたいことに、理解ある編集の方のお力添えがあった。

長年愛読している「東京人」(都市出版)で大川塾(東亜経済調査局附属研究所)をテーマとした拙稿が掲載された。

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全4回に分けてくださった。

自分のような人間の原稿が載っていいのだろうかと、いまだに不安が消えないものの、一方で一つ、形にできたことへの安堵がある。

ただいろいろと課題は多い。早くこれをもっと掘り下げてまとまったものとしたいという思いで、いまは焦っている。

なお雑誌販売のFujisanから購入可能。
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by tamaikoakihiro | 2010-04-17 17:19 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)

「アジア」という言葉

誰かが、「その言葉を使うとき、日本人はそこに自分たちを含めて考えていないことが多い」と言っていた。

「アジア」という言葉についてである。


そうなのだろうと思うことが、多い。

「アジアに旅行に行ってきてね」と学生時代、バックパック旅行から帰ってきた友人が言っていた記憶がある。

もちろんそこに日本は含まれないし、どうだろうか、中国、韓国、台湾も不安なものだ。

そういった場合、昔、南方といったタイやベトナム、マレーシアなどを想定されるのではないだろうか。

地域として、まとめて見られているのだろうか。

そういえば、昔、南方といった地域は、仏領インドシナが、戦争中、注目されていた。仏領インドシナは無論、フランスの植民地である。そういうおおざっぱな区分けがかつて、世界ではまかり通っていたわけである。

「帝国主義の時代だった」と言ってしまえばそれまでなのだろうけれども。

そのころから、日本人の自国以外のアジア地域に向ける目は、まだあまり変わっていないのかもしれない。
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by tamaikoakihiro | 2010-04-01 23:33 | 雑感 | Comments(0)