大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro

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品川区上大崎のこと

東京都品川区上大崎

目黒駅から歩いて数分のところである。

今は服飾関係で有名な杉野学園の校舎が並ぶ
通りである。近くには雅叙園がある。

昔このあたりにさる教育機関があった。

その名を満鉄東亜経済調査局附属研究所という。
所長はかの有名な大川周明

なんだ右翼じゃないか、と思う人がいれば、
まだいい方なのかもしれない。

それって誰? と言われても戦後65年、おかしくはない。

しかしこの長い名称の教育機関を、そのままそう呼ぶ人は
ほとんどいなかった。

実際にそこで学び、戦前・戦中、タイ、ビルマ、フランス領印度支那に
派遣された人たちに聞くとこんな答えが返ってくる。

「寮と呼んでいました」
「研究所、でしたかね」

いま、その人たちでご壮健の方々に会い
いろいろと教えを乞うている。

「東亜」という言葉が、自然と出てくる会話になる。

戦後、アジアは近くなったのかどうか。
かつての青年たちほど、真摯にアジアを考えたことの
ない人の方が、私を含め、多いのではないだろうか。

ふとそんなことを思ったりする。
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by tamaikoakihiro | 2009-12-23 11:00 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)

65年前のこと

ここ数年、正確に言うと、新卒で入社して書籍編集者として
勤めた会社を辞した2004年来、ずっと大東亜戦争に
まつわることを調べ、人に会ってきた。

そのころを体験として知る人は、私の場合、
徴兵にあったかどうかどうかで、興味が決まる。

僭越な話ではあるが、そういう基準を設けている。

とすると、敗戦のときは20歳前後なのである。
いまや85歳くらいの方々であり、人生の大先輩というほかない。

そのころのことを私が尋ねるとどうなるか。

「8月15日? の守備隊にいましたよ。峠を登ってくる
トラックの上から兵隊たちが“終わったぞー”と叫んでいましたね」

こう話してくれた人は、南洋学院という、サイゴン(現ホーチミン市)に
あったある日本の高等専門学校に在籍、サイゴンで応召した
経験の持ち主である。

私はほんの数年前、その峠を下から望見し、また実際にバスで
通過した。守備隊がいたという周辺も見た。

敗戦を異国で迎えた人のことを思った。

そんなことをとりとめもなく想像しながら、これからあれこれ
まだまだ調べたいと思っている。

いまのことろ、ちょっとした成果しかなくて、これまた数年前、
短い文章にまとめた。

『ベトナム秘史に生きる日本人』と題した。

幸いにも尊敬する編集者の方の教示を多々受けることができた。
それである出版社のサイトで発表させてもらった。

まとめたから、なんとなく、わかった気がした。
しかし取り組む相手は、65年以上前のことである。

そうそうわかるもんか、といつも誰かから言われている気がする。
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by tamaikoakihiro | 2009-12-23 00:14 | 南洋学院 | Comments(0)