大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro

カテゴリ:戦犯裁判( 15 )

高島平、団地の眺め

この前、板橋区の高島平に行ってきた。団地が建ち並ぶところである。サイゴン(正確にはサイゴン北郊)で数カ月住んだ団地Chung Cu Pham Viet Chanhに趣の似る建物を見て、およそ10年前の自分を思い出す。
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三田線に乗るのも久しぶりだったように思う。

知りたいと思っている弁護士の弁護を、約70年前、受けた方のお目にかかった。意外な事実を伺うことができて幸運だった。その方は、自分を弁護した弁護士というテーマで話すことはこれまでなかったという。

たしかにその弁護士は著名人ではない、と思う。著名人か否かは、しかしものを調べる動機にはあまりならないのだな。

8年前に初めてお目にかかり、2度、3度お話を伺ったが、そのことをまとめる機会はなかった。これは自分の力不足を証明するわけだ。

今回はまた違うテーマだから、これからどうなるのか、わからない。

弁護士との記憶に残るやりとりなど、肉声を通じて知ることができるというのは、戦後30年で生まれた私にとって、貴重なことである。

帰りには、わざわざ事務所のドアの外まで出て、駅はあちらだよと指さし、手を振って見送って下さった。

駅近くの交差点まで行くと、サイゴンの団地を思わせる団地が、そびえていた。
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電車に乗って帰宅する。
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自分の経験はたかがしれているし、そこから思うこと、考えることも、同様だろう、な。

ところが、自分以外の人の経験や思考に接すると、高揚する。我がことは、実につまらないし、狭いと感じる。

自分にとって貴重と思えることが、何かの動機なのかもしれないのだなあ。
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by tamaikoakihiro | 2016-02-13 20:10 | 戦犯裁判 | Comments(0)

バタバタと

戦争裁判関連の学術書を読んでいる。難しい……

論点の整理とか、既存研究の参照など、いろいろ履行しなければならないことが、たくさんあるのだろうと想像する。

今読んでいる本の中で「無数の者がバタバタと死んでいった」という表現があった。

証言類を見ていくと、「バタバタと――」と受け取れる内容が多いそうである。そういうものなのかな、と思うけれども、学術書らしい丁寧な書き方の中に、バタバタという表現が入ると、一種異様な印象も受ける。

「そんな、マンガの表現みたいじゃないか」と思ったり。

表現が一貫していた方が、気持ちよいと思うのだけれども、まあ、それは書く人それぞれ、ということなのかもしれないな。
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by tamaikoakihiro | 2016-01-24 19:14 | 戦犯裁判 | Comments(0)
年末に、隅田川に近い「労働者の街」に行った。戦犯としてサイゴンで刑死した元将校が、変名を使って働いていたところである。

南千住駅から明治通りまで歩き、左に折れて歩く。簡易旅館の看板が目に付く。「職安」を探していたわけだけれども、目当ての建物はほどなく見つかった。建て替え工事に入るようで寒々しい、コンクリートの建物なのだった。

さほど遠くないところに神社があった。無事をここで祈ったかもしれないと思ったりする。
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将校になるくらいだから、インテリだったのだろうと想像する。

身分を偽って暮らしを送る苦しさを思ってみるけれども、想像できるものではないなと思う。

刑死したのは65年前。

手記を読むと、逮捕されたときのこともある。同胞の刑事から逮捕されたのである。『孤島の土となるとも BC級戦犯裁判』(岩川隆・講談社)を読むと、戦犯逮捕の折のひどい扱いが書かれているが、この元将校の手記に登場する刑事にそんなことはない。

戦犯というのは、異邦の人が決めたことで、その容疑者を同胞が逮捕するというのは、複雑なものに思う。
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by tamaikoakihiro | 2016-01-03 07:00 | 戦犯裁判 | Comments(0)

「民族の血」

「戦犯は名誉ある国家の一礎石である、永久にその生命、名誉は民族の血の中に印せられ、光彩を放つであろうと」――

『死の宣告と福田義夫』には、弁護人を務めた杉松富士雄が、死刑の宣告を受けたのちの福田にかけた言葉が記されている。

「民族の血」が何であるかは、詳しく書かれていないので正確なところはわからない。

「日本人の集合的な記憶」といったところだろうか。

イスラエルのことを思い出した。二度、旅行で訪ねた。

旧約聖書(旧約というのは新約、すなわち新しい約束を奉じるキリスト教徒からの言い方らしいが)を持ち、古代世界の出来事を、現代に生かして国家をつくったという事実が、気になっていた(のだと思う)。

イスラエルの人々にとっては、そういう昔のことが、民族の依って立つところなのだろうか、と思ったなあ。

サイゴンでの戦犯裁判を終えた一下級将校が書き留めた「民族の血」も、イスラエルの人々が奉じるような歴史的事実に関連するものなのだろうか。

しかし、と思うなあ。

サイゴンの戦犯裁判のことを、この時代のホーチミン市を訪れる日本人は、たぶん知らないだろう。

学生時代、初めて訪れたとき、何も知らなかった。会社を辞めて、ぼんやり滞在しに行く前、杉松の『サイゴンに死す』で読んで知った。

「父上母上先立つ不孝をお許し下さい、泉下で再会出来る日を楽しみ乍ら待っています」と福田は死刑宣告後、書いている。

「人間にとって死は難行である」と書いたとき、彼はどんな諦念を抱いていたのだろうか、とも思う。
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by tamaikoakihiro | 2015-09-09 18:12 | 戦犯裁判 | Comments(0)

戦犯、サイゴン裁判

フランスによって日本の軍人、民間人が裁かれた。70年前の敗戦ののち、そういうことがあった。古山高麗雄も、その中で、裁かれた。

「俘虜(フランス植民地軍)を労役に就かせたこと」が、戦後の公文書で見ると、古山の負わされた罪であるらしい。

古山は関係していないが、フランス植民地軍を多数処刑した事件が、北部仏印(現在のベトナム北部)ではあった。中国国境に近い、ランソンという町でのことである。

往時、中国から徒歩で転戦してきた部隊、九州の部隊があった。その部隊が、一九四五年三月九日、フランス植民地軍と戦った。

処刑はそのあと、大量の俘虜が出たために、処置に困り……といった流れで起こったようである。

関係者として将校らが、サイゴン裁判で裁かれた。委細は『サイゴンに死す』(杉松富士雄・光和堂)に詳しい。この本は古山の作品で知ったのだったか。
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(ランソンで攻防が繰り広げられた要塞の跡地と思しきところ。2005年撮影)
裁かれた将校の一人、福田義夫大尉の遺稿集『死の宣告と福田義夫』から。(彼は内地に一旦帰還したが、郷里で逮捕され、巣鴨プリズン経由、サイゴンに送られた)

裁判の正当性について、こう書いている。

「本裁判は国内裁判ではない、かっての敵国の勝者(フランス・引用者註)が敗者を裁くのである、そこに人種的偏見、復讐的憎悪のない事が神ならぬ身のあり得ないのは火を見るより明らかである」

しかし死刑の日には、このように書いている。

「前略遂に最後がやつて参りました。已に覚悟していたことだし、ほんとに落着いて旅立つ事が出来る確信を持つて参ります。御両親様始め皆様ほんとに御世話になりました」

この文面の背景には多くの煩悶や苦しみがあったろうことは、遺稿集が700ページを超す大部のものになっていることから容易に推察できる。

彼は、自分のことを「敗戦の犠牲」として受け入れようとしていたようである。

「(裁判について・引用者註)根本原因は日本が戦争に敗れたが故であると信ずる。敗戦の犠牲は大きい、敗戦の現実は飽く迄冷厳である。その一犠牲として、祖国のための一礎石なりと思うとき、何ら悲しいこともない」

私はこうした文章に接すると、いつも東京都心の光景を思う。電車に乗って、誰もがスマートフォンを手に何事かをして、中吊り広告にはきらびやかな色が踊り、駅に出れば雑踏があり、着飾った若者がいる――

「空前の繁栄じゃないか」と思う。この空前の繁栄を、見なかった人の一人が、福田義夫のような戦犯刑死者なのだ、と思う。

「一礎石」として刑場に赴いた彼は、私が「空前の繁栄」と思う光景を、何と言うのだろう、とも思う。
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by tamaikoakihiro | 2015-09-06 06:57 | 戦犯裁判 | Comments(0)