大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro

カテゴリ:作家( 48 )

福島、宮城

昨夏、宮城県の七ヶ宿に行ったけれども、途中、福島を通過した。

2004年、無職だったとき、訪ねた。ベトナムから帰ってからも訪ねた。

福島は短時間しかいたことのない町だけれども、印象深い。古山高麗雄が所属した第二師団は、宮城、福島、新潟の隷下部隊からなる。

BC級戦犯が裁かれたサイゴン裁判の資料を見ていると福島出身の人が多いことがわかる。

また訪れることになるのだろうか。
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by tamaikoakihiro | 2017-01-07 19:33 | 作家 | Comments(0)
陸軍航空士官学校に学んだ方に話を伺う機会を得た。東京陸軍幼年学校を経て予科士官学校、航空士官学校と進まれた方で、敗戦時、満洲で訓練中だったそうである。

航空士官学校は、私の身近にあったものなのだが、ほとんど無知である。「入間基地」として知っていたところに、あったことを、大人になって、それもだいぶしてから知った。それに隣接する稲荷山公園は幼少時、親に連れられて遊びに出かけたはずなのである。

かつて占領軍が使っていたと聞く、洋風の家屋というか小屋のようなものが、いくらか公園の中には残っていた。

米軍ハウスなどといって、近隣に残っている占領軍の建物を住まいとする人もいるらしいが、詳しくは知らない。

私は占領より前の時代のことにもちろん関心が会って、その方に会った。

幼年学校、陸士の教育、昭和天皇のこと、切腹のことなど、あれこれととりとめもなく伺ってしまった。淡々とお話をされる方で、無知無学の私には本当にありがたいことだった。
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by tamaikoakihiro | 2016-11-16 23:59 | 作家 | Comments(0)

落ちこぼれる

飯尾憲士の短編「魂たちへ」を読んだ。特攻にまつわる作品である。

印象的な一節があった。「落ちこぼれるのは、大変むずかしいことです。それに又、溢れ出るもののない人間は、落ちこぼれることなどできません」

飯尾憲士自身、敗戦後に入学した熊本の第五高等学校では落ちこぼれて、ぎりぎりの成績で卒業した旨、別の作品で書いていた。小説だったかもしれないから、こしらえているところがあるのかもしれない。
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でもだいたい事実だろうと思う。

第三高等学校を中退した古山高麗雄もまた、飯尾が書いたような、溢れ出るものがあったのだろうかと思う。

二人に共通するのは、朝鮮半島である。古山は朝鮮新義州の生まれ。飯尾の父は朝鮮半島から日本内地に来たという。飯尾は自らを「混血児」とどこかに書いていた。

むずかしいことを、まったくできなかった自分のことを、思う。

できなかったことをしてきた人には、やはり憧れる。
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by tamaikoakihiro | 2016-10-28 00:08 | 作家 | Comments(0)
NHKのラジオで、古山高麗雄のことが放送されていた。肉声に接すると、「ああ、なぜ生前、自分は知る機会がなかったのだろう」と思う。

朝、パソコンで聞いていると、涙が出そうになった。不審がられるので、泣かなかったけれども。

『カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス「古山高麗雄」』

私が古山(人前で話すときは「先生」と敬称をつけるけれども、ここでは省略する。そもそも面識のなかった人間が先生と呼んで良いものか……)を知ったのは没後だった。

返す返すも残念だ。

去る七月の終わり、ゆかりの地である宮城県七ヶ宿町に行く機会があった。昔は七ヶ宿村といったところで、古山の父のふるさとである。
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町の「水と歴史の館」には「古山高麗雄の世界」と題した展示がある。古山の遺品のうち、自宅にあったものが寄贈されたのである。

講演というか、集まった皆さんの前で、私がいかに古山を敬愛しているか、煎じ詰めるとそういうシンプルなことを、あれこれ本を書くときに参考にした資料を交えてお話しした。一時間と少し。
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生まれてはじめての体験だったので、たどたどしく、何を話しているのか、自分でもよくわからなかった、な。昼過ぎからだったので、もっとたくさんの人を寝かせてしまうと思ったけれども、熱心に聞いてくださっていて、ありがたいことだった。

いちばん反応がよかったのは、古山の第三高等学校時代の成績表をスクリーンに映して話したときかもしれない。

個人情報そのもの、ともとれなくもないけれども、京都大学の資料館で出してもらえたものだった。

「落第」の文字を見直すと、軍国の風潮が濃密に世を覆う頃に、鬱屈し、怠惰に流れ、学校を去ろうとしていた古山の姿が想像された。

私の話が終わったあと、古山のお嬢さんからは「父は(講演は)あなたよりうまかったと思うな(笑)」と、慰めの言葉(?)をもらった。お嬢さんが同道くださったので本当に助かった。
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何より嬉しかったのは、古山と生前関係のあった親族の方々、知人の方々が、古山のお嬢さんと初めて会うことに、大変な喜びを示して下さったことだった。

古山は家庭では、何と言えばいいのか、軽んじられるタイプの夫であり父親だったらしい。芥川賞も「父がとれるとは思わなかった」というのがお嬢さんの弁である。だから古山に対する辛辣な見方をお嬢さんは教えてくださるわけだけれども、伺うエピソードから、家庭人としての一面、また愛妻家らしい優しさもほの見えたりして面白いのだった。

父娘の距離が近い関係よりも古山家のような懸隔のありかたが、私にはむしろ好ましく思える、人間らしさがある意味でにじんでいる、というか。

当日は、古山の親類にあたる方で、取材時にお世話になった方が、たくさんの拙著を持参くださっていた。サインをと言われたときは面食らったけれども、これも嬉しいことだった。

親類筋の方々と記念撮影ができたのも、ありがたいことだった。
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取材時にお世話になった、前館長の方、雪の中いっしょに「伐開路」(これは古山の三部作『フーコン戦記』で印象的に出てくる言葉だ)をつくった元館員の方に再会できて、これも嬉しかった。

元館員の方とは、昨年本をお送りしたときに電話でお話ししていた。「出ましたね!」と喜んでくださったことが、思い出された。

古山はベストセラーを出すような小説家ではなかった。そのため、と言って良いのか、読者と丁寧に手紙でやりとりをして、実際につきあいをしていた。会うこともあったようである。

そういう姿に憧れていたから、自分がそれに近いことができた七ヶ宿訪問は、実にいうことのないくらい充実した機会になった。

また訪れたいな、と思う。今回は初めて緑におおわれた七ヶ宿を見た。美しかった。「水と歴史の館」の玄関に置かれていた夜香木の花は、いま咲いているだろうか? あまくにおっているだろうか?

そうだ、もし古山に生前私が会えていたとして――果たして私はどう思われただろう?

私のような四角四面な人間を、古山はあまり好かなかったのではと思う。いや、独特の包容力で「そういう奴か」と受け止めてもらえたかもしれない。

しかし想像でしかない。

振り返って、会ったことのない人のことを書けたのは、やはり望外のことだったなと思う。ずっと助けて下さった編集者のKさんにも、ここでこっそりお礼の言葉を……
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by tamaikoakihiro | 2016-08-11 00:08 | 作家 | Comments(2)

朝鮮新義州

『満洲難民 三八度線に阻まれた命』(井上卓弥・幻冬舎)という本を読んでいたら、古山高麗雄の初期の長編小説『小さな市街図』を思い出した。

「吉岡久治が朝鮮新義州の市街図作りを始めたのは、昨年の五月だった」で始まる小説である。新義州からの引揚のことも書いている。古山は新義州生まれだけれども、敗戦は仏領印度支那で迎えているから、戦後の朝鮮半島からの引揚は体験していない。

執筆にあたっては、関係者に取材して歩いたようである。

後半で主人公が、娘に新義州の話をしていて、通じない場面が出てくる。トーキーの映画館ができたときのこと、元旦に楽隊が門付けにきたこと……どれも娘には「?」なのである。

これは古山自身が体験したことなのかもしれないな、と想像している。戦後生まれに、植民地のことを話しても通じないのは不思議なことではない。断絶を感じたことだろう。

しかしそれを大仰に言い立てないのが、古山の作品の魅力だと思う、な。
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by tamaikoakihiro | 2016-06-04 04:56 | 作家 | Comments(0)
芥川賞作家、古山高麗雄がサイゴンで受けた裁判の記録がある。傍聴記録もある。

『戦争小説家 古山高麗雄伝』に書き込めなかったことを、「こころ」(平凡社)でエッセイとして書く機会をもらった。
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エッセイというのは、初めて書くものだったから、緊張した、というか難しかった。
野球で言えば、速球くらいしか投げられないのに、緩いカーブを投げる感じ、だろうか?
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緩いカーブを投げよとサインを出してくれた、編集のKさんに感謝するほかない、なあ。
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by tamaikoakihiro | 2016-02-05 03:57 | 作家 | Comments(0)

桜の木

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靖国神社に行ってきた。資料閲覧のためだったけれども、寒い中、結構な人数で参拝の人がいることに驚いた。
(なぜか写真がタテで入らない、これはたぶんWindows10のせいだろう、と思う)

この神社は毎年夏になると、議論の対象になる。普段は騒々しいわけではないようだ。

植樹された桜の幹には、戦友会の連絡先が書いてある。「弓」の名前も見えた。

弓はインパールで戦った部隊ではなかっただろうか。

ビルマといえば、インパール作戦である。でも本当に戦争の行方を決めるべく連合軍が力を入れたのは、フーコンの戦いである――ということで、古山高麗雄は『フーコン戦記』を書いた。

フーコンで戦った部隊関係者の植樹はあるのか、今度また出かけたときに、探してみよう。そうだ、三部作の最初、『断作戦』は、小説の最後のあたりで、元兵士二人が靖国神社に行くシーンがあったな、と思い出した。
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by tamaikoakihiro | 2016-01-23 22:49 | 作家 | Comments(0)
「en-taxi(エンタクシー)」のvo.46の「濃い本 外道料理人と外道評論家の書評対談」で、『戦争小説家 古山高麗雄伝』が取り上げられていた。
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ありがたいことだと思った。厳しい読み手の目が通ることほど、嬉しいことはないな、と感じる。

あてもなく文章を書いていると、誰かに見て貰いたいなと思うようになって、それが高名の人であればなおさらというわけなのだ。

一冊、いつの間にか書けて、どうにか人の目にたえるものになっていたようだから、今年ももう一二月だけれども、いい年だったのかなあと振り返る。

それにしても付き合って下さった平凡社のKさんには、お礼の申しようもない、という感じだなあ。
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by tamaikoakihiro | 2015-12-01 04:32 | 作家 | Comments(0)

書評のこと

翻訳の本をつくる編集者(の見習い程度)だった頃、担当させてもらった本が、書評欄で紹介されると、我が事のように嬉しかった、と言いたいのだけれども……

まずは「ああ、これで売れない本じゃなくなるかも」とほっと一息、救いに感じていたようにも記憶する。

4年間やらせてもらって、自分で「出したいです」と言ってやった本のうち、重版したものは一つもなかった。

センス、まるでないなあ。

退社して半年後だったか、担当したサイエンスノンフィクションの翻訳書が、ある賞をとったり、重版がかかったりしたのを知って、もう少し勤めていればよかったかなと思った。

しかしまあ、あの頃はベトナムにどうしても長期間行かなければならないと思い込んでいたから、「そんな長く休めるわけもなし、辞めちゃえ、辞めちゃおう」と思ったのであって、あれでよかったのである。

朝日新聞の書評欄で『戦捷小説家 古山高麗雄伝』が紹介された。

しかも『死なう団事件』という、ちょうどあの出版社を辞めてふらふらしている頃に、偶然読んで衝撃を受けた本を書いた高名の方に紹介してもらえて、幸運を感じています。

運がよかったと、改めて思う。十数年前、思い込みから会社を辞めて、あれも今の運につながっていると思うと、たいした年齢ではないけれども、感慨深いなあ。
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by tamaikoakihiro | 2015-10-28 23:02 | 作家 | Comments(1)

サイゴンの銀座、ホテル

ベトナムに住んでいた頃、飽かずに撮ったホテルがある。
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カチナ通り(現ドンコイ通り)に面したコンチネンタルである。住んでいる間にアイボリーから白に基調の色が変わった気がする。カチナは「サイゴンの銀座」なんて呼ばれていたらしい。

いつ見ても風格があっていいなと思っていた。サイゴン川に面したマジェスティックが男性的だとすると、女性的な感じがあったな。大東亜戦争中、マジェスティックが軍人御用達だったとか、そこで長勇が結構な存在感を見せていたとか、あれこれ読んだな。

コンチネンタルから教会の方に上がると確か右手に警察署があったと記憶する。たぶんあそこは大東亜戦争中、仏印の秘密警察、「探偵局」があったところで、「ははあ、ここか」と通る度に思った。

探偵局は安南人(ベトナム人)の独立運動家を取り締まるほか、日本が降伏すると、戦犯容疑者の摘発も行うようになったのだった。

そうだ、戦犯裁判だ。古山も作品で横顔を紹介している、敗戦時の第二師団長である馬奈木敬信が、サイゴンの戦犯裁判の模様を詳細に書き残している。文章は平明で、細部が彫り込まれている。

北部仏印で起こった「ハジャン事件」で死刑に処された軍人が二人、いる。彼らの処刑の模様も詳細に描いている。

射垜の前に立たされ、柱に縛られた二人が君が代を奉唱する。途中で射撃をしようとする仏軍側に、最後まで歌わせてくれと言う。訴えは認められたが、それでも途中で撃たれてしまう。

馬奈木は一連の模様をこう言っている。

「悲痛と云わんか悲壮と云うべきか、厳粛と言わんか将又荘厳というべきか全く表現する言葉がない」

刑場も、どのあたりかと、探したことがあったような気がする。

フートーの競馬場のあたりかなとか、いやチーホア刑務所のあたりかなとか、バイクでうろうろしたのだったか。

いや、うろうろしたのはチーホアの方だけで、フートーはただ競馬をやりに行ったのだったか。
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by tamaikoakihiro | 2015-10-22 23:54 | 作家 | Comments(0)