大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro

カテゴリ:至軒寮( 5 )

水戸

日曜日、水戸に行ってきた。穂積五一の薫陶を受けた方に、穂積五一のことではなく、武田信近という人のことを伺った。大変な量の調査をされ、聞き取りを様々な方にされているだけあって、勉強になった。

帰路、水戸駅まで来るまで送ってもらう際、こう言われた。

「愛郷塾のあと、見ますか」

五・一五事件に参加した水戸の愛郷塾のことは、以前本で読んで知っていたから、ぜひにとお願いした。

雨の降りしきる中、窓の向こうに見えた建物は古めかしく、崩れ落ちそうにも見えた。

愛郷塾から参加した若者たちは、田端の変電所を襲ったりしたのだったか。

水戸は、黄門様だけでは、もちろんないのである。
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by tamaikoakihiro | 2011-11-10 23:34 | 至軒寮 | Comments(0)

右左

昨日、穂積五一という人が主宰した寮の関係者に会って話を伺った。武田信近という、大川周明にも関係し、大川塾生とも関係した人物のことを知りたいと思い、お願いしたのだった。

直接は面識が深くないとのことだったが、脱線したときの話がはなはだ興味深く、ずいぶん長く時間を割いてもらった。

武田信近は、戦後風にいえば右翼ということになるのだろうけれども、戦後も故郷鹿児島のためにいろいろと尽くしたようだ。

そういえば飯尾憲士の作品に『島に陽が昇る』というものがあって、これは元陸軍参謀が、鹿児島の貧しい町をもり立てたという物語(ノンフィクション)だったな。

右翼だとか左翼だとか、言葉としては必要なのだろうけれども、人のなすことを評価したり、語ったりするときにはさほど重要でないのだろうなあ。
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by tamaikoakihiro | 2011-10-09 16:52 | 至軒寮 | Comments(0)

「人間の生き方」

20世紀はイデオロギーの時代だった、といった表現にどこかで触れた記憶がある。

共産主義、社会主義、資本主義、自由主義……そんな主義同士がぶつかりあったということを言っていた気がする。

しかし誰もがイデオロギーをふりかざした時代にも、それ以前の話をしっかりと考えた人もいる。

大川周明と関係を持ち、穂積五一の至軒寮にも近かった武田信近のことは、この前書いた。

この人物に対し、中江兆民の子である中江丑吉は、「イデオロギー以前に人間の生き方が大事である」と教えたそうである(『アジア文化会館と穂積五一』より)。

大川周明も、自身の大川塾(東亜経済調査局附属研究所)で、イデオロギーがむき出しになるような政治のはせず、専ら人間としてのあり方を説いた。

「政治に関わってはならない」ともいっていたという。

その姿勢の究極が彼が若者たちに説いた「正直と親切」の重要性なのであった。

戦前・戦中のことを知り始めると、イデオロギーの対立よりも、右といわれたり左といわれたりする人物同士で共通する「問題意識」の存在に気づかされる。

「人間の生き方」もその一つのような気がしている。
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by tamaikoakihiro | 2010-07-06 06:03 | 至軒寮 | Comments(0)

可遇不可求

穂積五一のことを勉強していて「可遇不可求」という言葉に出会った。

台湾からの留学生で、穂積の薫陶を受けた人の文章の中にあった。

「世の中には強いて求めると達せられず、むしろ出遭いの方が上善の場合がすくなくない」

そういった意味だという。

雑誌「東京人」(都市出版)での東亜経済調査局附属研究所(大川塾)に関する連載が、今月発売される号で終了する。

最初に企画を受け取ってくださった副編集長のTさんにはただ御礼を申し上げるほかない。

ではこのありがたい場は求めて得られたのか。考えてみれば、求めて達せられた話ではなかったような気がする。

「可遇不可求」のようなのである。

企画は、もとはといえば、ベトナム在住時に同じアパートに住んでいたカメラマンOさんがTさんと知り合いだったことに始まる。

そしてOさんと知り合ったのは、私の最も身近な人間が紹介してくれたからなのであった。

そのころから大川塾のことは気になっていて、書いてみたい、発表する場を得たいと思ったが、実現の方途は持ち合わせていなかった。

それが「出遭い」から幸運にもある形で達成された。

上善につながったということだろうか。

「東京とあまり関係ないからなあ」とためらいながら企画書と草稿をお送りすると、受け取ってもらえたのだった。

私は前掲の言葉を誤って理解しているかもしれない。しかし私なりに、その言葉の深さを感じずにはいられない。
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by tamaikoakihiro | 2010-07-01 18:38 | 至軒寮 | Comments(0)

至軒寮と穂積五一

穂積五一という人のことを調べている。この人は戦前・戦中、至軒寮という学生寮を主宰していて、日中和平や反東条英機の運動をしたことでも知られている。

穂積五一のことは、どんな人であるか、まだ私はつまびらかにしない。

上述の他に知ったところでは、、戦後はアジアの留学生を受け入れる事業に注力し、留学生たちが住まうアジア文化会館を建てた。

閑話休題。昨日資料として読んでいた本で気になったのは、武田信近(慶応義塾大学出身)という人の名前が、至軒寮を訪ねていた人物の中に含まれていたことである。

この人は1930年代の後半にアフガニスタンやトルコなどを含めアジアを旅行している。途中旅券を紛失し、帰国時には「身元引受人は小泉信三である」といったとか。

武田は大川周明とも交流を持っており、大川塾の同窓会報にもその文章が掲載されている。

アジア主義、寮……そんな言葉から興味深い人物、存在が浮かんでくる。

至軒寮を教えてくれた方に感謝したい。狭い視野が少しだけ、広げられた気がする。そういうありがたい機会を与えてくれる方は、なかなか得ようと思っても得られないものだから。
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by tamaikoakihiro | 2010-06-28 15:56 | 至軒寮 | Comments(0)