大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro

カテゴリ:雑感( 86 )

責められる

以前、元将校という3人に、食事をしながら半ば叱責されるように話を聞かせてもらったことがある。これまたこれくらいの暑い季節で、2004年のことだった。

北部仏印に展開していた第21師団の方なら誰であれ、話を聞いてみたいというめちゃくちゃな発想で、戦友会報をいくらか読み、ある戦友会の東京支部に連絡をとったのだった。

私は取材意図をうまく伝えられなかったようだ。

あのお三方は、私が、ベトナムで巷間に流布してしまっている「日本軍の駐屯による200万人餓死」説を私が追っており、その責任追及的な取材をしているものと理解されていたようだった。

私は左翼青年に取り違えられていたようだった。

だから誤った認識を糺すのだという意気込みで、私に向かわれたのだろう。

そうではなくて……と質問を切り出そうにも、一方的にいろいろと話をされてしまった。

苦い取材の記憶だなあ。

しかしあれはあれでよい勉強になった。自分の意図が明確に伝えられないようでは、取材になんか、なるわけがないのだろう。

それは最初に出した手紙がいい加減だったのだろう。

手紙は、私にとって、ちょっとした修行のツールのようだな。

そうだ、手紙一本ロクに書けないようでは、まともに書き物なんかできないんだなあと思ったりする。
[PR]
by tamaikoakihiro | 2011-07-07 23:00 | 雑感 | Comments(0)

天草

ある証言集を読んでいて、金子昇という人物――中野学校卒業生、インド工作、仏印での特殊工作などに関わった――が、天草の出身と知る。

仏印のフエで独立運動家と交流する拠点として設けた医院の名前は、同郷の友人の名前に因んでいた。園田直である。園田は戦後、外務大臣を務めた政治家でもある。松谷天光光との結婚でも知られる。

そして園田直は、仏印にも深い縁を持っていたことが、わかっている。

まあ、そのことはまた書いてみよう。

しかし中野学校生と政治家の郷里でのつながりとは……おもしろいな。
[PR]
by tamaikoakihiro | 2011-05-22 22:23 | 雑感 | Comments(0)

暗殺

ウサマ・ビンラディンが死んだ。「殺害」という言葉で言われているが、どうなのだろう、あれは「暗殺」ではないのだろうか。

使っている辞書にはこうある。

(主に政治的な理由で要人を)ひそかにねらって殺すこと。

殺害だと、どうも政治的な理由がないように感じられる。

しかし同盟国による暗殺を、暗殺とはそのまま使えないのが、現状なのであろう。
[PR]
by tamaikoakihiro | 2011-05-03 17:12 | 雑感 | Comments(0)
4月30日は、北ベトナムが南ベトナムの首都、サイゴンを落とした日である。毎年記念の祭りをやっていた。この日、多くのベトナム人が共産主義の侵攻を怖れ、国外に脱出した。その混乱は、動画投稿サイトで今も見られる。

ベトナムの友人は、兄がサイゴンに上京していて、アイスクリームを売ったりしていたというが、やはりこの日以降、アメリカに脱出したのだった。確か20歳以上離れた兄だった。その人の娘は立派にアメリカナイズされた感じで、写真を見せられたとき、驚いたものだった。

そうだ、あの大統領官邸の鉄門を打ち破った戦車隊。隊長はベトミン(ベトナム独立同盟)に敗戦後参加した日本人将校が指導したベトナム人将校だったという。その話は、当の日本人将校から聞いた。

大東亜戦争とベトナム戦争のつながりは、これだけでなく多々ある。
[PR]
by tamaikoakihiro | 2011-05-02 07:23 | 雑感 | Comments(0)

会いたい人の話

今、どうしても会いたい人がいるかと言われると、と勝手に問いをたてて、自ら「古山高麗雄」と答える。これほど国中で「がんばろう」が唱和され、「日本の強さを信じている」と臆面もなく言うCMが日々流れる状況に、彼ならどう感じただろう。

彼は反戦的な考えの持ち主として、ビルマ、仏印を転戦した。その考えを口に出すことはなかったが、寡黙で周囲とは壁を築いて交わらなかった。

戦後、日本は豊かになると、食うや食わずの時には言わなかった「労働は神聖なり」といったフレーズをもてあそぶようになり、そのことに彼は非常に強い違和感を表明していた。

反戦を錦の御旗とする「反戦使い」についてもどうようだった。そうだ、ベ平連が、1973年の和平協定以後、静かになったことを挙げて、本当に戦争反対なら、ラ平連、カ平連をつくればいいと揶揄した(ラはラオス、カはカンボジア)。

うーむ、何を言いたいのかわからなくなってきたが、まあとにかく今は、「進め一億火の玉だ」といった雰囲気を、手触りの感覚として持つにふさわしい時なのだろう。
[PR]
by tamaikoakihiro | 2011-04-14 07:44 | 雑感 | Comments(0)

戦時中

地震以後、情報の混乱、あるいは不足、その統制めいた話が出ると、「戦時中に戻ったみたい」「大本営発表だ」といった、戦時中をネガ一方で、半ば悪であることを前提として、持ち出す人の発言に接することになる。

違和感を覚える。

そもそもそういう風に発言している人たちが、戦時中の「実感」を持っているのかどうか。それが疑わしいから、違和感を覚える。

戦時中の「実感」を持つ人たちに、またはどれだけ接したことがあるのだろうか。

「実感」も持たずに、言葉だけに反応して何かを判断することは、あまりよくないのではないだろうか。

大川周明のつくった「東亜経済調査局附属研究所」(大川塾)を卒業したある方は、在籍時代に書いた自分たちの文章について、「それはあの時代だから」と前置きして、尽忠報国、神国といった言葉も使ったものだと、語っていた。

それは時代の雰囲気であり、制約だったのだろう。

後代の人たちが、自分より前の時代を、一方的に悪であるかのように形容することは、少なくとも敬意を払った姿勢とは思えない。
[PR]
by tamaikoakihiro | 2011-04-07 07:44 | 雑感 | Comments(0)

連絡

さる方から連絡を頂戴して、驚く。名前を言えば誰でも(たぶん)知っているだろうノンフィクション作家の方が、拙稿に関し、某雑誌で言及されていたということだった。現物はまだ確かめていない。引用されていたのだろうか。

その作家の方には、無謀にも掲載誌を昨年、お送りしていたのだった。

そういう「私の力作――と本人が信じている――を読んでくれ」式の話は、高名な方になるほど多いだろうから、目を通して下さらなくても、まあそれも仕方ないだろうと思っていた。

そしてお送りしていたことも、すっかり忘れていた。

そして今日、教えてもらった。

迂闊にも知らなかった。今度、図書館で探してみよう。
[PR]
by tamaikoakihiro | 2011-04-05 23:48 | 雑感 | Comments(0)

国難

国難という言葉をよく最近は聞く。地震による被害を指しているのだろう。この言葉は、そうだ、戦争中の記録を読んでいると頻出する。

多くの人がすでに指摘しているけれども、今の状況は戦争中の雰囲気を想像するに、ある意味で好適かも知れない。

「被災地の人たちをを思いやろう」

「戦地の兵隊さんを思」ったり、華美な消費などを控えようというムード、これは「パーマネント禁止」などといった引き締めがあった時代に、何となく類似していると思えなくもない。

根底にあるのは、現在は電力不足、かつてはあらゆる方面での資源不足だったのだろうから、一概にすべてを類似で片付けられないだろうけれども。

しかし困難にあたって、「国民一丸に」となるのは悪いことでもないのだろう。

ではあの戦争のとき、国家総動員体制(これも戦後は評判がよろしくない)をしいたことは果たして間違いだったのか。

いろいろと考えると、わからないことばかりになる。
[PR]
by tamaikoakihiro | 2011-03-29 07:07 | 雑感 | Comments(0)

カンボジアでのこと

カンボジアに最初に行ったのは、1998年春。少し前に首都プノンペンで銃撃戦があったとかで、タイから飛行機で入国するとき、ずいぶんびくびくしていたものだ。

背の高いサトウヤシが立ち、赤い土の広がるカンボジアを機上から眺め、感動したのだった。

アンコールワットのある町で、数歳年上の男性で知り合った。そのとき1週間くらいを同じ宿で共に過ごしただけだったが、帰国後手紙やら電話やらでお付き合いがしばらくあった。

その後、連絡をとらなくなってしまった。ただ表情や話し方は今も思い出せる。

たった1週間だが、そうなのである。

60年以上前のことを、伺うとき、非常に鮮明に語って下さる方がいる。その方にとって、忘れようのない事柄だとさらにそうなる。

ある方は、泥色の大河の対岸が爆撃され、同期生の身を案じた時のことを悲しそうに、辛そうに語ってくれた。翌日渡河して四方に祈り、その場を去ったという。私は聞きながら、ビルマの大河の前で立ちつくす、その方の若い頃の姿を思い浮かべていた。

青春の記憶、というのだろうか。

我が身のカンボジア体験から、そのあたり、「何故に鮮明なのか」が少しわかる気がする。
[PR]
by tamaikoakihiro | 2011-03-28 07:01 | 雑感 | Comments(0)
『金子光晴の旅 かへらないことが最善だよ。』という本を読んだ(というより眺めた)。金子の本は、何冊か読んだことがあったからその記憶を辿りながら。

写真家の文章と金子の文章が入っていて、後者の中に「関東大震災で日常が危ういことが露呈した」といった意味にとれる一節があった。正確な文章は、今手元に本がないからわからない。

今回の震災を見ていると、日本の安全や利便性が、薄皮一枚で凄絶な危険と隣り合わせであることが感じられる。
[PR]
by tamaikoakihiro | 2011-03-16 06:55 | 雑感 | Comments(0)