大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro

カテゴリ:雑感( 91 )

界隈

この前の土曜日、早稲田界隈に行ってきた。

大学の構内に入ると、見覚えのない高いビルがいくつかあって見上げた。
古めかしいのは、少なくなっているようだった。

十数年前、何をするわけでなく、少しの友人と、ときどき話して部屋との間を往復して
いたことを思い出した。

時間をつぶすために図書館に入ったら、当時、せっせと映画を視聴するためにAVルームに通った
頃のことがよみがえった。

羞恥を覚えずして回想できる過去などないわけだけれども、いまだって恥ずかしいことに変わりはないのだなあ。
[PR]
by tamaikoakihiro | 2013-10-08 02:43 | 雑感 | Comments(0)

ある言葉

『文壇さきがけ物語』(大村彦次郎・ちくま文庫)を読んだ。面白かった。淡々とした記述が積み重ねられていく(「挿話的手法」と言うらしい)中で、人模様が見えて興味深かった。

そのなかで紹介されていた、正宗白鳥の言葉。

「人間の記憶なんか案外に薄弱なもので、過去の歴史を現実に伝えるということは容易ではない。だからといって、だれか書いておいてくれなくては困る。ぼくの『作家論』でも『自然主義文学盛衰史』でも、書いておいた方が後世に役立つだろうと思ってのことである。だが、自分のことを書かなければ何も書けないのだよ」

最後の一文が、わかるような、わからないような。

誰か他人のことを書くにしても、自分のことを書かないといけないということだろうか?(直接言及しないにせよ?)

何度か読み返して、やっぱり、わかるような、わからないような言葉だったけれども、強く印象に残った。
[PR]
by tamaikoakihiro | 2013-09-26 04:20 | 雑感 | Comments(0)
「末席を汚す」と表現してよいのかどうか。拙稿掲載誌を眺めて、仰ぎ見るべき執筆者の方々の名前にそんな風に思った。自分の書いたものがここにあっていいのかな、といった感じ。「こころ」(第13号・平凡社)。
a0153209_2105044.jpg


それにしても自分が読み進めた本を、誰かに紹介するというのは、大変難しい。

そんなありきたりのことを、今回痛感した。

よく書くためにはよく読まなければいけない――

そんなことを、大学時代に聞いたか、読んだかした。

同じ学部の中に、作家養成コースみたいな専修があった。
そこの教授が言っていたことだったと記憶している。

ところで「こころ」(第13号・平凡社)で読むべきは、「回想 わが昭和史」だと強く思っている。
[PR]
by tamaikoakihiro | 2013-06-05 21:02 | 雑感 | Comments(2)

行動

『三島由紀夫と盾の会事件』(保阪正康・角川文庫)を読んだ。「補章」が胸に迫る内容だった。ノンフィクション作品で「自分を出す」ことは難しいことだろうと感じているが、そこではごく自然にそれがなされていて、読者にとって、「それが必要である」と感じさせる迫力があった。

同書中で知った三島由紀夫の言葉。

「ことばでもって自分をかきたてようとすれば、行動はそれについていけなくなるのである」

この言葉と、五・一五事件のときに「問答無用、撃て、撃て」と言った海軍青年将校の姿を重ねた。

そうだ、その青年将校は、のちに大川塾の寮長になったのだった。
[PR]
by tamaikoakihiro | 2013-05-18 12:29 | 雑感 | Comments(0)

淡々と

『私の昭和史』(末松太平・中公文庫)を読んだ。二・二六事件関係者の書いた本、ということで手に取った。派手なところのない文章が大きな魅力だと思った。

私が敬愛する古山高麗雄は「キンキラキンの文章」を書くことに否定的だったけれども、『私の昭和史』では、淡々とした記述だから出せる悲哀の起伏というものを感じた。

三島由紀夫が同書を絶賛したとのことだが、三島のような人が認める質は、実に確かなものなのではと思う。

二・二六事件というと、私は文章として檄文調のものを常々想起してきたのだけれども、印象が大きく変わった。

上下で2000円に満たないのだから安いものだなあ。
[PR]
by tamaikoakihiro | 2013-05-06 05:47 | 雑感 | Comments(0)

メイキング

『戦艦武蔵ノート』(吉村昭・図書出版)を読む。禁欲的に過ぎるのではと思える取材姿勢は、いつも感じるところだけれども、そもそも『戦艦武蔵』という記録小説の記録(ノンフィクション)が成立するという点に驚きを覚える。

それくらい読むに退屈しない、というか興奮の続く一冊だ。

常に読者を念頭に書こう努めていることなど、作品自体には書き込まれなかったことども興味深く、こんな時間まで読んでいた。
[PR]
by tamaikoakihiro | 2012-11-21 02:58 | 雑感 | Comments(0)

難しいこと

縁というものは、やはりあると思う。今回はご縁がなかったということで……というような表現は、そうだ、就職活動のときに、よく目にしたと記憶する。

誰かに会って話を聞いて、教えて貰えるのも、縁があればこそ。

縁がなければ、それは、どうしようもない。縁を超えるものは、そうそうないと、思う。

これは諦めの類とも違う。難しいな。
[PR]
by tamaikoakihiro | 2012-09-02 14:05 | 雑感 | Comments(0)

不思議と

先日お目にかかって話を聞かせてもらった方から、関わっておられる同人誌が送られてきた。

その方の書かれた部分を読むと、ある時期、大東塾に接していた時期があるようだった。

大東塾のことは、本でちらりと知っただけだが、敗戦後、代々木練兵場で塾生ら14名が
割腹自殺しているという。

代々木公園は、二・二六事件関係者の処刑もそうだが、いろいろな歴史を吸って
今は緑に囲まれているのだと、思ったりする。
[PR]
by tamaikoakihiro | 2012-06-08 01:22 | 雑感 | Comments(0)

ぶったるんで

「ぶったるんでいるから気合いを入れてやる」と言われて引っぱたかれたという軍隊での経験を、作家・古山高麗雄がどこかで書いていたと記憶する。

しかしよく考えれば、たいていの人は概ねぶったるんでいるのはないかと思う。

自分に関して言えば、まったくそうだ。

電車の中で、やるべきことがあるのにぶったるんで寝ているし、
図書館で調べることがあるのに、ぶったるんでパソコンの設定を
いじっている。

直せばもっとよくなるかもしれないものを前にして、ぶったるんでこんなものを
書いている。

しかしそれこそ気合いを入れないとな。

少なくとも一人、読んでくれる人がいるのだから。

ぶったるんでいるのが人間の常だとしても、気合いを入れないと。
[PR]
by tamaikoakihiro | 2012-06-03 13:36 | 雑感 | Comments(0)

人生しょせん

古山高麗雄のことを考えると、『人生しょせん運不運』(草思社)を読みたくなる。

あの本で、要するに、運だ、とビルマ・雲南の戦場を経験した作家は言うのである。

死にたいと思っていた自分が生き残って、真面目に兵隊をやっていた
戦友が死ぬ。

そういう日々を過ごして、ある種の虚無感を抱えるようになったのではないか、とは
先日お目にかかった方のお話だが、私もそのように思う。

だからといって彼は、投げやりな運命論者ではなかったのではないかと想像する。

やれることはやる。

それが根底にあった姿勢ではないかな。
[PR]
by tamaikoakihiro | 2012-05-31 00:23 | 雑感 | Comments(0)