大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro

カテゴリ:東亜経済調査局附属研究所( 82 )

カンボジア

東亜経済調査局附属研究所(大川塾)の卒業生の証言を聞き直している。

あるところで、稲嶺一郎がポケットマネーでカンボジア三派連合政府の一翼を担ったソンサン派に支援をしていたことを、卒業生の一人が述べていた。

ソンサンといってももう物故しているし、そうだ、ポルポト派のことも、だいぶ過去になってしまっている。

しかし戦中の縁は戦後と長く深くつながっていたのだと思う。
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by tamaikoakihiro | 2011-04-26 22:37 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)

夏の思い出

今年もそうなのだろうが、8月15日になると、戦争関連の番組や雑誌、書籍の企画が増えるのだろうと思う。自分の記録を見ると09年は、東亜経済調査局附属研究所五期生の方に会いに、その日は世田谷に出かけていた。

その方は、「8月15日」ということに、特段の反応を示されなかったように記憶する。私の方は、それよりも話をうかがって、あと、昼食を近所でおともできたことが嬉しかった。

かしこまって話を聞くのもいいけれども、くだけた感じで好きなように話してくださる方が、ありがたいこともある。

ただ昼食時、その方が「これは誰にもいえない」と、少しだけ触れて、続きを語って下さらなかったことがある。何なのだろう、と想像した。

同窓生のことなのか、師・大川周明のことなのか。後者のように感じられたが、もちろん事実は確かめようもない。
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by tamaikoakihiro | 2011-04-21 07:13 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)

友の手を切り落として

痛切な別れはいろいろあるのだろうが、大川塾生の談話をある本で読み、想像できない痛みの存在を知った。

『資料集 インド国民軍関係者聞き書き』の中にあった、ある卒業生の話である。その方は、英軍の空襲で亡くなった後輩の手首を切り落とす場に、立ち会ったのだった。

切り落とすのは、焼いて遺骨として持ち帰るためである。

読むと、下士官が切ろうとしたとき、思わず後輩の手をつかんでしまったという。数回で切り落とせたというが、その間の感情をうまく表現できないと回顧している。

この方は私が取材を始めたとき、確かすでに物故されていて、お話をうかがうことはなかった。

しかしその後輩と同期生の方には会った。同期生が亡くなったのに、自分は帰ることができたという事実に、痛みを感じていたそうである。
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by tamaikoakihiro | 2011-04-19 14:31 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)

書き方

同じことを調べて書くにしても、人それぞれ技量の差が出る。同じことについて、同じ質問しても、たぶん取材相手との間合いの取り方などによって、答えは変わる。それを書くとなれば、もうそれは大きな差が出るのだろう。

「新 忘れられた日本人」(サンデー毎日に連載中)を書いているのは佐野眞一さん(著名人を、さん付けで呼ぶことには抵抗があるけれども、ほかに「氏」と付けるのもおかしな感じなので、そうしておく)だが、0327号のテーマは「大川塾」だった。

ご自身の著作に関して取材した折のこととして書いている。

同じ方に私もお目に掛かっているが、記事中に書かれている内容の深度――短い文章なのだが――に感じ入ってしまう。

話の運びにまったく無理がないようにも感じる。僭越にもそんな感想を持つ。

うーむ。

センスだろうか。

うーむ。

訓練だろうか。

訓練だと思いたい。

拙稿に一部言及されていいて、名誉なことと思うのだが、早く自分でしっかりまとめたいなと、改めて思う。

一体何年かかってやっているのだ、と情けなくもなった。
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by tamaikoakihiro | 2011-04-08 13:15 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)

住まいのこと

ある本を読んでいたら、ベトナムの流浪の王族、クォン・デの戦中の住所が記述されていた。何となく散歩で行ったことがあるような場所だったから驚いた。

今度行ってみようと思うのだが、本当に変哲のない住居が建っていそうな気がする。

東京は思えば革命の都だったのである。周恩来、クォン・デ、孫文などなど、祖国で受ける難を逃れ、ここで革命の方策を練ったのだ。

そんな事実も、どんどん風化していくのだが。
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by tamaikoakihiro | 2011-03-25 16:15 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)

明号作戦

今日は明号作戦の日である。1945年3月9日夜、仏領インドシナで始まった軍事作戦で、これによってフランス領インドシナは解体された。日本軍がほぼ一夜で宗主国の軍隊を追い払ったことになる。

秘匿号は「マ号作戦」が最初だった。当時の司令官の苗字の頭をとったという。その後なぜ「明号作戦」となったかはわからない。

「あきらごう」と回顧した元将校の方がいた。別の当時現地にいた方は、「めいごう」と読んでいた。

どちらなのか、わからない。

現地軍の司令官あたりに聞けばわかったのだろうが、当時のインドシナ派遣軍司令官はもう亡き人である。

そんなとき、古山高麗雄の短編を思い出す。戦友会で、第二師団の師団長だった馬奈木敬信中将に会った話を書いていた。

戦後、だいぶだってからの時の作品である、もちろん。

「今度、馬奈木閣下に会ったら聞いてみようか」と、古山は書いていたと記憶する。

明号作戦の夜、彼が何時何分に、プノンペンの王宮の壁を上ろうとしたのか、という疑問を解くために彼は、師団長に借問してみようかというのだった。

その日から66年ということか。
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by tamaikoakihiro | 2011-03-09 08:06 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)
毎年、3月上旬は想像することが多い。一つは日本軍が仏印政府を解体した「明号作戦」があった月だからである。3月9日、例えばある大川塾生は、中部の王都フエの城内に安南服で忍び込み、バオダイ皇帝の身柄確保を目指した。

また作家・古山高麗雄はプノンペンでシアヌーク国王の身柄確保を行う部隊の一員として行動した。

鹿児島出身のある下士官は、北部仏印で「ジョータイレン!」と仏印軍の安南人に一喝し、投降させた。

フランスの支配が長く続いた中で、ほとんど一晩でそれを解体してしまったのだから、驚きは安南人(ベトナム人)の間で大きかったようだ。

息を潜めて決行の時を待っていた若者たちの姿を想像すると、それだけで時間が過ぎる。
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by tamaikoakihiro | 2011-03-03 07:36 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)

音のない世界

久しぶりに朝のラッシュの時間帯で電車に乗った。普段は自転車だから、混雑と雰囲気に圧倒される。

当然だが、イヤホン、ヘッドホンをして何かを聞いている人が多い。

その中に、発車寸前に悠然とドアを割って入ってきた人も、イヤホンをしていて、思った。

発車の案内音が聞こえていないのだろうか。

日本はいいところだ。周囲の音を遮断して生きていても、とりあえず安全に生きていける。

ベトナムで、町中でそれをやったら結構危なかっただろう。

住んでいるとき、勤め先に出かけるとき、遊びに出かけるとき、バイクに乗った。町中はバイクの洪水である。

後ろからバイクを押しのけるように大型トラックが来ることもある。

音を聞いていないと危なかった。

考えてみれば、静かな世界というのは、安全な世界の謂にもなるのだろう。

騒々しいと、それだけでちょっと、危険な感じがする。

そうだ、ベトナムの喧噪に包まれた市場では、後ろから台車を押してくる少年に「どけっ!」とばかりに口笛を吹かれたのだった。

あれは華人街、チョロンの市場でのことだったか。

そのチョロンに、日本人が設立に関与した娯楽場兼賭場があった。

「大世界」という。日本人経営の独立支援商社、大南公司も店を出していたという。

「大世界」はグレアム・グリーンの小説にも戦後、登場する。

戦時中、そこの「陰の顧問役」を任じていた人物は、大川塾生の上司でもあった。

音のことからベトナムまで、朝の通勤電車で頭に思い浮かべていた。

もの思う時間はあるわけだ、生産的でないけれども。
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by tamaikoakihiro | 2011-02-25 13:32 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)

あるレッテル

ベトナム戦争のころ日本で青春期にあった人と話したとき、ゴ・ディン・ジェム大統領にテーマが及ぶと、「独裁者だよね」と一言で片付けられることがあった。

ジェムを直接知っていた人(故人)は彼のことを「真面目だよね」と私に語ってくれた。

やはり親しかったと推察される文学者、小牧近江はジェムの律儀なところを、自著『ある現代史』の中で指摘している。

「独裁者」というレッテルは、一時期日本のマスコミがジェムに貼った者に過ぎないと思う。

親米のムバラク大統領が一連の騒ぎの中で、いつのまにか悪玉らしき者に仕立て上げられてゆくのを見て、そんな思いを新たにした。

ジェムについては、反仏民族主義者としての見直しが、あっていいのではないかと感じている。あんまり根拠はないのだけれども。

そういえば知人はベトナムのサイゴン郊外でジェムの墓を見つけていた。
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by tamaikoakihiro | 2011-02-15 21:10 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)

寮の記録

東亜経済調査局附属研究所の研究生たちが在籍中にものした寮誌が面白い。忠君愛国の文脈で読めるものもあれば、青春の倦怠感を漂わせた脱力系の随筆もある。

上大崎でつくった土俵の土俵開きの相撲を記録した星取表まである。

皇紀2600年を記念して代々木練兵場で行われた大観兵式の模様も綴られている。

「大元帥陛下は陸軍御軍装にて、午前八時五十二分殷々たる百一発の礼砲が中天にこだまするうちに式場に御着……」

こういう場に参加できたのは、軍に深い人脈を持つ大川周明の主宰する教育機関だったからだろう。

なかなかに興味深い。
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by tamaikoakihiro | 2011-02-07 06:15 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)