「歴史はある意味で、いつも結果論であるし、思想はつねにイデオロギイとして機能するから」云々とあった。『近代の超克』(冨山房百科文庫)を読んでみて出会った、竹内好の文章。
そうだ、結果論で思うのは、いつも私自身、歴史を眺めていて「結果しか、自分の目の前にはないなあ」と当たり前なのだろうけれども、思う。
何の結果か。
それは大東亜戦争、戦後、太平洋戦争と呼ばれた戦争である。
(植民地時代のサイゴンの地図)
すべてが、というわけでもないけれども、身の回りのことの多くが、戦争の結果だなあと感じる。
住まいの上空かなり低いところでアメリカの飛行機が飛ぶこと(たぶん横田基地に行くのだろう)、流行の音楽のたいていは横文字まがいだったりすること、隣国との関係が、どうも不安定なこと(隣国と円満な関係を築いている国は、あまり多くはないと思う、それはベトナムとカンボジアの関係とか、いろいろと見ればわかる)……
結果しかない世界で、育ってきたような気が、どうにもする。
80年代半ば以降の浮かれた消費文化の中、10代を過ごしたけれども、内需拡大を押しつけられた結果なのだろうとか。
良い本を、読むことができた、な。