大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro

高島平、団地の眺め

この前、板橋区の高島平に行ってきた。団地が建ち並ぶところである。サイゴン(正確にはサイゴン北郊)で数カ月住んだ団地Chung Cu Pham Viet Chanhに趣の似る建物を見て、およそ10年前の自分を思い出す。
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三田線に乗るのも久しぶりだったように思う。

知りたいと思っている弁護士の弁護を、約70年前、受けた方のお目にかかった。意外な事実を伺うことができて幸運だった。その方は、自分を弁護した弁護士というテーマで話すことはこれまでなかったという。

たしかにその弁護士は著名人ではない、と思う。著名人か否かは、しかしものを調べる動機にはあまりならないのだな。

8年前に初めてお目にかかり、2度、3度お話を伺ったが、そのことをまとめる機会はなかった。これは自分の力不足を証明するわけだ。

今回はまた違うテーマだから、これからどうなるのか、わからない。

弁護士との記憶に残るやりとりなど、肉声を通じて知ることができるというのは、戦後30年で生まれた私にとって、貴重なことである。

帰りには、わざわざ事務所のドアの外まで出て、駅はあちらだよと指さし、手を振って見送って下さった。

駅近くの交差点まで行くと、サイゴンの団地を思わせる団地が、そびえていた。
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電車に乗って帰宅する。
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自分の経験はたかがしれているし、そこから思うこと、考えることも、同様だろう、な。

ところが、自分以外の人の経験や思考に接すると、高揚する。我がことは、実につまらないし、狭いと感じる。

自分にとって貴重と思えることが、何かの動機なのかもしれないのだなあ。
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by tamaikoakihiro | 2016-02-13 20:10 | 戦犯裁判 | Comments(0)