大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro

夜、ホーチミン市3区、肉まん

ホーチミン市3区に住んでいた頃(といっても1年半くらいだったか)、勤めを終えて帰宅して食事をとって、それから散歩に出ることが、たまにあった。
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市中心部から郊外へ続く通りまですぐで、そこに出ると、夜風にあたるべくバイクを流す人たちがいて、賑やかに営業する鶏肉のうまい店があったり、新参のドラッグストアがあったり、何となく、良い感じだった。

夜だけれども、都会らしいというべきなのか、小さな子供たちの姿も見た気がする。

ときどき、路上で販売している肉まんを買った。売り手はデッキチェアというのか、仰向けになれるくらいの椅子に体を横たえていて、呼びかけるとのそのそと準備してくれるのだった。
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「こんな時間に……」とは思わなかったのは、一つには私が人の親になっていなかったからだろうと思う。

人の親といえば、ベトナムに移り住む直前、父親が末期癌を宣告されて、入院した。埼玉のだいぶ奥の方の、ある医科大学の付属病院だった。プロ野球チームのある町の家からだと、往復四時間くらいかかった気がする。毎日見舞った。

これは何にも自慢にならない。毎日行けたのは、無職だったからである。そして「ベトナムに行ったら働く」と言う私を、父親はどれだけ頼りなく見ていたかは、今となってはわからない。

移住して二週間ほどで、亡くなったとの連絡をもらった。

「親の死に目に会えない」という使い古された言葉があるけれども、そういう次第なのだったな。

10年前のことだから、忘れたことも多いけれども、見舞いのために乗ったローカル線の車窓に映った風景とか、病院の寒々とした雰囲気とか、ごく一瞬の細部は、記憶からなかなか消えないものだなと思う。
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by tamaikoakihiro | 2015-11-04 22:14 | 雑感 | Comments(0)