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貧窮、軍隊、実生活

「渋民と北海道におけるこの二三年の、骨に徹するような、窮迫と漂浪の生活は、かつての浅薄な天才気取りの少年を、沈痛にして真摯な一個の思想家に一変させたのである」(『啄木の悲しき生涯』杉森久英)
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石川啄木のことはあまりよく知らないのだけれども、高校の音楽の授業で歌う機会のあった「砂浜の砂に……」というものは記憶にある。

『啄木の悲しき生涯』は、早熟な天才の傲慢の様を遠慮なく書いている。そして実社会であがく(金を得ようと)中での成長に言及する。

なお啄木は貧しい家に生まれたわけではない。「石川一家のように、かつては村の小貴族として豊かな生活をしていた」と同書にはある。父は寺の住職であったが、理由があってその地位を追われたらしい。

古山高麗雄のことを思った。

古山は植民地朝鮮の富裕な開業医の子息として生まれ、不自由のない少年時代を送った。上京して浪人生活を送った東京、第三高等学校の生徒として過ごした京都、退学後に舞い戻った東京のそれぞれで放埒な生活をしたと自ら何度も振り返っている。

仕送りを蕩尽して貧窮したというのだけれども、それは金持ちの子息だからできる貧窮であったといえるのだろう。

階級社会の軍隊では、農村出身の屈強な仲間たちに囲まれて自らの貧弱を痛感した。

敗戦後の日本では、生活のために働く中で、世間を渡るための術を使わなければならなかった。

「窮迫と漂浪の生活」は、古山の場合、戦前・戦中での東京、京都でのこと、軍隊での大東亜転戦と戦犯体験、戦後の暮らしを立てる苦労であり、それらが彼を「沈痛にして真摯な一個の思想家に一変させた」のかな、と想像する。

いずれにしても天から授かった才能だけで、世に立つことは、難しいのだろう、と思わされる。まあ、授かった才能があるからこそ、苦労を味わうことになる、とも言えるかもしれないのだけれども。

才能というのは、まあ、恐ろしいものだな。
by tamaikoakihiro | 2015-10-11 11:09 | 作家 | Comments(0)

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