大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro

戦犯、サイゴン裁判

フランスによって日本の軍人、民間人が裁かれた。70年前の敗戦ののち、そういうことがあった。古山高麗雄も、その中で、裁かれた。

「俘虜(フランス植民地軍)を労役に就かせたこと」が、戦後の公文書で見ると、古山の負わされた罪であるらしい。

古山は関係していないが、フランス植民地軍を多数処刑した事件が、北部仏印(現在のベトナム北部)ではあった。中国国境に近い、ランソンという町でのことである。

往時、中国から徒歩で転戦してきた部隊、九州の部隊があった。その部隊が、一九四五年三月九日、フランス植民地軍と戦った。

処刑はそのあと、大量の俘虜が出たために、処置に困り……といった流れで起こったようである。

関係者として将校らが、サイゴン裁判で裁かれた。委細は『サイゴンに死す』(杉松富士雄・光和堂)に詳しい。この本は古山の作品で知ったのだったか。
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(ランソンで攻防が繰り広げられた要塞の跡地と思しきところ。2005年撮影)
裁かれた将校の一人、福田義夫大尉の遺稿集『死の宣告と福田義夫』から。(彼は内地に一旦帰還したが、郷里で逮捕され、巣鴨プリズン経由、サイゴンに送られた)

裁判の正当性について、こう書いている。

「本裁判は国内裁判ではない、かっての敵国の勝者(フランス・引用者註)が敗者を裁くのである、そこに人種的偏見、復讐的憎悪のない事が神ならぬ身のあり得ないのは火を見るより明らかである」

しかし死刑の日には、このように書いている。

「前略遂に最後がやつて参りました。已に覚悟していたことだし、ほんとに落着いて旅立つ事が出来る確信を持つて参ります。御両親様始め皆様ほんとに御世話になりました」

この文面の背景には多くの煩悶や苦しみがあったろうことは、遺稿集が700ページを超す大部のものになっていることから容易に推察できる。

彼は、自分のことを「敗戦の犠牲」として受け入れようとしていたようである。

「(裁判について・引用者註)根本原因は日本が戦争に敗れたが故であると信ずる。敗戦の犠牲は大きい、敗戦の現実は飽く迄冷厳である。その一犠牲として、祖国のための一礎石なりと思うとき、何ら悲しいこともない」

私はこうした文章に接すると、いつも東京都心の光景を思う。電車に乗って、誰もがスマートフォンを手に何事かをして、中吊り広告にはきらびやかな色が踊り、駅に出れば雑踏があり、着飾った若者がいる――

「空前の繁栄じゃないか」と思う。この空前の繁栄を、見なかった人の一人が、福田義夫のような戦犯刑死者なのだ、と思う。

「一礎石」として刑場に赴いた彼は、私が「空前の繁栄」と思う光景を、何と言うのだろう、とも思う。
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by tamaikoakihiro | 2015-09-06 06:57 | 戦犯裁判 | Comments(0)