大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro

仏印事変、1945年3月

「私は、私がこれまでに書いたものには、他にもさまざまに、
偏見や言い過ぎや事実誤認があるだろうと思う」――
古山高麗雄が、私小説「7・7・7」でそう書いている。

ときどき古山は、作中で過去の作品における自分の間違いを認め、
そのことについて書いている(ときどき、と書いてしまうと、
言い過ぎになるだろうか)。

なかなかできないことなのではないかと思う。

「7・7・7」は、敗戦の年の3月、日本軍がフランス植民地軍を
インドシナで打倒した「仏印事変」をテーマにしている。

そのなかで、北部仏印ランソンで俘虜を大量に殺害し、敗戦後、
戦犯裁判で有罪となり、処刑された将校たちの話が出て来る。

おそらく古山は、この将校たちと、サイゴン中央刑務所で近くに暮らしている。

サイゴン中央刑務所は、いま観光客が必ず行くベンタン市場
(旧称中央市場)の裏手あたりにあった。
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(刑務所の跡地から街中を見て。古山の『プレオー8の夜明け』では
刑務所の外から安南人の声が聞こえてくる様が書かれているが、
その様子を想像したなあ)

いまはなく、ビルになっているのだが、その場所の近くを通るたびに、
雑居房で、暗い収監生活を明るくしようと演劇をやる古山ら、
容疑者の姿を想像した。

前述の事件は、確か「ランソン事件」と呼ばれるのだが、
そうだ、ランソン事件で処刑された将校の部下だったという方の
お目にかかったことがあった。

「武人という雰囲気の方でしたね」と語っていた
(もちろん肯定的な意味で、である)。

その方がいた部隊は、南九州の編成で、
黄河のほとりから転戦して、仏印にいたり、
最後はタイで敗戦を迎えている。通称号「冬兵団」である。

冬兵団の元下士官の方には、鹿児島まで行って話を
伺ったこともあったなあ。10年前のことだと思う。

冬兵団の部隊誌というのは、立派な、大部なものだった。
「春訪れし大黄河」「夕日は赤しメナム河」という語呂の良い
タイトルは、今でも記憶している。

その中で寄稿されていた体験記が一つ、忘れられない。

一度帰国し、郷里で教員をしていた方が、戦犯容疑者として
授業をしている最中だったかに引き立てられ、巣鴨経由で
サイゴンまで送られたのではなかったかと思う。

その方の名前も覚えている。お目にかかりたいと、思ったからだろう。

「7・7・7」からいろいろなことを、思い出した。
たぶん記憶違いも、あるだろう。
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by tamaikoakihiro | 2015-07-15 21:37 | 作家 | Comments(0)