大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro

思い出せば恥ずかしい

京都は、行くたびにあれこれ思い出すけれども、どれもだいたい恥ずかしい。

大学一年生の夏休み、京都の大学に進んだ高校時代の友人のところに泊めてもらうつもりで、札幌から日本海側を通って自転車で行った。

携帯電話をお互い持っていなかったから、留守電で連絡を取り合っていた気がする。

友人は合宿だとかで、アパートにいなかった。

野宿は慣れていたけれども、京都の街中というのは少し抵抗があった。五条大橋の下で休んでいたら、大学生風の人に話しかけられた。下宿に泊めてくれるというのであった。

伏見の方の下宿に、泊めてもらった。大きな家の部屋のいくつかに大学生がわかれて住んでいる風であった。面白い人で、その後、タイに留学したと聞いた。

そのあとまた京都中心部に戻って、堺町通りのあたりの公園で野宿をしようとしていたら、初老の、品の良さそうな男性に声をかけられた。話すうちに「うちに泊まりなさい」と言われた。

連れて行かれたのは町家というのか、細い入口を入ると、中は広くなっていた(記憶がある)。その男性は医者をしていると言った(と思う)。綺麗な部屋で寝させてもらって翌朝辞去した。恥ずかしいというのは、名前もろくに聞かずに泊まったことである。礼状の一つも出さなかった。

大学二年の夏、九州を野宿で回った折にはいろいろなところで寝た。鹿児島では墓場で寝た。熊本では野菜販売所で寝た。キャンプ場はお金がかかるから、ほとんど行かなかった。

そうだ、大分の浜で寝ようとしていたら、若い男性に話しかけられた。しばらくするとその人はどこかへ消えた。戻ってきたときにはアイスとパンを持って来てくれた。その人の名前も、聞かなかった。

竹田のあたりで寝ようとしていたら、近所の人が来て、話をした。その後、おにぎりをもって来てくれた。その女性の名前も聞かなかった。

台風襲来前夜、宮崎の都井岬近くで寝ようとしていたら、地元の男性に声をかけられた。家に招かれ、食事を頂き、泊めて貰った。この方の名前はさすがに聞いた。年賀状のやりとりもしばらくした。
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(写真は本文に無関係の調布飛行場での一枚)

とはいえ行く先々で何と礼儀を知らぬ人間であったかと、思うだけで本当に恥ずかしい。

人の厚意を受けて当たり前という思い上がりがあったのではないかと考える。何の特権があってそんなことを考えていたのか不思議だけれども、ひどい大学生だったなあ。

その特権がはぎ取られるとき、つまり就職するときは、散々不合格なんてものを頂戴したけれども、まあ故なく得た特権にあぐらをかいていた身、文句を言うことなどできなかったわけだ。
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by tamaikoakihiro | 2014-11-24 08:29 | 雑感 | Comments(0)