大東亜戦争と南方物語


by tamaikoakihiro

碑前祭

一昨日、夜行バスに乗って酒田に行ってきた。前回の訪問は2012年11月だからほぼ2年前だ。

酒田の港の近くが夜行バスの終点なのであった。高校生の剣道の大会があるとかで、ジャージ姿の運動部の生徒がたくさんいた。朝食をとろうと思った食堂にも大挙していた。

私は坊主頭にジャケット、ネクタイだったから、他校の運動部の関係者と思われたのか、屈強そうな10代の少年たちから「おはようございます」と低い声で挨拶されたのには閉口した。恫喝されたような気分になった。

9時半過ぎ、光丘文庫に行って、大川塾二期生(元外務省)の遺族が寄贈した資料を閲覧した。目黒の寮でつくられていた寮誌のオリジナルである。感銘を受けながらページをめくる。取材した折、見せた貰った号を見つけて、当時を思い出す。

もう六年前のことだなあ。

11時少し前、光丘文庫近くの大川周明顕彰碑の前に赴いた。「碑前祭」で、誘いを頂いていたのである。初めての参席。

日本最大の通信社、それから発行部数日本最大の新聞社の記者の方々も取材ということで、来ていた。

碑前祭が終わると市街にタクシーで移動して直会。「何か話を」と言われ、話してみるもしどろもどろ。どうしようもない。すぐに切り上げる。

少し前に勤めていた会社の親会社の記者の方から、挨拶され「本を読みました」と言われる。嬉しい、ただ少し変な気持ちになる。もと親会社の方からそんな風にいわれると……という恐縮する感覚がある。

ま、それはこちらの考えすぎなのだが。

その方から、東京在住の五期生の方が亡くなったことを伺う。数カ月前、手術をされて静養中であることを手紙で知らせて下さっていたから、驚き、言葉を失う。

二期生の方に、往時のことを伺う。日記の重要性を教えてもらい、大変興味を覚える。大川塾ではもちろん(このことは本にも書いた)、外地でも毎日つけ、一年目は大川周明のもとに届くよう外交行囊で送っていたらしい。

大川はアジア各地で何が起こっているか、日ごとに知る機会があった、ということなのだろう。これはすごいことだ、と思う。軍事的な情報などでなく、土地の人と交わっている人たちの行動から、アジアの方々のことがわかったのであろうから。

そして日記の付け方には、重要なポイントがあったということである。それはまたいつか、書いてみたいと思う。

七年前には十二月の雨の日、酒田を訪れた。まだこのように親しくお話を伺うだけのことができなかった自分を思い出す。出会いというのは、ありがたいことなのだ、と思う。

四時少し前、特急「いなほ」で新潟へ。車窓に映る水田はほぼ刈り入れが終わっていた。白鳥はまだ来ていなかった。前回は十一月だったから、白鳥が見えたのだった。

新潟から上越新幹線「Maxとき」で帰京。

酒田の静寂は、もう遠くなった。行きたかったケルンに行けず、これは残念であった。
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by tamaikoakihiro | 2014-10-13 08:07 | 東亜経済調査局附属研究所 | Comments(0)